この冬の京都は雪が多い。
(オマエんとこは「京都」ちゃうやろというご意見には耳を貸しません市内なので)(まあね、うっすら見えているあの山の向こうが「京都」ですね)
朝
コッペパンサンド2種(たまごとブロッコリー、魚肉ソーセージとカレーキャベツ)、コーヒー。
サンドはもう一組つくっておいて、昼に食べる。
晩はおでんで熱燗。
22日(土)
朝
トーストにマーガリン、コーヒー。
昼
おでん定食(デザート付)。
おでん、新生姜の甘酢漬け、麦飯、デザートはぶどう。
夜、プラゴミを捨てに行き、金属ゴミ置き場に鉄鍋(南部鉄器)が捨ててあるのを見つけて拾ってきた。
ひとまず亀の子たわしでこすり洗いして、弱火にかけて乾かすところまで。本格的な錆落としは明日やる。
23日(日)
朝はトーストにマーガリンとアップルバター、コーヒー。写真はうっかり削除した。
昼
味噌煮込みうどんデラックス。
お揚げ、たまご、ねぎ、しいたけ、かまぼこ、小松菜、えび天、えのきたけ入り。
あると思っていたサンドペーパーがなかったので、最寄りの100均に買いに行き、ついでにスーパーで買いもの、これを見つけて即カゴに入れた。
では、やっていきます。
内外両面に中目(#240)のサンドペーパーをかけ、錆を落とす。
もしかして使うかもしれないと細目のサンドペーパーとまな板削りも用意していたが、結局使わなかった。
水で洗い流し、クレンザーで磨く。
金臭さを取るために、パックに詰めた緑茶と水を入れて火にかける。
油を焼きつけるまではしなくてもいいかなと思っていたけど、やっぱりやっておくことにした。サラダ油をウエスにとって鍋の内外に塗り、弱火にかけてうっすら煙が出るまで温め、火を止めて冷めるまでおいておく。
よーしキレイになった。
我が家で第二の人生を歩んでください。末永くよろしく。
24日(月)
朝はトーストにマーガリン、紅茶だったけど、昨日と同様うっかり削除した。なにやってんだ。
鉄鍋、再デビュー戦。
ごぼう、にんじん、ちくわ、白菜、しいたけ、えのきたけを炒め、水を注いで味噌を溶かし入れ、しばらく煮て青ねぎを加えた。
昼
ごった煮、麦飯。
さすが鉄鍋、ごぼうのタンニンで、汁やちくわが真っ黒になった(このあとさらに黒化が進んだ)。味はよかった。
鮭のアラが手に入ったので、粕汁を作成。
いかなる鍋を用いようとも、必ずなみなみと出来上がる汁、それが粕汁。
25日(火)
朝
トーストにマーガリン、コーヒー。
昼
インスタントラーメン(サッポロ一番塩らーめん)。
もやし、メンマ、白菜、ねぎ、付属の切りごまをトッピング。
晩は、買ってきたさわらの焙り刺身をアテに、焼酎の湯割り。
26日(水)
朝
トーストに黒豆きなこホイップ、コーヒー。
昼
粕汁、白飯。
具だくさんの汁と飯だけでじゅうぶん豊かな気持になる。
晩
焼きねぎと焼き豆腐の炊いたのをアテに、焼酎の湯割り。
27日(木)
朝
全粒粉マフィンのチーズサンド、紅茶。
昼は昨日と同じ、粕汁と白飯。粕汁はまだある。
鱈のアラが買えた。
さっと洗って塩をふり、30分ほどおいてから塩を洗い流し、酒を加えた水で茹でる。
今晩はぽん酢で。なんせたっぷりあるので、残りは明日以降食べる。セロリなんかと煮てシンプルなスープにしてもおいしいし、こってり味で煮込んでもおいしい。楽しみ。
28日(金)
朝
全粒粉マフィントーストの黒豆きな粉ホイップサンド、コーヒー。
昼
生姜きのこ丼。
晩
鱈のアラの茹で汁にテンジャンと粉唐辛子を加えて、もやし、しいたけ、えのきたけ、小松菜、鱈のアラを煮た。
29日(土)
朝はコーヒーのみ。
昼
鱈のアラと野菜のスープ、全粒粉マフィンのトースト、梨。
鍋にオリーブ油を熱してにんにくと生姜のスライスを炒め、大ぶりに切ったにんじん、玉ねぎ、じゃがいもを加え、鱈の茹で汁を注いで煮て、煮上がる寸前に鱈とブロッコリーを加えた。茹で汁にけっこう塩気があったので、味つけは粉末ブイヨンと胡椒を少し加えるだけにして、皿に盛ってからレモン汁(瓶のやつ)をふった。
おやつ
シナモンポテト、緑茶。
おいものお菓子って、もとのいもの形を模すことがなぜか多いような気がする。それはともかく、シナモンがすごくきいているけど、これ白あんの味だよね、イモはどのくらい入ってんの、と思って原材料を見たら
