ケネス・クラーク『絵画の見かた』(高階秀爾 訳 白水Uブックス)読了。再読だけど、ただ漫然と絵を一個の全体として見たり、細部を楽しんでいただけのわたしに、絵を見ることは、見る者の積極的な参加を要求するものであるということを教えてくれた、大事な本。にしても、「もし偉大な作品が店のウインドーに飾ってあれば、時速三十マイルで走っているバスのなかからちらっと見ただけでもただちに感じ取れるようなものだと断言することができる」(p. 9)ような感性は、幼少のころから偉大な作品に親しんでいないと身につかないような気もする。絶対音感みたいな。そうした経験をもてなかったわれわれは相対音感的感性を研ぎ澄ますべく、こうした書物に導かれ、せっせと美術館に通って作品に相対するだけです。
絵画の見かた (白水Uブックス) ケネス・クラーク 高階 秀爾 白水社 2003-12-11by G-Tools |
2日(日)
昼
そろそろ腹具合も落ち着いてきたので、さば行ってみた。ちっと脂がきつかった。いきなりすぎたか。
夜、買いものに行ってきたのだけど、近所のスーパーのポイントカードが新しくなって、「Sポイント」というものがたまるらしい。よく行く酒屋では「Dポイントカードはお持ちですか」と尋ねられるようになったし。Tの独壇場であったポイント界になにやら野望が渦巻いている気配。
某呟き処でフォローしている方が「トラウマ児童書」というタグを作られたので、わたしのトラウマ児童書ってなんだろうと考えてみた。やはり松谷みよ子『ふたりのイーダ』だなあ。「イナイ、イナイ」と呟きながら、誰かを探している子供用の椅子、その最期。忘れられない。
ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ) 松谷 みよ子 司 修 講談社 2006-07-13by G-Tools |
4日(火)
木村泰司『名画の言い分』(ちくま文庫)読了。以下読メの感想転載。
「美術は見るものではなく、読むものです」「感性で近代以前の西洋美術を見ることなど不可能です」―のっけからパンチをくらわしてくださる。「そんなこといったって、読み方がわからないと」なんて弱音のひとつも吐きたくなるけれども、この本が簡にして要を得たガイドとなってくれる。一冊で2,400年の西洋美術史を網羅しようというのだから「その時代のエッセンスをつかむ」ことにポイントを絞った親切設計。美術館に出かける前におさらいするのにいい分量だ。表紙は美術館で説明を受ける子供たちの写真。この本を読む我々の姿をそこに見る。100点以上の図版が掲載されているけれども、小さくて、説明箇所が見にくかったりするのが難といえば難。とはいえ文庫だからしかたないことではある。
「私は、美術館でギリシアのギャラリーに入ると、まるでモデルエージェンシーにいるような感覚になり、ローマのギャラリーに入ると、今度はタレントエージェンシーにいるような気がいたします」(p. 72)ギリシアの彫刻が表現しているのは「美」、ローマの彫刻が表現しているのは「個性」ということを、こうしたわかりやすいたとえで説明してくれるのがいい。
名画の言い分 (ちくま文庫) 木村 泰司 筑摩書房 2011-06-10by G-Tools |
5日(水)
朝
トーストにラズベリージャム、ミルクティー。
昼
舞茸とマッシュルームと素干しオキアミの混ぜごはん、白菜のおひたし、インスタント味噌汁(豆腐とわかめ)。
午後、某所に用事で出かける。行って帰るだけなら2時間ですむところを、寄り道ばかりしていて3時間半。花は咲いてたし、野の草はびゅんびゅん伸びていたのだからしかたない。しかしわざわざカメラを持って出たのだから確信犯ではある。
二重らせんの遊具。
ヒメオドリコソウ。
ヒメオドリコソウとホトケノザが入り混じってる。どちらもシソ科でよく似てるんだよね。
スズメノエンドウいっぱい。カラスノエンドウとよく似てるけど、葉の形が違うし草姿はずっと小さい。まだ花は咲いてないけど、スズメノエンドウは白、カラスノエンドウはピンクなので、一目瞭然(ちなみにカスマグサという、両者の中間くらいの大きさの草もあり。「カ」ラスノエンドウと「ス」ズメノエンドウの「間」ということでカスマグサ、て……これの花は青紫で、花が咲いていれば見分けに苦労することはないですね)。
さくら。
