2019-01-18

冬のふらふら旅 2018-19 ― 近江八幡を歩き倒す 2 (ヴォーリズ建築編 1 )

(承前)

帰りは八幡堀の近くで下車して、その辺を見て回ろう。往きのバスと同じ運転手さんなので当然アナウンスはないが、一度通った道なので気は楽だ。

「図書館」で下車。


ありがとう、あかこんバス。

堀沿いに日牟礼八幡宮方面に向かう。


しばらく歩いていると、こう、いい感じになってくる。


いいですね。ここ、前に来たときに撮ったな。


フォクトレンダー ベッサRを買ってすぐ、写真屋のおっちゃんから期限切れの黒白フィルムをもらって撮った写真。てことは、たぶん2001年だなあ。手前の犬が注目してるのは、向こうから来る散歩犬。

かわらミュージアムの裏窓に、妙に可愛いなにか。


投げ出した足がたまらん。

ちょっと大通りに出てみたら、近江兄弟社の社屋。


女の子からお花をもらうウィリアム・メレル・ヴォーリズさん。


近江兄弟社の創立者にして建築家。そうだった、近江八幡にはヴォーリズ建築がわんさかあるのだった。以前来たときにはよく知らず、ちゃんと見られなかったので、この際地図を手に入れて見て回ろうじゃないか。そう、いま決めた(やはりいきあたりばったり)。

観光案内所だな、まずは。てことで、日牟礼八幡宮の鳥居の正面にあるこの建物。


白雲館。1877年の疑洋風建築。もとは子供たちの教育のために近江商人が出資して建てた学校で、いまは観光案内所。近江兄弟社の並びにあるのだけど、わざわざ堀まで戻って撮ったのは、


正面にはちょっとどうかと思われるほどハデな看板があるから。観光案内所だからね。中ではなぜかアンティーク雑貨を売っていた。ここで観光地図を手に入れて GO!


(ずっと持ち歩いていたのでシワシワなのはご容赦ください)

観光駐車場を起点として、ぐるっとまわるコースが記されているけれども、まずは白雲館からすぐの仲屋町(「すわいちょう」と読む)へ。


前はここで食べたな。えびの天ぷらの乗った中華そばがあるのですよ。この食堂から少し行くと、一軒め、ありました。

旧八幡郵便局(1921年)。


解放されているので入ってみる。2階も見学できるようになっている。

1階奥のクリスタル製のドアノブ。


開けるとこう


ここ、トイレなのだけれども、いい感じだったので撮影。この左手の階段を上がる。靴を脱ぎ、きちんと揃えて置いてあるスリッパに履き替えて行く。

2階。


資料を展示するスペースになっていた。この建物、やはり人気があるらしく、ひっきりなしに人が訪れているけれども、わたしがいる間に2階まで上がってくる人は何故かいなかった。

次は八幡郵便局からほど近い場所。

アンドリュース記念館(旧八幡YMCA会館、1935年)。


八幡郵便局のすぐ近く。中にはカフェがあるっぽい(入ってない)。建物にその名が冠されているハーバート・コーネリアス・アンドルーズ(「アンドリュース」はちょっと無理す)は、ヴォーリズの大学時代の友人。早世した彼とヴォーリズの友情のために、その父親から日本にいるヴォーリズに為替で500ドルが贈られ、そのお金と友人たちからの献金、自分の貯金を合わせて、1907年、ヴォーリズはYMCA会館を建てることができた。この建物は別の場所に建てられた二代目の会館。

来た道を引き返し、仲屋町通りを渡ってそのまま進み、慈恩寺通りで左に折れて一筋目あたりが次の目的地。

ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸、1931年)。


ヴォーリズが夫人と晩年を暮らした住居。

ハイド記念館(旧ヴォーリズ学園幼稚園舎、1931年)。



2003年までは幼稚園舎だったそう。こんなところで幼年時代を過ごせるなんて……いいなあいいなあとうっとりしていたら、女子学生とその保護者らしき人が門を通って行き、通りすがりざまに「こんにちは」と挨拶していかれたので、こちらも「こんにちは」と返した。最近、小学校などでは、怪しい人がいたら自分から挨拶するようにと指導されているというが、ひょっとしてわたしは不審者なのか。考えすぎか。

そこから大通りに出て、ヴォーリズ学園の校舎も見た。その近くにあった看板。


とてもかわいい。

さて、あとは池田町洋風住宅街で、まとめてヴォーリズ建築を見るのだ。地図の案内に従って歩く。

肉屋さんのウィンドウの中の、まつ毛バチバチの近江牛よ、キミは一体なにを……?


