2019-11-30

日々雑記 2019 Nov. #3

21日(木)

昨晩から軽いとはいえないけど酷いともいえない頭痛で、なんとなく食べる気がしなくてうだうだしている間に昼になった。テキトーにラーメンなど煮て冷凍ねぎを放り込んだものを食して仕事。月曜締め切り(なので土曜の午後までに仕上げればいい)の仕事は夜までに8割(自己申告)やっつけて、明日ちゃちゃっと仕上げる予定。


22日(金)

昨晩なんだか熱っぽかったが、今朝は熱はないような気がする(発熱している証拠を見ると挫けるので計らない)。頭痛はおさまらず。昨日まではいつものように左側が痛かったが、今朝は右側が痛い。「ウィーン・モダン展」はまだ会期があるけど、京博の展示は明後日までなので、なんとか今日明日で治す。

薬土瓶に水と梅干しと薄切りの生姜を入れて火にかける


沸いたらとろ火でいい感じの塩気が出るまで煮出し、ポットに入れておく。


水分補給はこれと白湯で。




松の実とクコの実入りの粥。
病人気分が盛り上がる(盛り上げている場合ではない)。




ねぎうどん。
白ねぎ1本入り。

明日は大阪に「ウィーン・モダン展」を見に行く予定だったが、出ると長引きそうな気がするので同行者にキャンセルの連絡を入れようとしたら、先方から「風邪ひいた」メールが来ていた。流行ってるな。


23日(土)

何度か目覚めつつも、意地でも寝てやろうと10時を過ぎるまで布団で過ごす。妙な夢もいくつか見たが、妙だったということ以外覚えていない。白湯を飲み、昼に食べる米をといでおいて、また布団に戻る。




市販のナムル、ありあわせ鍋、白飯。
久しぶりに袋入りで売っているナムルを買った。自分でつくるときはあまり酢を使わないので、ああ、そういえばこういう味だった、と懐かしい感じ。鍋には干鱈、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、なす、ピーマン、豆腐を使用、つゆは粉末ホタテ出汁に酒と韓国味噌とごま油でつくり、そこに粉唐辛子、にんにく、しょうがをたっぷり(健康第一)。食後は梅生姜湯。大量に汗をかいた。治る(確信)。

このあと、昨日やり残したものを仕上げ、コンビニで必要なものを印刷、その場で同封してポストに投函。やれ終わった。あとはメールをいくつかやりとりすれば、この仕事は終了。

おやつ


安納芋のプリン。
印刷だけではなんなので買って帰ったおしごと終わり記念。おいしかったが、欲をいえば、クリームよりも芋に重きを置く菓子であってほしかった。

食べたら寝まして、起きたら夜。ということで、起床即鍋。


豆腐、ひろうす、白菜、ねぎ、しめじ、えのきたけ。つゆは昆布出汁に酒と醤油。


24日(日)

いつも通り目覚め、白湯を飲んで布団に戻る。再び目覚めてから10時頃まで布団でごろごろして、起きてラジオをつけたら、楽しみにしていた「子ども科学電話相談」鉄道スペシャルが報道特別番組で開始が遅れていた。先月予定されていた放送が台風で延期になったことも含め、なんとも波乱万丈。番組ではおなじみの「科学」の藤田先生のご参加は、鉄道ファンでもいらっしゃるので納得の人選だったわけだけど、「わたしの町にはどうして鉄道がないんですか」という質問に「社会科学」の見地から答えられるとは、もうオールラウンダーにもほどがある感。




炒飯。
昨日の残りごはんに、たまご、ちくわ、赤玉ねぎ、にんじん、ピーマン、赤唐辛子、きのこピリ辛煮、トッピングは生の赤玉ねぎ。できた量はフライパンからあふれんばかりで、実際には画像の倍量くらい(もちろん完食)。

頭痛と倦怠感だけ(熱は計らないのであるかないかは不明)なので風邪だかなんだかよくわからないが、念のため周囲にご迷惑をかけぬよう、マスク着用で。京都国立博物館で本日最終日の「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を見にいくのだ。大正9年(1919年)にバラバラにされた三十六歌仙絵、過去最大の三十一点が一堂に会している(※展示替えで本日見られないものもある)ということで、


