許せサンドラール
2012-01-30 22:03:56
テーマ:本との生活
ブレーズ・サンドラールはわたしにとって「丘の上の王子様」である。
サンドラールはスイス出身の詩人・小説家。なぜ「スイス出身」と書いたかというと、30歳を目前にしてフランスに帰化したので。そうとう波乱万丈な人生を送った作家。
世界の果てまで連れてって!… (生田耕作コレクション)
ブレーズ サンドラール 生田 耕作
この小説はすごかった。往年の名女優テレーズが、70歳過ぎてなお街角で男を拾っては 安宿にしけこむという、それが小説の幕開け。いや、ゲテモノ小説じゃないんだけど、こんな紹介の仕方ではそう思われてもしかたない。しかし今回それが本題 じゃないので、この小説に関しては、またいずれ。ともかく、わたしはこの小説でサンドラールをはじめて読んだのだと思っていた。
人の記憶はあてにならない。
小学生のとき読んだ本を、読み返して愕然とした。
北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』がその本。
どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)
北 杜夫
小学生のときに読んだのは中公文庫版だったけど、今読んでるのはこの新潮文庫版。この本の、「これが海だ」という章にブレーズ・サンドラール(作中では「サンドラルス」と表記)の詩が引用されていて、その詩はよく覚えていたが、書いた人の名前は欠落していて、そればかりか、そのあとの記述についての記憶違いがはなはだしかった。
どの本の著作目録の末尾にも、「あと三十三冊準備中」と書かれている、というくだりがあるのだが、わたしは最初に読んだとき、それを書いた人は、「なだいなだ」だと思っていた。 この本は精神科のお医者さんからもらった本の一冊で、ほかにも精神医療関係の本や、精神科医兼作家(北杜夫もそうだ)の本もたくさんあった。なだいなだもそうした作家の一人だったので、さっそく著書を引っ張り出して、確かめてみた。……なんだ、書いてないじゃないか。不思議だとは思ったが、あまり こだわる性格でないうえに、昆虫好きだった(当時はね)わたしは、そのまま『どくとるマンボウ昆虫記』に突入して、一切を忘れてしまった。で、途中『怪盗 ジバコ』や『さびしい王様』などに寄り道しつつ、『どくとるマンボウ途中下車』、『どくとるマンボウ青春記』と快調に読み進み、再び『航海記』に戻ってき たのであった。
二度目に読んだとき、「なだいなだ」だと思っていたその作家は、実は「チャーリー・チャップリン」だったとわかったのであった。ああ、なんという勘違いをしていたのか。自分のことながら恥ずかしい。
そして月日は流れ、とある理由から(「具沢山恐るべし」参照 )、ただいま『航海記』を今読んでいるのだが……
ああ、恐ろしい。なんでこうなるのか。
問題の部分を引用する。
サンドラルスは我国ではあまり知られていないが、……放浪にあけくれした彼の生涯自体が、 すでにホメロス的な巨大な作品なのである。……一八八七年パリに生まれた彼が最初にエジプトにいた父のところに旅したのは生後五日目のことだっ た。ニキビのできる年頃になると……父にアパートの七階の部屋に幽閉されてしまったが、軽業師そこのけにバルコニー伝いに脱出してしま い、……ロシア、アルメニア、中国などを行商して歩いた。……ロンドンのミュージックホールで手品をやっていたとき、同じ舞台でアルバイ トにピエロをやっている医学生がおり、楽屋でショウペンハウエルなぞを読みふけっていたが、その名はチャーリー・チャップリンと言った。……彼はこうした放浪の合間に発作的な勢いで作品を書いているのだが、六十歳を迎えると、おれは自分が作家としての才能があることにいま気づいたと宣言し、なだ[いなだ]君によれば、最近も彼はとんでもないエネルギーで続々と新作を発表している由だ。いかにも彼らしいのは、どの本を見てもその著作目録の末尾には次の一行がつけ加えられていることである。「あと三十三冊準備中」 (pp. 19-20)(注:強調は引用者による)
なにを読んでいたのだわたしは。それでよく中学校に行けたな。義務教育に感謝するがよい。
サンドラールとは、小学生のときにこの本で出会い、出会ったことを完璧に忘れていた状態で小説を読み、今回この本を読んだことでねじれた形で再会を果たした。面白いものだ。あのときのあれはあなただったのね、みたいな。で、丘の上の王子様。いや、人魚姫か。ん?同じか?
……落ち着いて、話を整理しよう。
初めて会ったときに、ほかの有名人と勘違いした→もう一度会ってそれが別の有名人だと思い込んだ→年月を経て別の場所で会ったときに、初対面だと思った→さらに時が経ち、初めて会ったところを訪れてみたら、その人は、ずっと以前に一度会っていたあの人だとわかった、という流れ。
……なんだぜんぜん違うじゃないか。丘の上の王子様でも人魚姫でもないな。これだから困る。いいかげんしっかりしたらどうなんだ。でもこういう話、映画とかでありそうだな。
ともかく、冒頭の文に誤りがあった。これは、ブレーズ・サンドラールはわたしにとって「丘の上の王子様」である、という記事を書こうとして挫折した記録である。
人の記憶はあてにならないが、わたしの思いつきもあてにならない。
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