21日(木)
この日、祇園祭の後祭に巡行する山鉾を見て回ったのをここに記録していたのだけど、少々長くなったので独立させました。( → 「祭散歩 2016」 )
22日(金)
仕事帰り、乗換駅近くのスーパーで鱈の切り身が安かったので買いもとめ、きのうのコルカノンに使ったマッシュポテトの余りを使ってフィッシャーマンズパイをつくった。
うめえ。
昨日今日と、なんだかブログにたくさんアクセスがあるので、なんだろうと思っていたけど、アレですね、大きなおともだちの大好物、NHKラジオ第1放送「夏休み子ども科学電話相談」がはじまったのですね。毎年、その日面白かったやりとりをまとめていたので、それでだ。今年は案外暇がないので、まとめられないかもしれない(し、やるかもしれない)(ちょっとどうなるかわからない)。
23日(土)
アサリを買い、砂をはかせるために塩水をつくろうとしたら、粗塩が切れかけてて、どうみても量が足りないので、もらいもののアルプスの岩塩でやってみたら、アサリたちがまったくリラックスしてくれない。
ちゃうのんか?岩塩はあかんのんか?
ちなみに、これが海水塩で浸けたときのアサリたち。
ほーら、こんなにものびのびしている(食ったけどね)。
それでもしばらくすると、岩塩で妥協するものが現れた。
ほかの奴らも、砂を吐いてはいるので、ごめん、みんな……煮る。
身ははずして酢味噌和えに。おいしくいただきました。合掌。
24日(日)
朝は昨夜のアサリの煮汁で、具なし味噌汁を丼1杯。
昼は「やたらにあるサバ缶消費プロジェクト」第2弾、ばらずしである。
まずはさば味つけ缶をフライパンに汁ごと入れて、ほぐしながら煮詰め、そぼろをつくる。
戻した干ししいたけをスライスして、戻し汁に砂糖、醤油、酒を加えたもので煮しめたものと、戻して細かく切ったかんぴょう、ささがきにしたごぼう、細切りにしたにんじん、縦に二つ割にして小口から切ったちくわを出汁と醤油、砂糖少々で炊いたものをつくっておく。
米を炊いて、米酢50㏄に塩小さじ1/2程度(米2合分の分量)をあわせたもの(鯖としいたけが甘いので、砂糖は不使用)をぶっかけ、 混ぜながらうちわであおいで冷ます。
さりげなく、愛用の黒主山のうちわです。ぜんぜんさりげなくないですかそうですか。
酢飯に具を混ぜて皿に盛り、さばそぼろを乗せ、その上に錦糸卵をまき、しいたけ、塩もみしたきゅうりを配置し、仕上げに刻んだ紅しょうがをぱらぱら。できました。
となりの真っ黒いのは、のりすい。
本とおやつ
試行錯誤していたけど、今回でりんごジュース寒天のレシピ完成かな。小鍋に水100㏄、粉寒天小さじ1/2を入れて火にかけ、2分間弱火で沸騰させる。別鍋で果汁100%のりんごジュース400㏄を温め、寒天の鍋に注ぎ入れ、粗熱がとれたら器に流し入れ、冷めたら冷蔵庫で冷やす。わたしは甘すぎるものが苦手なのでなにも足さないけど、もの足りない方は砂糖を足すとよいかもしれない。
25日(月)
朝は昨日のすし飯でオムライス。
酢飯を使うとケチャップが少しでいいので、べちゃっとしなくていい。具は和風ですけれども。
さて、食べたら今年初の「夏休み子ども科学電話相談」を聴くのだ。今日中にまとめられないけれども、またいずれやる予定。(やるのか?)