「『切断』から100年 ― 奇跡の再会」「もう、会えないと思っていた」の文字踊るチラシ。

到着。


「待ち時間 0分」だそうだ。最終日なのに空いているのか、と思ったが別に空いてはおらず、激混みではないというほどの意味であった。佐竹本三十六歌仙絵は……素晴らしかった。正直いって、日本のこの時代の絵を見るための教養はないに等しく、楽しめるのかどうか不安だったのだけど、丁寧な解説が鑑賞ポイントを教えてくれ、それに従って素直に見るのが楽しかったし勉強になった。琳派展で見た鈴木其一の三十六歌仙絵に再会したのもうれしかった。

外に出ると、西の空が桃色だった


日没


西門を出て見えた空


この後はすごい夕焼けになって、信号待ちしてる人々がさかんに写真を撮ってましたね。わたしはそういう場で撮るのがなぜか恥ずかしいので撮らなかった。だれも気にしてないようなものを撮っていて不審な目で見られるのには慣れているのに。

あちこち寄り道して帰ってきたら、最寄り駅の改札口にネギ落ちてた。


こういうものを撮るのは平気なのだが。これはだれもが気にしてるものだけど、いちいち撮らないようなものか。




鍋。
昨夜と同じ内容にキムチをプラス。つゆは昆布出汁に酒と韓国味噌。


25日(月)




塩焼きそば。
具は赤玉ねぎ、ピーマン、キャベツ、かにカマ、一昨日の残りのナムル。

晩酌


アテは焼きなす生姜醤油がけ。病み上がり(頭痛は残ってるけど、倦怠感と熱感はなくなった、と思う)なのでノンアルコールビールで。焼きなすはつくるの(主に皮を剥くの)が面倒なのに、食べるのは一瞬だな。


26日(火)




納豆、キャベツぽん酢がけ、白飯、インスタント味噌汁(モロヘイヤ)。

帰り道で葉付きの大根が買えたので、すぐに葉と根を切り離し、葉の部分はしごいて軸と分ける。


軸は刻んで冷凍しておいたちりめんじゃことごま油で炒め、煎りごまを加え、塩で味つけしてごはんのおともに。


醤油で味付けしてもいいし、七味唐辛子を加えるのもいい。葉は塩茹でしておく。


茹でた葉は水気を絞って刻み、冷凍しておく。菜飯に使うもよし、味噌汁の具にするもよし。青首のあたりの皮は硬いので剥いて、薄く切って鷹の爪と炒めてきんぴらに。


皮を剥いた根は、当然のごとく鍋に。


昆布出汁に酒と薄口醤油で味つけした煮汁でお揚げと炊いて、七味唐辛子を振り込んで食べる。

出汁殻昆布は佃煮に。


食べつくします。


27日(水)




梅若うどん。

朝イチの時間帯の映画を1本見る。読んではいないが原作者に敬意を抱いていなくもない(微妙な表現)小説の映画化作品。タイトルの提示からうへぇとなって、カメラがぐるぐる回り始めてヘンな笑いが出(以下略)

昼食は映画館の近くの ふくや で


おうちごはん(揚げ鯖と蓮根の黒酢掛け)。うまし。案内した映画の友にもよろこんでいただけたようでよかった。

喫茶店に移動して、映画の悪口をいいたおしてスッキリ。このあとはひとりでトッド・フィリップス監督作品『ジョーカー』を観た。


「孤独な男が巨大な悪へと変貌していく、壮絶なドラマを描く」とオフィシャル・サイトにあったのだけど、わたしはちょっと違う印象を受けた。孤独な男ははたして巨大な悪へと変貌したのか? そもそもこれは、あのバットマン世界のジョーカー誕生の前日譚なのか?(まあ、ゆうてもわたしはティム・バートン版『バットマン』しか観てないのだけれども) まず、「ジョーカー」となるアーサー・フレックはなにひとつ積極的に悪をなしていない。集団で彼を暴行した男たち、「母親」、彼の苦境を招くモノを与えた元同僚に、たまたまそれを可能にする機会があったから復讐したというだけだ。元同僚の件に関しては、一緒に訪ねてきたもうひとりの元同僚を「君だけは優しかった」といって帰しており、彼の暴力が自分に危害を加えた人間への復讐であることは明白だ。彼を追い詰めた社会に対しても特に報復の意思があったわけではない。たまたま彼が拳銃を携行しているときに、理不尽な暴力を仕掛けてきて殺される羽目になった三人というのが、これまたたまたま格差社会の上の方にいたために、彼は反逆のシンボルに祭り上げられた。彼はなりゆきでジョーカーとなった。そしてそのジョーカーという名さえ、彼が自ら名乗ったものではなく、彼を笑いものにした、憧れのコメディアンが口にした名だ。彼は徹頭徹尾、消極的であるように見える。ところがアーサーには妄想・幻覚があり、ここで語られていることのすべてが著しく信頼性に欠けることが示唆されているということに留意すべきではあるだろう。ラストシーンの、病院("White Room" と関連あり?)でのカートゥーンめいた追いかけっこ、あれをどう考える? それにしても、アーサーを演じたホアキン・フェニックスの演技の凄まじさよ。設定・演出のアラも彼の演技の説得力で霞ませてるんじゃないの?とさえ。まだ考えるべきところ(まあどうだかわからんけれども彼の「受難と復活」のモチーフ、彼をかつて「抱擁」した」マレーが後に彼を「晒しものにする=裏切る」といった「裏返しのイエス・キリスト」的側面とかそのへん)は多々あるので、また観たいし、同時にほかのジョーカー登場映画も観るべきかなとも思ったり。


