2022-04-29

名古屋わいわい――春の18きっぷ旅 2022 (3)

ヒノキの繁殖活動も下火になってきた今日この頃、ここぞとばかりに部屋を夏仕様にし冬ものを洗濯したところ、青葉雨で寒さが戻り震えている麩之介です。皆さまいかがお過ごしですか。この寒さ、卑怯なのではありませんか。


春の18きっぷ旅、今日も東へ。今日は前回の柳ケ瀬でご一緒できなかった方々と名古屋で一日遊ぼう企画である。車であちこち連れまわしてくださるとのことで、とても楽しみ。前日の打ち合わせで行ってみたいところも見つかり、気合は十分である。なんせ名古屋に行くならモーニング食べたい食べたいのわたくし、休日であるにもかかわらず、普段より2時間もの早起きがなんなくできてしまった。

おかげで駅にかなり早く着いてしまった。前のめり過ぎて我ながら少し引く。遠足が楽しみすぎる小学生か。まあそんなもんだけど。約束の時間より早く着いてもしかたないので、乗るはずだった電車を待って乗車、米原で乗り換え、10時少し前に名古屋に着く電車に乗る。現在地と到着予定時間をグループチャットに投稿。現地で落ち合う方も、ちょうど同時刻に到着予定とのこと。

名古屋駅2番ホーム着。とりあえず自分の居場所を伝え、相手の方は4番ホームと聞いていたのですぐに向かう。



まさか同じ電車に乗っていたとは。ホームでドタバタやってる二人、笑う現地人。絵に描いたように楽しい旅の幕開けじゃないですか。

その後われわれ二人は無事に落ち合い、地下街の 喫茶リッチ で手土産交換会ののち、念願のモーニング。


ブレンドコーヒー(550円)、モーニングサービス(0円)。
飲み物を頼むとモーニングサービス(バタートースト、茹でたまご、ヨーグルト)をつけるかどうか聞いてくれるタイプのお店であった。

ほどなくして現地組の二名様も合流。手土産授受の儀を滞りなく済ませ、しばし歓談ののち、本日最初の目的地、名古屋古書会館へGO。


18きっぷの残り1枚で、久しぶりに尾道にでも行こうかと考えていた。今日ここで行われる古書即売会のチラシを柳ケ瀬で見つけていなければ。ほんとうに見つけてよかった。今回ご一緒してくださる名古屋現地組のおふたりに、柳ケ瀬の旅でお会いできなかったことが、わたしはとても残念だったんだ。

なんてしみじみするのも束の間、会場に一歩足を踏み入れれば、みな精悍な目つきで一斉散開。うん、こういうのがいいんだな。会場内で各自好きなように古書を物色、たまさか近づいたときに情報交換。あれ見ました?これどうですかね? ああ最高に楽しい。

本日のわたしの獲物は一冊のみ、池澤夏樹『きみのためのバラ』(新潮文庫)。


『マリコ/マリキータ』再読で到来した第二次池澤夏樹ブームであるが、手持ちの未読池澤作品が尽きたので確保。いや別に池澤作品でなくてもよかったわけだが。会計を済ませて戦利品紹介タイム。わたしが気になっていたものには、やはり皆さん目を止めておられた。思えばわれわれ、本の話で親しくなったのだよね。そしてでっかいバッグぱんぱんに買い込んでおられるSさん。ここに着いたとき「エコバッグを車に忘れた」とおっしゃっていたので「予備ありますよ!」と申し出たのだが、莞爾と笑んで取りに行かれたのであった。たしかにわたしごときの持つぺらぺらエコバッグでは持ち手が即座に切れていたことであろう。まったく、差し出がましいことを申し上げたと恥じ入るばかりである。

訪れた際に撮った写真がイマイチだったので、再度古書会館の写真を撮っていると、「麩之介さん麩之介さん」と声がかかる。「いけず玉があります」とMさん。わたしのいけず石レポートを見ていてくださったのはとてもうれしいのですが、なんですかいけず玉とは……


あっはい、玉ですね、まぎれもなく。見ればほかの場所にも玉を置くためのベースが設置されている。敷地への車の進入を防ぎ、なんなら車に傷をつけることも辞さずという意志も顕著というのが正しい(?)いけず石なので、それより見た目も温和な車止めであるこの玉は特にいけずではない気もするが、しかし、何故に玉……