昼。
きのうの鯖そぼろ、すりごま、みょうが、きゅうり、針生姜、オクラ、塩抜きして刻んだ塩らっきょを乗せたそうめん。6束茹でて、そのうち1/3に油をからめておいて、夜に炒めそうめんにしようと思ったが、4束分も食べたらそら食べ過ぎですわ。夜になっても腹が減らないので困った。(ほどを知れ)
27日(水)
朝
フレンチトースト。
固くなったバゲットを適当な厚さに切って、まず牛乳にさっと浸し、次に溶きたまごをからめ、バターをひいたフライパンで焼く。このあと塩胡椒なりシロップなりで好きに味つけ。今回ははちみつをかけた。
午前中は当然「夏休み子ども科学電話相談」。 きょうも面白かった。
昼は「やたらにあるサバ缶消費プロジェクト」番外編、オイルサーディン丼。
適当につくった割にはうまかった。フライパンにオイルサーディンを油ごと入れて火にかけ、両面焼いたところに味つけぽん酢をジャーッと注いで、少し煮て酸味を飛ばし、器に盛ったごはんに乗っけて刻みネギを多めにまいて完成。これにオクラとみょうがの冷やし胡麻汁、きゅうりの昆布茶漬け。
夜、風呂からあがって、残り湯をバケツで汲んで洗濯機に移し、さらに残った湯で浴槽および浴室を掃除、そのあとベランダを流したら大汗かいて、風呂上りに着たものを脱いで洗濯機に放り込んで汗を拭き、また着替える。ああ夏だなあと思う(が、どこかにたいへんな無駄があるような気がしてならない)。
29日(金)
本日はお休みなのである。朝、ベランダ産ミニトマト収穫。
ほったらかしなのに、甘く育ってくれるよいこである。
朝食はバナーナパンケーキであった。
ちょっと焦げた。
本日も「夏休み子ども科学電話相談」をたのしみ、しっかり聞き終わってから、本来ならば午前中にすませておきたい用で出かける。馬鹿ですね。
すぐに帰ってくるはずが、途中ホームセンターに寄って苗をガン見するなどしていて、帰宅したら午後3時をまわっていた。すでにパンケーキの養分は切れている。というわけで、10分で昼ごはんの準備。
冷やし茄子そうめん。10分で、といっても茄子は蒸したのを冷やしてあったからできたのであって、茄子を蒸すところからはじめていたら、腹が減って倒れていたであろう。そうめんを茹でて冷水で締め、水を切って塩味をつけ(今回はクレイジーソルトを使用)、蒸し茄子を包丁でたたいてオリーブオイルと塩胡椒で味つけしたのを乗せるだけ。うまいよ。
30日(土)
「アルプスの少女ハイジ」のおじいさん、または「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長的な長い白ヒゲの人って、Tシャツと短パン姿、というか軽装一般が似合わないなと思いました。(今日そんな人が猛然と自転車をこいでいるのを目撃)(しかもその人マスクしてて白ヒゲがマスク周りにはみだしてそよいでた)
今年初の「日本式カレーが食べたい期」がきたので、明日はカレーにしよう。玉ねぎ、セロリ、ピーマン、じゃがいもはある、にんじんはないけどどっちみち買わないといけないし、野菜はそれでいいとして、あとは、トマト水煮缶あるし、あっ、賞味期限がとっくに切れた生クリームがあるから、これ使ってしまおう(使えるようなら)。メイン具材は……はっ、サバ缶!サバカレーか!ていうか今やるのか!まあいい、思いついたが吉日!
31日(日)
朝、パンをトーストしようと出してみた。
買ったときには気づいてなかったけど、妙な形してるな、これ。なんだこのクビレは。まあいい。こいつを網で焼きまして、
茄子を塗ります。茄子はおとといのそうめんに使ったものの残り。
昼は「やたらにあるサバ缶消費プロジェクト」第3弾、サバカレー。
おいしくできましたよ。それも鍋一杯。どうすんだ。
2016-07-31
祭散歩 2016
7月21日、仕事帰りに祇園会後祭の山鉾を見に行ったので、写真とともにご紹介しましょう。(日記として書いていたのだけど、長くなりすぎたので独立させました)
前祭は人の多さもあってぜんぶ回り切れなかったのだけど、今回は大船鉾→南観音山→北観音山→八幡山→役行者山→黒主山→浄妙山→鯉山→橋弁慶山→鈴鹿山の順に、ぜんぶ回ることができた。
一昨年、150年ぶり(蛤御門の変で焼失したんだって)に復興した大船鉾。
今年は焼失した龍頭も復活。カッコイイ。
南観音山。
飛天の原画は加山又造だって。
北観音山。
破風下の雲鶴すごい。
八幡山。
鳥居の鳩は当日乗るのですね。
町内の家々にかけられているこの幕、めちゃめちゃかわいい。
役行者山。
龍!龍カッコイイ!
