2024-11-10

日々雑記 2024 Nov. #1

1日(金)

今朝見た夢。姪1がおもちゃのギターを見せに来る。なぜか左利き用である。「Gを弾いて」といわれるが、咄嗟に左手で弦を押さえることができない。松崎しげるはすごいなと思う。音が狂っているのでともかく調弦しようとするが、妙な形のプラスチックのペグはいくらやっても固定できない。ゆるゆるの弦が気持ち悪い。

寒くなったせいか、アサガオの花が小さくなった。




豆と米の粥。
レンズ豆と昨日炊いた白飯で作成。ちょっとターメリックが多すぎた感じ。




ひじき煮、さやいんげんとさつま揚げの炊いたの、ピリ辛切り干し大根、たくあん、白飯、麩とわかめの味噌汁。
今日つくったのは切り干し大根と味噌汁。

晩はインスタントラーメン(マルタイ棒ラーメン)。


2日(土)



納豆飯、インスタント味噌汁(青ねぎ)。

またひじきでなにかつくろうと思い、今回は乾物を戻したら、案の定大量になってしまった。というわけで、半分はもともとつくろうと思っていた梅じゃこひじきにするとして、もう半分はどうしようかなと、帰省時に母から譲り受けたこの本をぱらぱら。


小島信平・松本政利・暮しの手帖編集部『おそうざい十二カ月』(暮しの手帖社)。
初版第三刷ですよ……半世紀以上前の本。そういえば以前見せてもらった時のことを日記に書いていたのであった(2019年8月17日の日記→ 「日々雑記 2019 Aug. #2」 )。


これ、よさそう。なまり節はないけど、昨日届いた由比缶詰所のツナ缶を使ってつくろう。炒めるときに漬け油も使えるし。

はい。


乾物を戻すときは思ってる半分でちょうどいい量なのだな。ていうか量れよ。



ツナとひじきの煮しめ、長芋の炊たいたの、きゅうりとわかめの酢の物、ピリ辛切り干し大根、白飯、インスタント味噌汁(ほうれんそう)。
ツナひじきおいしい。ごはんがすすむ。酒のアテにもいいな。

晩はツナひじきと長芋をアテにビール。


3日(日)

今日はめちゃめちゃアサガオが咲いている。


秋になって種採りモードなので、前日の花殻もそのままにしてある。

フライパンだとたまごを2個使わないときれいに焼けないであろうワンパントーストを、もしかして手持ちのホットサンドトースターでつくればたまご1個ですむのでは、と思いついたのであった。仕事のある日の朝はちょっと軽めにしておきたいのだけど、たまご2個だとちょっと重いのだ(今日は仕事しないけど)。
てことでやってみた。ホットサンドトースターの片面に油をひいて溶きたまごを流し、半分に切った食パン(今回はライ麦食パン)を置いてたまごを焼く。たまごにあらかた火が通ったらもう片面で挟んでひっくり返し、いったん開いてたまごの面にスライスチーズを置いてパンをふたつに折り、もう一度挟んで返しながら焼く(文字だけで説明すると長くなるな)。


いいじゃん。



いちごヨーグルト、たまごとチーズのホットサンド、紅茶。



梅じゃこひじきのおむすび、インスタント味噌汁(小松菜)。
梅じゃこひじきには実家からもらってきた伯母さん作の小梅干しを使用。もう少し梅をきかせてもよかった(残った分には梅を足そう)。

食べたら外出。フレデリック・ワイズマン特集を見にいく。


今日は『インディアナ州モンロヴィア』(2016年)と彼の長編第一作の『チチカット・フォーリーズ』(1967年)を。両方――別の意味で――しんどかった。
モンロヴィアは、ああ、ドナルド・トランプを勝たせた人たちってこういう感じなんだろうなという、わたしの中のでっち上げでしかなかったステレオタイプが、日々生活している生身の個人として映し出されているという事実がなんというか驚異で、そういう類のしんどさだった。町議会の開始前に神に祈るんだ、とか、やっぱり葬儀ではアメイジング・グレイス(学生のときに受講していた英国人教授がこの曲を white spirituals の1曲だといったのをいまだに覚えている)歌うんだな、とか思ってしまって疲れるなどした。そりゃまあ「善き」人々なんでしょうよ、でもねえ。しかし葬儀の参列者の中に明らかに投げやりに歌ってる人やまったく歌ってない人がいたり、棺に土をかけるときは牧師さんが手でぱらぱらかけた後は、業者さんがダンプカーでバーッとかけるという身もふたもな……もとい、合理的なやり方など、滑稽な部分を見せちゃうのいいなと思うなど。あと印象的だったのは、結婚式で新郎新婦が十字架を「組み立てる」作業。すごいよ、外枠の直線で構成された十字の部分は女性を守る男性の強さ、内側の曲線で構成された部分はしなやかな女性の美を意味するとか言って、それを最後に父と子と精霊を意味する3つのビスで留めるという。そういうこじつk……もとい、象徴を用いるのですね。しかし出来合いのを組み立てるんだね。しんどかったけど、143分飽きることなく、むしろあっという間に感じられた。ほか散漫な感想としては、冒頭に出てきた、養豚場のスプレー塗料でマークされていく豚、『木靴の樹』みたいに屠殺・解体されるところが映ったらどうしようと思っていたけれども、出荷されるところどまりでよかった(いいのか)。あと、犬の尻尾を切る文化は滅びたらいいと思う(グレートデーンが断尾されるシーンは薄目で見た)(となりでメモを取りながら見ていた人も居心地が悪そうだった)。