わたし「これは……名古屋の文化ですか?」
Mさん「いや、はじめて見ました」

現地人のみぞ知る名古屋の奇習に触れたかと思いきや、現地人も初見でありましたか。玉。

お昼はそこからほど近い喫茶店へ。


喫茶 新潟。容易に想像していただけることと思うが、「あー『名古屋で新潟に行ってきました』っていいてえ~」というわたくしのバカな願いを聞いていただいた格好である。ありがたいことだ。

内装は懐かしい感じ。


メニュー


「朝食」とだけ書かれているものが気になる。もう昼なのが残念だ。次回はぜひ朝に来たい。

各自注文を済ませる。まず飲み物が来たが


当たり前のようにハッピーターンがついてくるのが、じつに名古屋。以前この4人で入った別の喫茶店では豆菓子の小さい袋がついてきたので、これは名古屋の文化と見てよかろうと思う。

わたしが頼んだのは焼きそば(550円)。


鉄板に乗ってアツアツ、半熟の目玉焼きと紅生姜が添えられているのがうれしい。

この後は近くの鶴舞公園へ。花見の時期とあって、すごい人出。屋台もたくさん出ていて、まあにぎやかなこと……むっ


凄い。燦然と輝く商品名も凄いが、その下の能書きがさらに凄い。それはもう眩暈がするほどに。曰く、
徳川三百年の歴史は重く、その名に恥じる事無く、研究に研究を重ね、昔ながらの製法を守りつつ、厳選された食材や調味料を活かし、丹精込めて熟成された食材や調味料を活かし、丹精込めて熟成させ完成された職人の極み。
それ自体との関わりを見出すことが極めて困難な三百年の歴史を背負う商品名、「食材や調味料を活かし」「丹精込めて熟成」の不可思議なリフレインが醸し出す呪術的なリズム、「職人の極み」といった表現に見られるコロケーションの微妙な狂い方、通して読むと意味ありげに見えておそらくはなにもない、もうなにもかもが素晴らしい一文……いや、文ではないな、主語も述語もない……名詞句? それとも「徳川三百年の歴史は重く、[徳川ベーコンは] その名に恥じる事無く(中略)職人の極み [である] 。」と主語と述語を補って読むべき?……まあなんでもいいか。さしあたり空虚のインフレとでも呼んでおこう(呼ぶな)。

わたしがこんなの見つけている一方で、同行の皆さんは美しい花の写真を撮っておられた。


(Sさん撮影)

わたしの意識としては「どこに咲いていたのでしょうか?」なんだけど、あとで聞いたらベーコンの近くにあった花壇だそうで、人の目はほんとに選択的にものを見ているなと思うなど(そういう問題じゃないような気もする)。

この後は熱田神宮に連れて行っていただく。思えばずいぶん前、まだお会いすることがかなわなかったときに「いつか熱田神宮の大楠の下で待ち合わせしましょう」なんてことを某所で語り合っていたのだった。ついに実現して感無量……いや今日の待ち合わせは喫茶店だったけれども。

車中、話の尽きることなし。常々「自分は基本的に無口だ」といっているけれども、このグループの中では特に無口なわけではない。いつもは話すことがないから黙っているだけだったんだなあと思う。だっていまここにいるみんなは、「ぷふい」(註: 埴谷雄高『死霊』で頻発する感嘆詞)で盛り上がれるんですよ? わたしは読んでいないけど。

熱田神宮着。


前に来たの、いつだっただろう。フィルムカメラで写真撮ってたはずなので、10年以上前の話……えっ


遮光器土偶? なぜ? しかも「眼鏡之碑」とは……見れば土台には由来が記されており、名古屋眼鏡商業協同組合六十周年を記念して建立された顕彰碑とのこと。「眼鏡業にたずさわる私達は、八尺勾璁之五百津御須麻流之玉を造らせ給う玉祖命(櫛明玉命)を祖神として崇拝し、眼鏡の功徳に感謝しつゝ、生業にいそしんでまいりました。今年は恰も、名古屋眼鏡商業協同組合六十周年に当りますので、熱田神宮の御許可を得て、縄文時代のめがね(遮光器)をつけた世界に類を見ない貴重な土偶(青森県出土)を、二科会彫刻部の重鎮、安藤菊男先生により復元製作いただき、顕彰碑とし境内にて建立、広く国民一般の方々に啓蒙、精神文化向上の一助にしようと念願するものであります。」勾玉を造った神を祖神として祀るのは、まあレンズは「玉」ともいうし、もともと水晶などを磨きだして作ったものだろうから、ギリありかもしれない(そうだろうか)とは思うけど、他……ありていにいえば「縄文時代のめがね(遮光器)をつけた」の部分は些か強引なのではありますまいか。