ちょっと動揺したが、気を取り直して歩いていると、左手にいい建築物が見えた。

八幡小学校(※ヴォーリズ建築ではない)。


趣のある佇まい。1873年開校、校舎は老朽化のために1990年に改築されたものらしいが、往時の雰囲気はとどめているのだとか。

ちょっと目の端に映ったナニかを見に寄り道したりしつつも、池田町洋風住宅街到着。味わい深い煉瓦塀が長く続いている。

旧吉田悦蔵邸(1913年)。


八幡商業学校時代のヴォーリズの教え子で、ヴォーリズ合名会社(現 近江兄弟社)の共同設立者の一人である吉田悦蔵の旧居。ヴォーリズの片腕として働いた吉田悦蔵は、働く女性のための学校である近江勤労女学校を設立した偉い人。この女学校はのちになんかいろいろあって(ちゃんと調べろよ)、現在のヴォーリズ学園となっているわけですね。(合ってます?)

ウォーターハウス記念館(1913年)。


元早稲田大学講師で、近江ミッションに加わったポール・B. ウォーターハウスの旧居。通常は非公開ながら、春・秋には特別公開があるそう。

この並びにかつてヴォーリズの邸宅があったそうだが、いまは残っていない。

旧近江ミッションダブルハウス(1921年)


現在お住まいの方がいらっしゃるので、なるべく建物以外のプロパティが写らないように撮った(腰の引けた)写真になっている。もと近江ミッション社員のための二世帯住宅。築97年の現役。素晴らしい。手前に見えているお隣のおうちの塀も、雰囲気を合わせた感じで好感が持てる。

この辺で空がかなり暗くなってきて雨もぱらつく始末だったが、これで地図に記載されているヴォーリズ建築はぜんぶ見たはず。見て回って思ったけれども、近江八幡という地が教育を重んじ、力を入れてきたところだったことがよくわかった。(この後ちょっと不穏なこと書きましたが、正気に返って消しました)

このあと、地図の案内通り、新町通りを通って日牟礼八幡宮方面へ。


新町通りの近江商人住宅街。松も見事に手入れされていて気持ちがいい。

日牟礼八幡宮にお詣り。


ここまで来たら、やっぱりこれ、気になるよねえ。


クラブハリエ 日牟禮館。しかしこういうゴーカな場所、入る勇気がない。逡巡していたら、ちょうど車で来た人がいたので、決死の覚悟であとについて入店。なんでもありませんよ、って風を装い店内をゆっくり一周。たぶん顔がこわばっていたであろう。笑顔の素敵な店員さんに「あんぱんをふたつください」っていえた(ヴォーリズがつくり方を指導したバウムクーヘンちゃうんかい)。頑張った。やればできる。店員さんすごく感じよかった。あんぱんおいしい(即ひとつ食った)(緊張から解放され放心したためか文章力が低下している)(もとからないという説もあるが聞き入れない)。

帰るか、と歩き出して、これが目に入る。


秀次様のお申し付けを振り切ってわたしは帰る。

暗くなるまでには着けそうなので、駅まで歩いて帰ろう。途中で見たこれ、


こんなの前あったっけ。

これはたぶんあった。


ビリヤードと卓球とマンボの関係はいかに。そして気になるのは鼻歌うたってるマンボウ。ウはどうした。

脇目ばっかりふっているわたくし、気になるものが目に入るとすぐに横道にそれる。やっぱりね、鉄塔部員としては、これ撮っておかないと。


晴れ間のさしてきた空にそびえる雄姿。

あっちへふらふら、こっちへふらふらと寄り道しつつ、近江八幡駅に戻ったころにはすっかり腹が空いていた。さっき食べたあんぱんはどこへ消えた。駅前でテキトーになんか食べて帰ろうと、食べ物屋の店先のメニューを見ていて、ふと店の中に目をやると、だれひとりとして客が入っていないその店の店員が全員でわたしをガン見していたので、悪いが逃げた。客が入ってないの、それが原因じゃないのか。

駅の反対側にまわってイオンに入ったら、ZZ Top の "Legs" がかかっていた。いま何年だよ。フードコートで320円のラーメンを食べた。昼は贅沢したのでこれくらいでちょうどいい。空腹がおさまったところで、帰るとしよう。

いやー、楽しかった。近江八幡ほんとにいいとこだ。


しかし帰宅していろいろ調べてみて、遺漏がかなりあったことを知る。素通りしていた市立資料館(郷土資料館)がヴォーリズ建築だったとは。だって地図には書いてなかったのだよ……


ほら。あとクラブハリエ 日牟禮館のカフェ特別室として利用されている旧忠田邸も見てない。これも地図に載ってなかった。いきあたりばったりだとこういうことが起こる。そしてハイド記念館はヴォーリズ学園キャンパス内なので塀の外からガン見していたのだけど、平日ならば入ってもいいのだと後で教えていただいた。漏れまくりだぞチクショー。次回、次回はぜひ……(下調べして行け)。さいわい乗車券はあと1枚あるし、ちょうどいいじゃないか。下調べと御朱印帖を忘れずに!



本記事を書くにあたり、近江兄弟社の「W. M. ヴォーリズ ライブラリ」(サイトはこちら → 「W. M. ヴォーリズ ライブラリ」 )の記事をめいっぱい参考にしました。ありがとうございます。

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