黒主山。
この桜を
大伴黒主が見上げるのですね。懸装品のゴーカなこと。あ、そうだ、厄除けのちまきとは別に、ここでは食べられるちまきも売っている。買ったことないけど。わたくし黒主山のロゴが好きで、なんとなーくグッズが集まったりしているのだが、そういえばエアコンなし時代の夏は、ここのうちわで乗り切ってきたのだ。
これね。まあ扇風機もあるけど、気分がいいですね。
浄妙山。
胴懸がエキゾチック。
進入禁止(だったと思う)の立て札の裏。
「常明山」という表記もあるのですね。
鯉山の鯉と見送。
見送はベルギー製のタペストリー(16世紀のもの)。
ちなみにこの鯉のナニカは、鯉山でなく黒主山のところにある。
なにかは知らない。
橋弁慶山の御神体。
弁慶と牛若丸ですね。
橋弁慶山から鈴鹿山へ向かう途中
ハシブト雛さんがしきりにちょうだいちょうだいしていたが、次の瞬間
親逃げた……
鈴鹿山。
会所の前では、中でお子たちがヤケクソのようにグッズを売る声が、スピーカーを通して聞こえてくるのであった。以前は通りに面したところでグッズ売ってた気がするんだけど。
(後日宵山もぶらぶら歩いたけれども、後祭は屋台の出店はないからかどうかは知らないが、人出は前祭よりも少ないような気がする。というか前祭、人多すぎ)
帰宅して、たくさん頂いたじゃがいもとキャベツでコルカノン(マッシュポテトに茹でて刻んだキャベツと青ネギの刻んだの混ぜたもの)をつくって晩めしとした。歩き回ったのでビールがうまい。写真はない。別に祭を撮りすぎたからではなく、単に腹が減りすぎて、余裕がなかったのであった。
前祭は人の多さもあってぜんぶ回り切れなかったのだけど、今回は大船鉾→南観音山→北観音山→八幡山→役行者山→黒主山→浄妙山→鯉山→橋弁慶山→鈴鹿山の順に、ぜんぶ回ることができた。
一昨年、150年ぶり(蛤御門の変で焼失したんだって)に復興した大船鉾。
今年は焼失した龍頭も復活。カッコイイ。
南観音山。
飛天の原画は加山又造だって。
北観音山。
破風下の雲鶴すごい。
八幡山。
鳥居の鳩は当日乗るのですね。
町内の家々にかけられているこの幕、めちゃめちゃかわいい。
役行者山。
龍!龍カッコイイ!
黒主山。
この桜を
大伴黒主が見上げるのですね。懸装品のゴーカなこと。あ、そうだ、厄除けのちまきとは別に、ここでは食べられるちまきも売っている。買ったことないけど。わたくし黒主山のロゴが好きで、なんとなーくグッズが集まったりしているのだが、そういえばエアコンなし時代の夏は、ここのうちわで乗り切ってきたのだ。
これね。まあ扇風機もあるけど、気分がいいですね。
浄妙山。
胴懸がエキゾチック。
進入禁止(だったと思う)の立て札の裏。
「常明山」という表記もあるのですね。
鯉山の鯉と見送。
見送はベルギー製のタペストリー(16世紀のもの)。
ちなみにこの鯉のナニカは、鯉山でなく黒主山のところにある。
なにかは知らない。
橋弁慶山の御神体。
弁慶と牛若丸ですね。
橋弁慶山から鈴鹿山へ向かう途中
ハシブト雛さんがしきりにちょうだいちょうだいしていたが、次の瞬間
親逃げた……
鈴鹿山。
会所の前では、中でお子たちがヤケクソのようにグッズを売る声が、スピーカーを通して聞こえてくるのであった。以前は通りに面したところでグッズ売ってた気がするんだけど。
(後日宵山もぶらぶら歩いたけれども、後祭は屋台の出店はないからかどうかは知らないが、人出は前祭よりも少ないような気がする。というか前祭、人多すぎ)
帰宅して、たくさん頂いたじゃがいもとキャベツでコルカノン(マッシュポテトに茹でて刻んだキャベツと青ネギの刻んだの混ぜたもの)をつくって晩めしとした。歩き回ったのでビールがうまい。写真はない。別に祭を撮りすぎたからではなく、単に腹が減りすぎて、余裕がなかったのであった。
2016-07-23
【Archives】 喜ばしき芋づる式読書――カポーティ→キャザー
2年前、他所で書いた記事ですが、本日、わたしが敬愛する方が、わたしの愛する作家の本を購入されたというので、うれしくなって再掲しちゃったりします。