28日(木)

おめざ


アンパンマンのミニ蒸しパン(みるく味)。
アンパンで蒸しパンでみるく。あんこはない。

刻印はアンパンとバイキン×2


左のバイキンからいく。激しく甘い。ふたつ残す。




大根の皮のきんぴら、大根葉の軸とじゃこの炒めもの入り炒りたまご、出汁殻昆布の佃煮、白飯、鍋の残り味噌汁。

晩酌


焼酎の湯割り(梅干し入り)に、アテはふろふき大根(味噌を載せ過ぎてカラメルソースのかかった固めのカスタードプリンにしか見えない)。


29日(金)

一昨日いただいたコーヒー豆。


好みの深煎り。ありがたい。これに合わせるのは……昨日の残りのアンパンマン蒸しパン。ホットサンドトースターで焼いてみた。


なんだかわからない。

今日は大阪の国立国際美術館へ行くのだが、20時まで開館しているのでゆっくりめに出かけよう。昼は自宅で


炒飯、インスタントわかめ&しじみスープ。
具はたまごと大根葉の軸とじゃこの炒めたの。一昨日と昨日の残りごはんをぜんぶ使ったら、実質この2倍の量あった。当然完食して、出かける。

時間はたっぷりあるのだから、もちろん薔薇園を見ていくのだ。
スーヴニール・ドゥ・アンネ・フランク


バターカップ


スターリング・シルヴァー


ブルー・ムーン


シュネーヴィッチェン


マダム・シャルル・ソバージュ


メヴロー・ナタリー・ニペルス



で、国立国際美術館。


「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」(と「ジャコメッティとⅡ」)。
わたしはコーコーセー時分に新聞の土曜版だかなんだかの美術特集で気に入ったものをスクラップしていたのだけど、クリムトの「ダナエ」にやられた。大学入学したころに「分離派展」見に行ってエゴン・シーレ、アルフレート・クビーン、オスカー・ココシュカにまたやられた。あとアルフォンス・ミュシャとか、まあ、ああいうのが好きになる時期というのがあって、その時期に出会えるかどうかって問題があるような気がする。そのまま「好き」が維持できるかどうかも、ひとによるだろうな。中二病的な部分はあるような気がする。で、今回の展示でいちばんの衝撃は、アルノルト・シェーンベルクの絵があったことだ。肖像画ではなく、彼が描いた絵。そうか……絵、描いてたんだ。てことを知ったのであった。
エミーリエの肖像は撮影可であった。


「ジャコメッティとⅡ」は、ギャラリー・トークに途中から参加できた。一度観た展示だけど、キュレーターの意図を聴くことができてよかった。それと前回時間がなくて半分も観られなかった「フローラ」を、スクリーンの裏表で映し出されるインタヴューパートと再現ドラマパート、どちらもではないけれども観ることができた。ジャコメッティの恋人であったフローラ・メイヨの子息デイヴィッド・メイヨ氏が、ジャコメッティの彫刻を見て(であろう)、「これは母です。一目見てわかった」といった瞬間を、ドラマパートのほうで見ていたことが悔やまれる。
土産にはポストカード数葉とグレーの手ぬぐいを買った。クリムトのフィギュアとシューベルトの眼鏡トートバッグは悩んで悩んで悩んで、諦めた。

梅田でおでんとビールで一日終了。




30日(土)