『チチカット・フォーリーズ』は冒頭のシーンからきつい。なんの会かはわからないけど、精神を病んだ犯罪者の矯正施設の出し物で目を泳がせながら歌い踊る収監者たち。と書いたが、ワイズマンの映画には、映し出されている人物が誰であるかなど、言葉による説明が一切ない。だから、冒頭の出し物で司会者的にふるまっている人物を、わたしははじめ病院側の人間だと思っていたのだけど、後に彼も収監者なのだと知って驚くことになる。で、この「後で知って驚く」もたぶん仕組まれていることなんだろう。「仕組まれている」というと人聞きが悪いが、要はそのように考え抜かれて映像が編集されているということで、ナレーションやテロップなどの言葉による説明がなくとも、注意深く見ていれば必ず理解できるように、うまく誘導するつくりになっているわけだ。むしろ親切設計。その編集の妙の白眉が、食事を拒んで、鼻にチューブを差し込まれ強制的に摂食させられる患者と、死化粧を施される遺体のクロスカッティングなんだろうな。同一人物のように見えたけど、どうだったんだろうか。この場面は強制摂食を受けた患者が病室に戻り扉を閉められる場面と、安置棚に遺体が収容されて扉が占められる場面が並列され終了。こういう「こう見るべし」的な意図がグイグイくるつくりが、2016年の『インディアナ州モンロヴィア』では影を潜めているのが興味深い。ていうか『チチカット・フォーリーズ』は構成が劇映画的だよね。俳優が演じているといわれても信じてしまいそうだ。

劇場を出たら、夕空にムクドリの群れ。


晩はひじきの炊いたの2種をアテにビール。


4日(月・祝)



りんご、ライ麦食パンのトーストにピスタチオクリーム、コーヒー。

そろそろ尻に火がついた気配がしているので猛然と仕事しないといけないんだけど、古本まつりの誘惑抗し難く……パッと行ってサッと見てシャッと帰ろう、そうしよう。

ということで百万遍知恩寺へ。


いいお天気でよかったね。

気になる本発見。


『GOJIRO』……著者のマーク・ジェイコブスンという人は知らんが、訳者が黒丸尚+白石朗……これは気になる。帯にキャサリン・ダンの賛辞……さらに気になる。


買うか。220円だし(3冊で550円だったけど、ほかに欲しい本がなかった)。

ざっと一周して、結局買った本は『GOJIRO』1冊だけだったけど、これけっこうな掘り出し物なのでは(読んでみないとなんともいえないけど)。

昼を食べて帰ろうと、このあたりに来たらいつも行く店に行ってみたが満席だった。別の店で衣笠丼とミニそばのセット(1,030円)。残念ながらわたしの好みではなかった(ので、写真は撮ったけど載せない)。

行きしなはバスも利用したけど、帰りは地下鉄駅まで歩いていくことにする。

K川の鵜たち。


石の上にとまってるんだろうか。

スーパーで買い物をして帰宅。クインシー・ジョーンズの訃報に接する。帰り道、かかっている音楽が80年代の洋楽と昭和の歌謡曲がごちゃまぜな商店街を歩いていて、奇しくも「愛のコリーダ」が聞こえて「おー懐かしい!」と思ったところであった。

今日買った本:


マーク・ジェイコブスン 著 / 黒丸尚・白石朗 訳『GOJIRO 南太平洋の巨大トカゲと日本少年の愛と友情の物語』(角川書店)。
解説が巽孝之……ざっと見たところ、その解説にはドナルド・フェイゲンの賛辞も紹介されており、またアーサー・サルムの評に「マーク・ジェイコブスンは、リチャード・ファリーニャ、トマス・ピンチョン、トム・ロビンズ直系の進化論的血筋を、カート・ヴォネガットやキャサリン・ダンを経由してうけついだ作家である」とあり、てことはわたしの好みにどストライクではないか(人を選ぶとは思う)。ピンチョンが『重力の虹』を献じたファリーニャを読んだことはないけれども。

今日もよく歩いた。しばらく倒れていたら日が暮れた。

夜間の仕事前の腹ごしらえ。


赤飯のおむすび、いり番茶。

仕事終了後にかんぱちの刺身とビール。大豆を洗って水に浸けて就寝。


5日(火)