テーマ:本のこと
たぶんどなたもにわかにはお信じになれないだろうが、わたしがブログを始めた理由は、本の感想を書こうと思ったからなんですごめんなさい(糾弾されるまえに謝る)。
もともとは備忘録として読書メーターに登録して、せっかく読んだ本を記録するんなら感想も書いておこうと思い、書いてみるとこれが字数制限があって、思ったことぜんぶは書ききれない。
(余談だが、字数制限があるときっちりその字数で書くという遊びをやりたくなる性分で、読書メーターの感想は1冊をのぞいてすべて280文字で書いている。ちなみにその例外の1冊の使用文字数は、句点を含めて2文字。)
(余談ついでに、じつは読書メーターのほうの感想も滞っていることをご報告いたします)
ということで、基本的に無制限に好き勝手書きたくなっていたところに、ちょうど誘ってくれた人もあり、ブログを始めたのだった。
さてこれがはじめてみると、ぜんぜん書けない。引越し前のブログも含めて……えっ、ちょっと待て、引越し後に感想文1本しか書いてないぞ(いま調べた)。くだらないことばかり思いついてはすぐそっちを書いてしまうという悪癖もあるのだけど、なにかを読むと、いままでに読んだ別の本の記憶があれやこれやよみがえって、書く前にそっちのほうを確認しないと、と思い出した本を読みはじめてしまう。これがいけない。その本を読むと、さらに別の本が急浮上してくるというね。
とまあ、そんな毎日なんだけど、最近ちょっと面白い感じで芋づった(どんな動詞や)のだ。
ある方の記事にコメントして、応酬するかたちでカポーティのことに触れることになって、そしたらカポーティが読みたくなった。カポーティはわたしの大好きな作家なのだが、しばらく読んでいなかった。というわけで、エッセイ集 Portraits and Observations: The Essays of Truman Capote を読んでいるのだ。
なんせ500ページもあるのでお楽しみが長続き。テキトーに開いたページを読んだりしているのだが、さすがはカポーティ、これ以外にありえない完璧な文章。すごいなあ、いいなあ、これ日本語にうつしかえてみたいなあ、なんてつい思ってしまう。しまうのだが、そげんおそろしかこつ……とか思いつつ目次を見ていて、あることを思い出した。これまた芋づったときのことだ。
この本には、カポーティが死の前日に書き始めた未完のエッセイが収録されている。わたしはこれを、大学図書館の書庫の中で読んだ。
それは18歳のカポーティと、彼の文学上のアイドルである作家との偶然の出会いを描いたもの。これを読んで、わたしはその作家の本を読んでみたいと思ったのだった。
その作家の名前は知っていた。少し前にキャプテン・イグロ(古!ていうかどのくらいの人に伝わるのか)に激似の米人教授の授業で取り上げられ、その作家のたぶん一番有名な本の、一番有名な箇所を読んだ。そのときは、ぜんぜんピンとこなかったんだな、これが。
というわけで、その作家のことはそれっきり思い出すこともなかったのだけど、ある日書庫内で、なんか面白そうなもんないかいな、と物色していて、モダン・ライブラリ版のカポーティをぱらぱらめくっていたら、その作家の名前が目にとまった。へー、カポーティと交流があったのか、と思い、ちょっと読んでみたのだ。
カポーティの文章の魅力もあるのかもしれないが、それに描かれたその作家はなんとも魅力的で、なによりあの口の悪いカポーティが「大好きだ」というのだから、これは読んでおくべきではないか、とそのまま書庫の別の場所へ移動して、その作家の全集から、カポーティが名前を挙げていた本を引っ張り出し た。
そのとき以来、その作家はわたしのお気に入りとなったのだった。
その作家の名は、ウィラ・キャザー。わたしがその書庫で読んだカポーティのエッセイは "Remembering Willa Cather" というタイトルで、その出会いの場面はこんなふうだ。
