2018-02-07

鳥の人を訪ねてきました(後)――冬の18きっぷ旅 2017-18 (5)

(承前)

茶屋町駅に着いたものの、宇野行きの電車が来るまで50分近くあるわけで、これはもう町を歩くしかないか、と改札を出ると、正面に鬼。


温羅と吉備津彦の伝説が残る岡山らしいなー、と思っていたら、この鬼は怖い鬼ではないらしい。まあ、温羅もなぜ鬼とされたのかよくわからないんだけど、熊襲みたいなもんでしょうかね。百済の王子だというし、製鉄の技術をもたらした人だというし(時代的に疑問があるけど)。大和に楯突く側で、討伐されて「鬼」にされたような感じ?(※テキトーなこといってるので信じないでください)しかし能「大江山」の酒呑童子が騙し討ちにされ、「情けなきとよ客僧たち 偽りあらじといひつるに 鬼神に横道なきものを」(※ざっくり訳すと「ひどいじゃないか、あなたがたを信じたのに。鬼は卑怯なことなどしないのに」という感じかね)というのに頼光「(略)ましてやこれは勅なれば」(※「なにいってんだおまえはよ」的なことをいった後、「それにこれ、帝の命令だからさー」)、つーのもあったし、「鬼」ってのはそういうものなのかな、なんて思うなど。


外にも鬼。お、観光マップ!


と思ったら「健康マップ」だった。見て楽しいものがある気が一切しない。

とはいえ、わたしが面白がるものは観光的に価値のあるものとは限らないので、あたりをしばらく歩いてみることにする。なにより時間があり余っている。しかしやっぱりなんにもない。コンビニもない。まあドラッグストアとホームセンターはある。古い建物がいい感じだったけど、個人のお宅なので写真は遠慮した。駅裏に行ってみるか……ああこっちもなんにもないですね……ていうかこれ、危なくない?


駅から出てすぐの場所。見たところ、ずーっと柵がない。反射板はあるけど、歩きの人、とくに酔っ払いが落ちるんじゃなかろうか。どう見ても夜道暗いよ、ここ。この近くの水路も柵なしだった。このあたりの水路は基本的に柵なしなのだろうか。

あんまりなんにもないし、水路に落ちたら心臓止まるので(※酔ってません)、もう駅の待合で座っていよう。寒いしね。

15時11分、やっとこさ出発。ここから15分の八浜駅は無人駅。無人駅だけど、黒と白でなまこ壁のようなペイントが施されててなかなかスタイリッシュではないか。この駅でいっしょに降りた人たちが駅舎の前に立っているので、写真は帰りに撮ろう。たぶんバスじゃなくて、おうちの人が車で迎えに来るのを待っているのだろうな。駅前の地図は……わたしの求めているものでなく、広域図であった。もちろん観光地図が置いてある様子もない。「行けばなんとかなる」が通用しないのはローカル線の旅によくあることだが、またしても。しかたなく、あてにならないことこの上ない脳内の地図をたよりに歩き始める。

ごうごうと工事車両が爆走していく傍ら、申し訳程度の歩道を黙々と歩く。「目的地は山の上にある八幡宮の近く」「市民センターに行けば地図がもらえる」という情報は押さえてある。とにかく市民センターまで行こう。どこかははっきりわからんが、この道を行けばあるのだろうし、人がいれば聞けばいい。

と思ったものの、人がまったく歩いていない。ほんとにこっちでいいのか、反対方向に歩いているのではないか、と不安になってきたとき、脳内地図と合致するアンダーパスが現れたので一安心。そのまま歩き続ける。


トビが空を旋回している。トビは英語で"kite"、つまり「凧」だ。いやどっちが先かは知らない。トビのように風をつかまえて高く飛ぶものを、トビにならって名づけたと考えるのが妥当な気はする。飯嶋和一『始祖鳥記』では、幸吉は子どものころから様々な凧を自分で設計して作り、揚げていた。長じては鳥の体を研究し、骨の構造や、体重と翼長の関係を調べていた。これはもちろん虚構だけれども、彼が羽ばたきではなく滑空するための翼をつくったことを思うと、きっとトビの飛行も参考にしたのだろうと思って、ひそかに盛り上がる。

ずんずん歩いていると、こんなものが。


事故ってる……顔色も悪いし死(略)


「Shizenkankyoutaiken - Park」……桜島で見た「Sabo Center」と同じにおいがするなこれ。

山に沿った歩道はいよいよ狭くなり、落ち葉はたまり、でっかい枯れ枝が横たわる。工事車両がごうごうと傍らを走り抜けていく。あそこに見える建物が市民センターかもしれないと思った建物は、小学校だったり工場だったり高校だったり下水道浄化センターだったり。人ははたしてこの道を歩いているのだろうか。川を挟んで歩行者用道路らしきものが見えるので、そっちを歩いていることは確かだが、その道がどこまでこの県道と並行しているかがわからないので、人っ子一人歩いてない道を行くしかない。わたしはいったいどれくらいの時間を歩いているのか。「1時間もあれば町なかは見られる」なんて見積もりは大甘だった。1時間歩いても目的地に着きさえしないのではなかろうか。そしてほんとうに、ほんとうにこの道で間違いないのだろうか。と思ったころ、これが出た。