少しずつニガウリとナガイモのつるを整理している。シジミチョウが来て、あわてて飛び去った。わずかとはいえ、まだニガウリの花が咲いているからね、すまんね、いちおう枯れたつるだけ切ってるんで、またおいで、なんて思っていたらミツバチせんせいが来て「おまえなに勝手なことしとんねん」とでもいうようにわたしに絡んで飛び去った。すまんね。



りんご、ライ麦食パンのトーストにジンジャーレモングラスハニー、コーヒー。

一昨日昨日と遊んだので、今日は死に物狂いで仕事する所存。昨夜水に浸けておいた大豆を火にかけ、ときおり様子を見ながら作業。



エリンギそば。
乾麺を茹で、醤油炒めにしたエリンギと冷凍なると、刻みねぎをトッピング。

茹であがった大豆の鍋に湯を足し、昆布を放り込んで再沸騰したら火を止め蓋をして放置。

根を詰めて仕事していたら、いつの間にやら午後9時を過ぎた。昨日買っておいた鱈のアラと豆腐、青ねぎで鍋を作成。


大豆の鍋から昆布を取り出し、食べやすく切って鍋に戻して少し煮て、みりんと醤油で味つけして就寝。


6日(水)

目が覚めたら8時半だった。相当疲れていたらしい。パンの買い置きも冷凍ごはんもなくて、なにを食べたらいいのか悩んでいるうちに9時を過ぎた。そうめんだってオートミールだってあるというのに、寝起きの頭が働かないにもほどがある。古紙を回収場所に出しに行き、その足で郵便局に行って用事を済ませたら、別に食べなくてもいいかという気になった。スズメのお宿になっているトウカエデが剪定されている下を通って帰る。スズメたちは今夜からどこで寝るのだろう。



昆布豆、ツナひじき入りたまご焼き丼、インスタント味噌汁(ちんげんさい)。

夜、小いわしを煮た。


いっしょに煮汁に入っているのは、梅肉を取った後の梅干しの種と薄切りの生姜。煮汁は水150㏄+酒50㏄+みりん50㏄+醤油25㏄+砂糖大さじ1。いわしは皮が破れやすいので、煮汁に並べ入れてから火をつけ、沸いたらアクをとって落し蓋をして5、6分煮て、火を止める。

晩は小いわしの煮付けと、ツナひじきの煮しめをリメイクした炒り豆腐をアテにビール。


7日(木)



バナナ、全粒粉食パンのトースト、コーヒー。



小いわしの煮付け、梅じゃこひじき、昆布豆、きゅうりと干しえびの炒めたの、白飯、もやしとわかめの味噌汁。

今夜も小いわしを煮た。すぐ食べ尽してしまうことが判明したので、2パック分。


今回は小梅干しと生姜で梅煮にした。晩はこれをアテにビール。


8日(金)

昨日木枯らし1号が吹いたとか。一段と寒くなって、昨日咲いたアサガオがまだ形を保っている。しかし秋が短すぎないか。秋はもう暦の上にしか存在しないのではないか。

今朝、ナガイモのつるはすべて切った。ニガウリもほぼ切ったが、まだ生きている部分はできるだけ残しておきたい。




バナナ、全粒粉食パンのトーストにピスタチオクリーム、コーヒー。



小いわしの梅煮、もやしの辛子和え、きゅうりと干しえびの炒めたの、ピリ辛切り干し大根、白飯、麩とわかめの味噌汁。
ほぐした梅と煮汁をいわしにからめて、飯に乗っけていただきます。こたえられんね。

晩は小いわしの梅煮をアテにビール。


9日(土)



全粒粉食パンのトーストにレモングラスジンジャーハニー、コーヒー。

昼はカレーにする。今日のチャパティも絶好調。


形はあれですけれども。



かぼちゃとさやいんげんのカレー、じゃがいもマサラ、チャパティ、バナナヨーグルト。

日除けを下ろそうとベランダに出たら、実生レモン(3さい)の枝が日を浴びてきれいだった。


しばし見惚れる。

夜、買いものにいく。さわらの切り身が20%オフ、某有名店のお高い焼き豆腐が40%オフだったのでほくほく帰宅。エリンギ、青ねぎとともにたき合わせにする。


焼き豆腐の残りは、小いわしの梅煮の煮汁でたいておいた。

晩はチャパティの残りでじゃがいもマサラを包んだの、小いわしの梅煮、焼き豆腐のたいたのをアテにビール。


10日(日)

今朝見た夢はあらかた忘れてしまったけど、「タコがーつながるー おはーなししましょうねー」という歌は、メロディーもはっきり覚えている。はっきりしすぎていて、ひょっとして実在する歌なのではと検索してみたが、そんな歌詞の歌は存在しなかった。



ジャスミンライスを炊いて、きのうの残りもの2種とともに。



もやしペペロンチーノ、さわらと焼き豆腐のたき合わせ、じゃがいもマサラ、ピリ辛切り干し大根、白飯、インスタント味噌汁(ほうれんそう)。

晩は、大事にしすぎて冷蔵庫内で古漬けになった白菜キムチ使用のキムチ鍋。

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