2015-10-02

奈良へ...――仏像三昧 興福寺編

(承前)

はるばる奈良まできた目的を(やっと)思い出したわたしは、鹿で遊ぶのは止めにして興福寺へ向かったのであった。まずは南円堂にお参りして、納経所へ。ちょうど新しい朱印帖を購入しないといけなかったのだけど、規模の 大きいお寺で買うと、そのお寺のオリジナル朱印帖が手に入る場合が多いので、ここで買おうと思っていたのだ。見込み通り、興福寺にもオリジナル朱印帖が大小それぞれ二種類ずつあり、わたしは小のベージュ色のを買って書いていただいた。


 見返しの阿修羅像がうれしい。


「世界文化遺産」という朱印は登録年から使用されているのだろうが、その前はどんなだったのだろうなあ。

お参りのあとは、特別開扉中の北円堂へ。


お堂も国宝、なかの仏像も本尊両脇の二体の菩薩像を除いてすべて国宝というゴーカさ。わたしはこういうお堂を見ると、周りをぐるぐる回ってしまう習性がある(バカは高いところも好きだが回るのも好き)のだが、ここは回れなくなっていた。残念。

なかには本尊の弥勒如来坐像を中心に、このような配置になっとりました。(もらってきたチラシより)


仏像の安置されている壇をめぐりながら拝観できる。像までの距離が近いのと、いろんな角度から見られるのがうれしくて(あと、お堂の外周を回れなかったせいか)、ぐるぐるぐると三周回った。弥勒如来は素晴らしかった。運慶晩年の作であるこの像は、彼が若い頃に刻んだ、いかにも力強く躍動する像と比べると、おとなしい印象ではあったけれども、静かな勁さを感じた。あとで調べたら像高142cmだとか。そんなに小さかったのかと驚いたほど、それは力のある仏像だった。そして、その目を見ていて、あ、と思った。好きだ好きだといっているわりには、ちゃんと調べたことは ないのだけど、仏像って、拝む人と目が合わないようになっていると思う(たまに「目が合ったー!」といってる人がいるけど、わたしはどこからどう見ても、目が合ったためしがない。わたしだけ見てくれないとは思いたくないが、その可能性もないとはいいきれない。けれども、そう思いはじめると泣いてしまうので考えない)。如来像は特に、そのまなざしが内側に向いているように感じられるのだけど、それでも拒絶されているようには感じられない。それがずっと不思議だった。今回この弥勒如来像と会って、なんかわかった。あ、なんだ、このヒト(人じゃないけど)全部見ているんだな、内側も、外側も、無時間的に。わたしのことも見ている。他の人のことも見ている。ここにいない人のことも見ている。ここも、ここじゃない場所も見ている。全部見ているなら、何も見ていないように見えてもしかたがないのかもしれんな。なんてそりゃわたしの妄想だろうけど、ま、わたしが納得できりゃよいのだ。ああ、無著・世親もよかったなあ。体躯にたっぷりと量感があって、目が生き生きしてて(彼らのまなざしは外に向いているようにわたしには見えた)。四天王はギョロ目で、なぜか顔の中央部が前に出ていて、なんだか魚の顔のようだった。

北円堂のご朱印は、南円堂の納経所でいただけるとかで、そちらへ引き返す。書いていただいてる途中で、あっ、南円堂のをいただいてない、と気づき、追加で書いていただいた。というわけで、順番がテレコになってしまったが、これがそれです。



このあと、東金堂を拝観。興福寺には「国宝館」という、大スター阿修羅像をはじめ、国宝に次ぐ国宝が、押し寄せる大波の勢いでぎっしりつまっている館があって、わたしは寄ると必ず国宝酔いでフラフラになるのだけど、東金堂もすごいよ。それ自体国宝のお堂の中に、国宝・重文の仏たちがほどよく(?)安置されている。ほどよい、といっても国宝だけで18体。すごいわ興福寺。本尊の薬師如来(重文)は室町時代、脇侍の日光・月光菩薩(ともに重文)は奈良時代のものだそうで、造像の時代は違うのに、しっくり調和しているのが不思議。右の方へ進むと、十二神将(国宝)のうち、毘羯羅・招杜羅・真達羅大将が縦並びしているのだけど、このエグザイル感はなんだ。あのなんかくるくる回るヤツ(正式名称を知らないし、また知る気もない)がいまだにエグザイルの代名詞なのかどうかは知らんが。その外側を守る四天王(国宝)のまあカッコイイこと。後ろのほうはちょっと見えにくかったので、後で写真で見て知ったのだけど、踏まれている邪鬼たちのうち、広目天に踏まれている邪鬼の体勢、これがまあ苦しそう。両足を投げ出して前屈、二つ折りになっている体の背中に乗られている。ほかの三体はわりとラクそうなのに気の毒な。

東金堂を出て、国宝館を見ようかどうか一瞬迷う。このあと国立博物館でどのくらい時間が必要かわからないし、国宝館はこれまで何度も見ているしで、時間があれば後で寄ろうということにした。

博物館に行く前に、ちょっと猿沢の池方面に行ってみたら、歩道の真ん中にいたものに威嚇された。


踏まれなさんなよ。

池のほとりの茶店の前には、「大仏サイダー」と書かれたのぼりが立っている。なんだそれは。なに味なんだ。やすらぎの道の電柱には「大仏あんぱん」の広告があったが、そちらのほうは容易に想像できる。大仏の顔型のあんぱんだろう、きっと。小学生のころのわたしがおみやげにもらい、「え、この仏さんの顔食べるの!?」と吃驚した、例の人形焼みたいなものなのだろうと思われる(余談だけど、アンパンマンに「おなかがすいてるんだね。ぼくの顔を食べて」って顔をはずして渡されたら、すごいトラウマになると思う)。しかしサイダーは謎である。形なき飲み物にどのように大仏を絡めてくるのか、すこぶる興味をひかれたのではあったが、資金に乏しいわたしは、家から持参した水筒につめた水道水をひと口飲んで我慢したのであった。


(続く)

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