大雪の日の夕方、18歳のカポーティは、調べものをするために利用していた図書館を出たところで、館内で時折見かける、青い眼の印象的な年配の女性が、タクシーを呼ぼうとしているのに気づいて、彼女を手伝おうとする。ところが雪のせいか車通りがほとんどなく、あきらめて歩いて帰るという彼女を家まで送ることにする。途中、お茶でもどうかと誘われ、ロンシャンのテーブルにつく。そこであれこれ話をするうちに、作家志望であることを口にしたカポーティに、彼女はどんな作家が好きなのか尋ねる。彼はアメリカの作家ではヘンリー・ジェイムズ、マーク・トウェイン、メルヴィルが好きで、と答え……ちょっとくらいならいいかな、訳しても。
そのあと店を出て、パーク・アヴェニューのキャザーの住居に着いたとき。
カポーティはスーツを新調して、短篇を三つタイプしなおし、木曜日の7時きっかりにキャザーを訪ねたのだった。エッセイはこのあと、キャザーがパートナーと住む部屋に彼が招き入れられたところで中断してしまっている。キャザーがカポーティの作品をどう評したのかすんごく知りたいんだけど。まあ悪かったはずはない。そのあとこの齢の離れたふたり(このときキャザー71歳)は親友になったのだから。
この出会いについてカポーティは別のところでも少し触れている。こちらには翻訳があるので、もしよろしければ、『カメレオンのための音楽』所収の「夜の曲がり角」をお読みいただけたりしたならば、ふたりのファンのわたしとしては、うれしいことこのうえなし、なのだ。
テーマ:本のこと
たぶんどなたもにわかにはお信じになれないだろうが、わたしがブログを始めた理由は、本の感想を書こうと思ったからなんですごめんなさい(糾弾されるまえに謝る)。
もともとは備忘録として読書メーターに登録して、せっかく読んだ本を記録するんなら感想も書いておこうと思い、書いてみるとこれが字数制限があって、思ったことぜんぶは書ききれない。
(余談だが、字数制限があるときっちりその字数で書くという遊びをやりたくなる性分で、読書メーターの感想は1冊をのぞいてすべて280文字で書いている。ちなみにその例外の1冊の使用文字数は、句点を含めて2文字。)
(余談ついでに、じつは読書メーターのほうの感想も滞っていることをご報告いたします)
ということで、基本的に無制限に好き勝手書きたくなっていたところに、ちょうど誘ってくれた人もあり、ブログを始めたのだった。
さてこれがはじめてみると、ぜんぜん書けない。引越し前のブログも含めて……えっ、ちょっと待て、引越し後に感想文1本しか書いてないぞ(いま調べた)。くだらないことばかり思いついてはすぐそっちを書いてしまうという悪癖もあるのだけど、なにかを読むと、いままでに読んだ別の本の記憶があれやこれやよみがえって、書く前にそっちのほうを確認しないと、と思い出した本を読みはじめてしまう。これがいけない。その本を読むと、さらに別の本が急浮上してくるというね。
とまあ、そんな毎日なんだけど、最近ちょっと面白い感じで芋づった(どんな動詞や)のだ。
ある方の記事にコメントして、応酬するかたちでカポーティのことに触れることになって、そしたらカポーティが読みたくなった。カポーティはわたしの大好きな作家なのだが、しばらく読んでいなかった。というわけで、エッセイ集 Portraits and Observations: The Essays of Truman Capote を読んでいるのだ。
Portraits and Observations: The Essays of Truman Capote (Modern Library Paperbacks) Truman Capote Modern Library 2008-11-11by G-Tools |
なんせ500ページもあるのでお楽しみが長続き。テキトーに開いたページを読んだりしているのだが、さすがはカポーティ、これ以外にありえない完璧な文章。すごいなあ、いいなあ、これ日本語にうつしかえてみたいなあ、なんてつい思ってしまう。しまうのだが、そげんおそろしかこつ……とか思いつつ目次を見ていて、あることを思い出した。これまた芋づったときのことだ。