「餡」の成分が不明なのであった。
30日(日)
朝は紅茶のみ。
昼
ほうとう鍋。
具材はねぎ、大根、にんじん、かぼちゃ、お揚げ、しめじ、小松菜。
午後からよんどころない事情で出かける。まあ、あれです、図書館から「借りてる本をはよ返せ」と督促がきたわけです。借りた時点で安心して、借りていたことどころか、読むのをすっかり忘れていた。人はなぜこのような過ちを繰り返すのか。人はなぜ「人はなぜ」と一般化しておのが罪を見つめようとしないのか。その謎を解き明かすべくわれわれはアマゾン奥地に向かったりはせず、叱られる覚悟で図書館に向かった。図書館は特別整理期間により休館中であったので助かった。なんだ「助かった」とは。べつに叱られはしないだろうに、人はなぜそれほどまでに延滞に罪悪感を抱くのか。だから「人はなぜ」じゃないだろと自らツッコミを入れつつ、借りていた本を返却ボックスに投函する。
「毒食わば皿まで」(この表現はたぶん間違っているが、そんな気分にもなろうというほどには今回の感染拡大を恐れているわけで)と、出かけたついでにB○○K ○FFに寄り、友に借りていたモバイルルータを返却し、映画を観ていくことにした。
B○○K ○FFでは石牟礼道子『椿の海の記』を買った。
ほかに仕事関係の本を2冊。
映画館で友人と落ち合い、ルータを返却、クリント・イーストウッド制作・監督・主演『クライ・マッチョ』を観る。上映3分前にして、場内に観客は6人。えええと思ったけど、予告編の間に7、8人ぱらぱらと入ってきた。でも少なすぎない? 日曜ですよ?
冒頭、雇用主ハワードにクビを言い渡されるシーンできざしたほのかな違和感、「マイク(イーストウッド)、何歳の設定?」 ハワードはどう見てもマイクの息子くらい、いやもっと若いのでは(息子のラフォはそのとき12歳)。マイクがロデオのスターだった時期のことを話しながら、ハワードは「マイクが引き抜かれるんじゃないかとビクビクしていた」というんだけど、その頃アンタ何歳だったの……いや、ハワードがおかしいわけじゃないな、マイクの年齢設定がたぶん50歳くらいなのだろう。ハワードの依頼で彼の息子を探しに行った先で、ハワードの元妻のレタはマイクをベッドに誘う。90歳相手にそれはないでしょう、ふつう。ということで観客は「この映画において、イーストウッド自身が90歳の老人であることは見えないことにされている」と知る。まあ……そこさえクリアできれば(かなり難しいが)、そうそう、映画ってこういうのもいいんだよね、と思う。やっぱり巧いですよ、イーストウッドは。家族と職を失った男と、両親とは心のつながりを持たない少年とが、共に旅をするうちに疑似的な父と息子として生きなおし、それぞれの未来を自ら選び取って別れるというシンプルな物語が、無駄、過剰さ、ひっかかり、そういうものが一切ないシンプルな演出で語られている映画なんだけど、これよりもっと心をざわつかせるような過去のイーストウッド監督の映画、たとえば『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』などともつながっているというか、根底にあるものは同じなのだろうなと感じた。
あ、そうそう、行きの電車の中で北村紗衣『批評の教室』(ちくま新書)p. 19 「一般的に、映画で登場人物がトイレに行く時は、受け手は警戒を最大限にしたほうがよいものです。」という部分をちょうど読んでいたので、「あー!」と思った。トイレじゃなかったけど。
鑑賞後、ちょっと飲みに久々に そじ坊 に立ち寄ると
ブックエンドを利用したアクリル板パーテーションができていた。
いかの一夜干し、わかさぎの天ぷらなどで一杯飲み、蕎麦を食べて終了。
ねぎみぞれ蕎麦。
31日(月)
朝
全粒粉マフィンのトーストに練乳とチャイマサラ、コーヒー。
昼
あるもんなんでも煮込んで乗っけた丼、インスタント味噌汁(とうふ)。
飯は冷凍していたもの。丼の具材はかまぼこ、ねぎ、しめじ、小松菜、たまご。煮汁は麺つゆに砂糖を少々加えた。丼のときは少し甘くした方が美味しいと思う。