いままで薄掛け布団にガーゼケットと綿毛布でしのいできたが、昨夜、あまりの寒さにその上にダウンジャケットを重ねた。冬布団にすればいいと思われるだろうが、天袋から引っ張り出してカバーをかけるほうが大変なんじゃ。で目覚めた朝。気温3℃。




くるみパン、コーヒー。

小さい用事を済ませてから出かける。今日は阪神競馬場へ。馬に投票しに行くのではない。


仁川で下車。インチョンではない。改札を出たら競馬場まで専用歩道を行く。
おうまさんがクリスマスの装い。


おうまさんはともかくとして、ここで「関西蚤の市」なるものが今日明日の二日間開催されているのを見に来たのだ。


これね。大盛況でしたね。現地で落ち合うことにしていた方と会えるんやろかという感じだったけど、わりとすんなり会えてよかった。




ベジミールスにワダをプラス。うまし。

アンティーク雑貨を中心に見て回った。わたしが見たいものにつきあわせてしまう形になって申し訳ないような気持ちもちびっと抱きつつ、見たいもの見てわたしは満足(鬼畜)。ほしいものは山のようにあったが、値段とか大きさ(電車で持って帰るわけだから)で折り合いがつかず、結局なにも買わなかったけれども、めちゃくちゃ楽しかった。次回もぜひ来ようと思う。

この後は三宮へ出て、古書店を2軒ハシゴ。1軒目で見つけてしまった。


E. J. H. コーナー『思い出の昭南博物館 占領下シンガポールと徳川侯』(石井美樹子 訳 中公新書)。だいぶ前に図書館で借りて読んだこの本が、2年前に読んだ塚谷裕一『ドリアン ― 果物の王』(これも中公新書)で紹介されていて、読み返したくなって、まあ図書館にはあるので借りればいいのだけど、環境が変わって通うのが少し面倒になったので、見つけたら買おうかなとゆるゆる探していたのだった。探し始めたころ、密林ではべらぼうな値段がついていて、いまは少し安くなってきているけれども1,500円が最安値。しかしこれ、


200円だったんだ! ありがとうありがとう! 清泉堂書店に連れてきてくださった方に拝謝しきり。これに懲りずまたおつきあいくださるとたいへんよろこびます。

2 件のコメント:

  1. >あとアルフォンス・ミュシャとか、まあ、ああいうのが好きになる時期というのがあって

    これ、なんとなく分かります。
    ミュシャとかビアズリーとかクリムトとかの、装飾が強い世紀末美術というか、この辺は二十歳前後くらいのときは自分もすごく好きでしたね。(まあ今でも好きなのですが、他の好きなものに比べると相対的に好き具合は下がっているかもです。)

    シェーンベルクは美術史の本の隅っこにちょこっと絵が載ってたりするので、絵を描いていたことは知ってましたが、実物を見たのは初めてなので(しかもマーラーの葬儀なので)何やら嬉しかったですね。

    「ジョーカー」はやたらと評判が良いのでいずれ見たいなと思っています。
    麩さんの感想を読んでさらに興味が湧きました。
    自分はバットマンシリーズは1作も見たことがないのですが、お話について行けるかな・・・?
    ホアキン・フェニックスは「ザ・マスター」の凄まじい演技を見て好きになった役者で、彼の演技も楽しみです。(良い役者だと思いますが、いつまでも「あのリバー・フェニックスの弟」扱いされているのが何だか不憫に思ったりも・・・。)

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    1. れぽれろさん、コメントありがとうございます。

      わたしは高校生のころにビアズリーとかミュシャとか好きになりました。いまでも好きは好きなんだけど、好き度は下がってるというか、好きが維持しきれませんでした(笑)。ちょっと気恥ずかしい感じもありますね。某呟き処でフォローしている方もミュシャがお好きになられてチェコまで見に行かれたそうですが、不思議に熱は冷めた、なんてことをおっしゃっていました。自分も含めてですが、なんでか一過性のものになっている人が多い気がします。

      シェーンベルクの絵にはびっくりしました。わたしは「描いてたんや!」というびっくりでしたけれども。

      『ジョーカー』はぜひごらんいただいて、感想をお聞かせいただきたいですねえ。わたしは一作しか見てませんけれども、バットマンとは無関係のものとして見て、とても面白いものだと思いました。ぜひぜひ!
      ホアキン・フェニックスがほんとうにほんとうに素晴らしかった。兄君と関係なく評価されてしかるべきと思います。

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