さくらさくら。桜を「格別に」美しいとは思わない。雑草の小さい花も桜と同じほど美しい。とはいえ、サクラには量の迫力というものがある。
ハナニラ。
電柱撮ってたら、通りすがりのおばあちゃんに不審がられた。
日暮れ。
帰って砂鍋で豆ごはんを炊く。
炊きあがり。
おかずはちくピー炒め、おつゆはインスタント味噌汁(豆腐とわかめ)でした。
6日(木)
今日はいつもの散歩コースを歩く。ここにも桜が植えられているけれども、シダレザクラとサトザクラなので、まだ花の時期ではない。
シダレザクラは咲き始め。
サトザクラはもうすぐ。
レンギョウは花盛り。
ひとり咲くナルキッソス氏の後ろ姿。
キュウリグサも愛らしい花を咲かせていたけど、コンデジではちょっと難しい(いや技術の問題ですね、ごめんなさい)。それにしても、キュウリグサって名前はないよなあ、と呟いたところ、「キュウリグサと呼びたくないあまりに『忘れな草のちいさいの』と呼んでいます」と返信をいただいた。わたしもそうしようと思う。
8日(金)
朝
謎スープ(ちょっと残ったスープに水と具を足して、それが残ったらまた水と具を足しと、名店のかば焼きのタレのようになったスープ)。今回できっちりなくなった。よかった。
昼
ソーメン・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。
本と珈琲
辻原登『村の名前』(文春文庫)。あんまり珈琲に合わない(ならば飲み物はなにが合うのかというと、思いつかない)。
晩は
砂鍋でポーチドエッグをつくり、
茹でてバター炒めにしたほうれんそうにのっけたもの、マッシュトポテト、トースト。なにやら朝食のような夕食であった。
9日(日)
朝
某呟き処で見かけた「セブンの蒸しパンに切り目を入れてトースト」をやってみた。蒸しパンはセブンのではなくてタカキベーカリーのたまご蒸しパン。外カリの中フワで激ウマ。
食べたら出かける。
やっとこさ、行ってきたのだ。思っていた以上に充実していた。
で、例の顔出すヤツは「ユディット」。
これはわかる。解せんのは
こちらですね。生首ですよ?(でもやりたがる人多いんだろうなという気はする)
ご安心ください、おひとりさまでもご利用いただけます。
このあとは昼めしも食べずに、こちらへ。
写真が不自然に右に寄っているのは、左側で階段に腰かけてアイスを食べていた7人組を入れないように撮ったから。
こちらの特別展は「ハンガリーの名窯 ヘレンド」。じつはこの前の「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」を観るつもりだったのだけど、うっかりしていて行きそびれてしまった。でも、ヘレンド展、思った以上によかった。19世紀の色絵金彩なんて、たぶんお手本にした中国磁器の絵付けの方が、大ざっ……おおらかなんじゃないかと思うくらい緻密で美しかった。
ヘレンド展の記念撮影コーナー。
残念ながら、席にはつけません。
こちらは平常展も素晴らしい。現在は「安宅コレクション」が展示されていて、国宝の「飛青磁花生」もフツーに置いてあって興奮。閉館まで中国・韓国陶磁をガン見したのであった。
お昼を食べていないので、さすがに腹がすいた。とある店に久しぶりに行ってみようと、天満を目指して歩く。
いつも思うけど、大阪の人はめちゃくちゃ親切。道をたしかめようと道端の地図みてたら、おっちゃんが「ここ中崎通りで、こっちの方向が東北な。下、地下鉄通ってんねん」と教えてくれる。「天六ってこっちですか?」と聞くと、「そうそう、あっこに大きいマンションあるやろ、あのへんな。あそこ1階が碁の会所」って持てる情報を全入れで教えてくださる。ありがたい。
おいでやす通り(天五中崎り通商店街)を突っ切って行く。ここもよさそうな店がたくさんあるので、またこんど寄ってみよう。
む?怒りのプーチン大統領(?)
「勝手に自転車を置くなよ」の文字が見づらいのは
勝手に自転車を置かれているからであった。
そんな愉快な商店街を抜けて、天神橋筋を歩くこと数分、天満駅前の双龍居さんへ。
まずは豆腐干絲。これははずせません。ほかにきゅうりの叩き、海老団子、いかの湯引き、トマトとたまごの炒め煮で満腹。ビールも飲んじゃった。
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