別宮、本宮にお参りしたのち、境内を見て回る。地元の方にガイドしてもらえると、ひとりで回るよりたくさん面白いものが見られてありがたい。

Mさん「この先に信長が寄進した塀があるんですよ」
わたし「へ~」

一拍おいて気づいた。「向こうの空き地に囲いができたってね」「へ~」のような会話をナチュラルにやってしまった。お互い狙ったわけではないが、恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。なんかわからんが負けた気がする(何に)。

照れ隠しの白椿。


鳴き声を頼りに鶏を探したり、大楠の梢をバックに集合写真を撮ったり、おみくじを引いて見せ合ったりと、わたしの身の上にはめったに起こらない集団ならではのお楽しみを久々に満喫し(鶏を探すのはひとりでもやるか)、大満足で熱田神宮を後にしたわれわれ。このあとはいよいよ現地組おふたりのお宅訪問。ワクワクがとまりません。

途中おふたり御用達の和菓子屋さんに立ち寄る。わたしの好物「鬼まんじゅう」も売られている。「5枚入り450円」と書かれた札を見て、ほほう、鬼まんじゅうは1個2個じゃなくて1枚2枚と数えるのですかーと妙なことに感心して笑われる。

お宅に到着。いつも画像を楽しみに見せていただいている、季節の花咲くお庭を拝見。やっぱり地植えできるのはいいなあ、庭付き一軒家借りたいなあ無理だけど、などと思いつつ邸内に足を踏み入れるや、麗しの猫様にお出迎えいただく。いや、もちろん家族であるおふたりを迎えにお出ましだったわけだが。それにしても、知らない人間がふたりもいるのに警戒しないのがすごい。アイドルとしてのふるまい方をわかっておられるのだろう(どうだろう)。

抹茶をたてていただき、美味しい和菓子とともにいただく。楽しい。「ギターが弾けるなら弾ける」とリュートを渡されるも、TAB譜を読むところから四苦八苦(フレットが数字でなくアルファベットだったからと言い訳させてくれい)。楽しい。突然Sさんに猫様を「はい」と手渡される。しばらく我慢して抱かれてくれていたが、「やっぱ下して」と逃げられる。楽しい。なにをしても楽しかったが、やはり白眉は「書棚拝見ツアー」。読書家のおふたりの書棚である、楽しくないことがあろうか(いやない)。うちにもある本を見つけて「オソロオソロ!」と喜んだり、読みたかったけれどもなんとなく機会を逃していた本を見つけて、やっぱり買っときゃよかったと後悔したり、本にまつわる思い出話を聞いたり、楽しい楽しい。いや、眼福でございました。

そしてこれは「あっ、これ読みたかったんです」といったら「お貸ししますよ」と渡してくださった本。


レオノーラ・カリントン『耳らっぱ』(月刊ペン社 妖精文庫)。
キャリントンを画家としてしか知らなかった頃、古書店で偶然見つけて「小説書いてたのか」と驚き、そのとき買いはしなかったけどずっと気になっていたのであった。「変わった老人しか出てきません」だそうです。ええやないか。しかし妖精文庫、面白いものをたくさん出してたんだよね。

われわれが嬉々として本棚を巡っている間、猫様はずっとわれわれから見えるところにいて、一緒に巡ってくれていた。機嫌よくしてくれていてよかったなと思っていたら、別れ際にゆっくり瞬きを見せてくれた。むろんわたしに対してではなく、隣に立っていらしたMさんに対してだけれども。でも久しぶりに見たな。猫と住んでいた子供のときにはその意味を知らず、あとになって知ったときにはもう猫はいなかったんだな、なんて思って胸がちくりと痛む。


ほんとうに楽しい一日だった。そういえば今期の18きっぷの旅、ひとりで行動したのは金沢だけで、それでわかったことがある。同行者のある旅では、わたしはそれほど写真を撮らない。この日の熱田神宮では大楠も信長塀も撮っていなかった。さも訪れたときに撮ったような鳥居は、帰り際に「そういや撮ってなかったから」で撮ったのだった。ひとりでないときは、一緒にいる人たちと楽しむことの方に集中する。おそらくわたしは記録することそれ自体にはさほど興味がないのだろう。それで撮った数少ない写真が「名古屋の新潟」とか徳川のアレとかなのがもうバカなことこの上ないわけだけれども。

熱田神宮を出てから撮ったのは、晩に食べたきしめん定食


(ブレブレだ)

そして帰りに送ってもらった金山駅の前にいたこいつ


(顔を出して楽しいのだろうか)

これだけ。それはでも、この一日をわたしがとても楽しんでいたという証拠なのだ。

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