ああ、間違いないのだと安心して、先を急ぐ。もう16時はとうに過ぎた。このころには讃岐うどんは諦めていた。

はて。分かれ道に出たが、どっちへ行くべきかわからない。感覚的には左(玉野市街方面)なので、そちらを少し歩いてみた。でもなんとなくこっちじゃない感じ。幸吉が試作の翼を試したという八幡宮は山の上だというし、右の道(宇野方面)は山沿いだった、と思って引き返し、山沿いに進んだ。と、真っ向から歩くのもままならないほどの強風が吹きつけ、山の斜面の笹が恐ろしいような音をたてて揺れた。あ、これは違う、絶対こっちじゃないと感じ、もう一度さっきの道へ。するとなんということか、風はピタリと止み、道の反対側に、先ほど向かい側を通ったにもかかわらず見逃した「八浜市民センター」が見えたではないか。もうね、あの風は、神様が「そっちじゃなーーーい!」って止めてくださったのだと思ってる。本気で。

市民センターに入って職員さんに「この辺の地図ってありますか」と聞いたら「地図……ですか?」といいつつ事務所に入り、数枚探して持ってきてくださった。「八幡宮のあたりに行きたいのですが」というと、たまたまその場にいらした利用者の方に聞いてくださって、その方が丁寧に道を教えてくださった。ごくナチュラルに「駐車場はないと思いますよ」といわれ、ああ、どこへ行くにも車で行く地域なのだ、そりゃ人間歩いてないわと思いながら、「あっ、大丈夫です、歩きなので」といったら怪訝な顔をされた。そうでしょうとも。駅からここまで1時間近くかけて歩いてくる奴がそんなにいるとも思えない。

お礼をいって、市民センターを後にする。教わった通りはす向かいの駐輪場へと道を渡ると


……ありましたね。あっさりと。

そこからは早かった。


ここに神様がおわすのですね(快神社と八浜八幡宮は隣接している)。あとで参ります。


これが駅前にほしかった。まあ、ふつう駅から歩いて行くことは想定されてないだろうが。

来ました。





櫻屋幸吉橋。


橋から児島湖方面を。


水鳥がいっぱい。

では、お参りに。先ほどの道標まで引き返す。


ちょっとした登山。


右が八浜八幡宮、左が快神社。両社にお参りしてお礼を申し上げた。


お社の後ろにまわって見た児島湖。いまから60年ほど前に淡水化されたが、その前は児島湾の一部だった。旭川は右方向にあるはず。

山を下りる。下りた辺りは古い町並みの保存地区なので、見ていてたのしい。海の近くにはよくある(のかどうかはちょっとわからないが、むかし夏にバイトしてた日本海の海水浴場周辺にもあった)、焼き板の壁の建物が多い。


お、セーマンだ。

あっちこっちうろうろしてたら音楽が鳴った。午後5時か。そろそろ帰らねば……それはそうと、ここはどこでしょうか。 ぐるぐる歩いていたために、見覚えのないところに出てきてしまった。わー、どうしたもんかなー、日も暮れてきたし、と心細くなっているところに、犬の散歩をしているおばさま登場。人だ!こんばんは、と挨拶して、あのう、八浜駅はどっちでしょう?と尋ねた。「駅?電車の?」はい。「えー……でも、バスもないですよ」あ、歩いてきたので大丈夫です。「歩いて!?この辺の者は車で行くところですよ!?」そうでしょうね(笑)。

丁寧に道を教えてくれ、「気をつけてねえ」と何度もおっしゃってくださったおばさまにお礼をいい、犬に手を振って別れた。

すぐに見覚えのある道に出たが、もうあたりは真っ暗。事前に立てた計画では、今ごろ坂出でうどん三昧だったはず。水も漏らさぬどころか大穴開いてだだ洩れだ。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったわたしの着ているコートはチャコールグレイで県道は暗い。交通量は昼間より多少減っているとはいえ、わりと本気で命が心配。ということで、歩行者&自転車用の道を歩いて1時間。無事に駅にたどりついた。当然駅舎の写真などは撮れない。電車が来るまで時間があるが、外を歩いてもなにもないことはわかっているし、そもそも歩き回る元気もないので、ベンチに座っておとなしく電車を待ち、学校帰りの高校生に混じって乗車。

岡山駅でいったん改札から出て、晩めしを買う。岡山からの帰路はだいたいえびめしに決めている。並びのお店のせいろ飯が半額になっていたので、これも買った。乗った電車がずーっと混んでいたので、車内では食べずに終わったけれども。

腹ペコで帰宅、即えびめしを温める。


食べながら、市民センターでいただいたウォーキングマップを見ていたところ、事前に見てうっすら覚えていた玉野市観光協会のサイトのイラストマップには記載されていなかった「幸吉生家」を発見してえびめし吹いた。


わしの目はとんだ節穴じゃったわ、ぬははははは(自棄)。

なんか悔しいので、見落としていたのか確認したけど生家の記載はなし……いや、「鳥人幸吉生誕地」ってのがあるじゃないか!


やっぱり見落としてた……って場所違わない?ああ、碑が立っている場所か(と思ったが、違うような気もする)。


書き込んでみた。

ただ、紙の地図にない「生誕地」がウェブ上の地図にあって、紙の地図にある「生家」がウェブ上の地図にないということは、紙の地図の情報は碑が建てられた平成23年以前のものである可能性が高く、さらに現在生家を示すものは失われているということも考えられる。そもそも「生誕地」も、あてにするのは多少の不安があるとはいえ、わたしの記憶によると、どうも碑が立っていた場所ではないように思われる。謎が多すぎる。というより自分が不注意すぎる。ほかに見たい場所もあるし、もう一回行くか。こんどは「讃岐うどん→八浜→讃岐うどん→帰宅」コースで(やっぱり歩いて行く予定)。もう1時間では無理なことわかってるから、大丈夫……なのか甚だ心許ないのは、自分がいきあたりばったり体質だということを重々承知しているからなのであった。

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