2019-01-25

冬のふらふら旅 2018-19 ― 近江八幡を歩き倒す 4 (ヴォーリズ建築編 2 )

前回見逃したあれこれを見るために近江八幡を再訪したのは、1枚だけ残った回数券の期限の日。木曜の休みはこれが最後なので、朝ちょっとのんびりしていたら家を出るのが1分遅かったようで、地下鉄を1本逃してしまった。さあ大変。つぎの電車は8分後、それだとJRで乗ろうと思っていた電車には乗れず、次の電車は20分後、と遅れが雪だるま式(?)に拡大していく。最終的に2時間に1本の市民バスも当然逃すことになった。まあ、雪もちらついているし、長命寺は見送るか。山道だし。今日は忘れず御朱印帖もってきたんだけどな、とカバンを開けて気がついた。カメラ忘れてる。ひとつ入れたらひとつ忘れるって、ワシの頭はところてん式か(この用法は合っているのか)。スマホのカメラがあってよかった。建築物を見に来て写真が撮れないんではどうにもならない。

市立資料館へは駅から徒歩約30分だし、体を温めるために歩いて行くことにした。歩きはじめてちょっと後悔した。めちゃくちゃ寒い。さらに風が強い。道々面白いものも特にない。そのまま30分、なにか面白いことが起こることもなく、目的地に着いた。

近江八幡市立資料館(旧八幡警察署、1953年改修)


1886年に建設され、老朽化のため、1953年にヴォーリズ建築事務所の設計で大改修された。なるほど、いわれてみればヴォーリズっぽいなあ、という感想。窓とかが。

歩いてきたのでおなかが減った。ちょうどお昼時だし、行きますかね。


初雪食堂さん。中はほぼ満席だったけれども、ちょうど空いた席にすぐ座れた。寒いので鍋焼きうどんもいいかなと思ったが、


テンチュー(天ぷら中華そば)にした。コショウははじめからかかっている。しっかりした味でおいしい。ライスも頼めばよかった。

食堂を出たら、雪。すぐにやみはしたが、寺はあきらめて正解のような気がする。おかげで時間はたっぷりあるし、前回訪れたところも、もう一度時間をかけて見たいところもあるし、と近くの旧八幡郵便局へ。


前は人がたくさんいたので撮れなかった角度から。やっぱりこの窓の感じ、資料館の窓と似てる。それはそうと、正面の扉が閉まっているのだが。営業日のはずでは。


うん、「他不定休」に巻き込まれたようだね。残念。

前回ちらっと覗いただけだった、この近くのアンドリュース記念館に行ってみた。


今回はもう少し踏み込んでみた。といっても玄関に一歩踏み込んだだけだが。しかも二階のカフェの人にお客さんだと思われては困るので、階段は上らなかった。どうにもこうにもヘタレである。

つぎはハイド記念館だ。平日なら入っていいということだし。というわけで、開いていた門から入り、まわりをうろうろする。


意を決してドアを開け、一歩中に入って、玄関の展示を見て、外に出た。上がってはいけないわけではなさそうだったけど、受付らしきものもなく、勝手に入ってる感がいたたまれなかったのですぐ出てしまった。

外はあられが激しく降っていたので、おさまるまで軒下で待って、日牟礼八幡宮方面へ歩き出す。一日こういう天気なんだろうな。

さて、クラブハリエ日牟禮館である。今日は入店する必要はないので緊張しない。あのレンガの建物の裏手にあるはずなのだ。建物の右手を回って行こうとすると行き止まり。いったん外に出て塀伝いに左から回ろう。あ、見えた。


うーん。これで一番よく見える場所だが、よくは見えない。そらそうだろう、もと民家なんだから、外から丸見えにするわけがない。思案していると、店のほうから走ってきた店員さんが「関係者以外立ち入り禁止」の門を押し開けて入っていかれた。鍵かかってないじゃん。しかもうっすら開いてるし。しかし入ったらあかんよね。しかたない、店に行くか。てことで、前回の70%程度の緊張度合いで入店、あんぱんが美味しかったので今回もそれを買おうとしたら、「あんぱんは土日のみです」といわれてしまった。前買ったの平日だったのでは。まあいい、ドーナツをふたつ購入して、「カフェを外から見ることはできますか」と尋ねると、店員さんは笑顔で「大丈夫ですよ」といってくれた。写真もOKとのことなので、こころおきなく。

日牟禮カフェ(旧忠田兵蔵邸、1936年)



旧忠田邸内のカフェ特別室の利用は前日までに要予約。利用料500円。

これでこの辺のヴォーリズ建築はだいたい見たはず。ではここも行っときますかね。


近江兄弟社のメンターム資料館。中に入るとアメジング・グレイスが流れていた。さすが。


ほう。これは知らなかった。近江と OMI 、うまいことかけましたね。

メンソレータムの開発者であるアルバート・ハイド(ハイド記念館にその名前が冠されている方ですね)はYMCA活動の支援者であり、その縁で親交の深かったヴォーリズに日本でのメンソレータムの輸入販売権を与えたのだそう。1930年ごろからは国内での生産を開始。で、これらが近江兄弟社が「メンソレータム」の商標権を保有していた時代の類似品の数々。


だいたい緑のパッケージで、「メンタム」という名称。こんなのもあったんだな。


怪我多そうだもんな、飛雄馬。

1970年代に近江兄弟社は経営破綻によりライセンスを返上(その後ロート製薬が取得)した後、メンソレータムの製造設備を利用して新たに「類似品」であるメンタームを作ることになったとは。わたしはもちろんメンターム派ですよ、はい。企業理念として社会貢献に力を入れる近江兄弟社に好感を持っているもので。これぞ近江商人の「三方よし」でしょ。「大鵬基金」からの「ニコニコ運動」のエピソードも胸アツですよ皆さん。

これで近江八幡で見るべきほどのものは見たはずなので、次の目的地へ。駅まではバスで帰ろうかと思ったけれども、バス停で確認すると、市民バスは1時間後、近江鉄道バスはちょっと前に出たようなので歩きはじめた。そしたら行ったと思った近江鉄道バスに抜かれた。遅れとったんかい。まあいい。途中で寄り道して、滋賀県立八幡商業高等学校(元はヴォーリズが英語教師として赴任した滋賀県立商業学校)チラ見してきた。


学校のマスコット?

近江八幡から電車でひと駅の安土へ。観光案内所で目的地のパンフレットをもらい、歩いて行く。7、8分ということだったが5分くらいで着いた(ような気がする)。これが近江八幡のラスト・ヴォーリズ建築(のはず)だ。

旧伊庭家住宅(1913年)


住友家第二代総理事を務めた伊庭貞剛の四男で、美術教師、神主、安土村村長など、なんというか職歴が多彩な伊庭慎吉の邸宅(現在は安土町の所有で、市民団体が管理)。玄関部分が完全に和風の異色建築。内部の見学もできるが、月曜休館で、1、2月の平日は予約が必要とのこと。またいつか、ほかの建物の一般公開にでも合わせて来てみようと思う。

そして次回、必ずやアンドリュース記念館の階段を上り(なんならお茶して)、ハイド記念館を征服する所存。メンタル鍛えとかんとな。

(続く)

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