この本には、カポーティが死の前日に書き始めた未完のエッセイが収録されている。わたしはこれを、大学図書館の書庫の中で読んだ。
それは18歳のカポーティと、彼の文学上のアイドルである作家との偶然の出会いを描いたもの。これを読んで、わたしはその作家の本を読んでみたいと思ったのだった。
その作家の名前は知っていた。少し前にキャプテン・イグロ(古!ていうかどのくらいの人に伝わるのか)に激似の米人教授の授業で取り上げられ、その作家のたぶん一番有名な本の、一番有名な箇所を読んだ。そのときは、ぜんぜんピンとこなかったんだな、これが。
というわけで、その作家のことはそれっきり思い出すこともなかったのだけど、ある日書庫内で、なんか面白そうなもんないかいな、と物色していて、モダン・ライブラリ版のカポーティをぱらぱらめくっていたら、その作家の名前が目にとまった。へー、カポーティと交流があったのか、と思い、ちょっと読んでみたのだ。
カポーティの文章の魅力もあるのかもしれないが、それに描かれたその作家はなんとも魅力的で、なによりあの口の悪いカポーティが「大好きだ」というのだから、これは読んでおくべきではないか、とそのまま書庫の別の場所へ移動して、その作家の全集から、カポーティが名前を挙げていた本を引っ張り出し た。
そのとき以来、その作家はわたしのお気に入りとなったのだった。
その作家の名は、ウィラ・キャザー。わたしがその書庫で読んだカポーティのエッセイは "Remembering Willa Cather" というタイトルで、その出会いの場面はこんなふうだ。
大雪の日の夕方、18歳のカポーティは、調べものをするために利用していた図書館を出たところで、館内で時折見かける、青い眼の印象的な年配の女性が、タクシーを呼ぼうとしているのに気づいて、彼女を手伝おうとする。ところが雪のせいか車通りがほとんどなく、あきらめて歩いて帰るという彼女を家まで送ることにする。途中、お茶でもどうかと誘われ、ロンシャンのテーブルにつく。そこであれこれ話をするうちに、作家志望であることを口にしたカポーティに、彼女はどんな作家が好きなのか尋ねる。彼はアメリカの作家ではヘンリー・ジェイムズ、マーク・トウェイン、メルヴィルが好きで、と答え……ちょっとくらいならいいかな、訳しても。
「それからぼく、ウィラ・キャザーが大好きなんです。お読みになりましたか、あのすばらしい中篇、『失われた婦人』、それに『わが不倶戴天の敵』を?」
「ええ」彼女はお茶を飲み、少しそわそわした様子でカップを置いた。なにか考えているようだった。「申し上げないといけないことが」といって言葉を切り、それから急きこむように小声で、「それ、わたしが書いたの」
呆然とした。俺は阿呆か。寝室に写真が飾ってあるってのに。決まってるだろウィラ・キャザーだよ! この曇りのない空色の瞳。このショートカットの髪。角ばった顔にがっしりした顎。もう笑えてくるやら泣けてくるやら。
そのあと店を出て、パーク・アヴェニューのキャザーの住居に着いたとき。
「さてと、ここがわたしのうちよ」彼女はそういって、それから唐突に言葉を継いだ。「もしも木曜日、ほかに夕食のお約束がおありでなければ、7時にお待ちしてます。あなたの書いたもの、いくつかお持ちになってね――読んでみたいの」
カポーティはスーツを新調して、短篇を三つタイプしなおし、木曜日の7時きっかりにキャザーを訪ねたのだった。エッセイはこのあと、キャザーがパートナーと住む部屋に彼が招き入れられたところで中断してしまっている。キャザーがカポーティの作品をどう評したのかすんごく知りたいんだけど。まあ悪かったはずはない。そのあとこの齢の離れたふたり(このときキャザー71歳)は親友になったのだから。
この出会いについてカポーティは別のところでも少し触れている。こちらには翻訳があるので、もしよろしければ、『カメレオンのための音楽』所収の「夜の曲がり角」をお読みいただけたりしたならば、ふたりのファンのわたしとしては、うれしいことこのうえなし、なのだ。
カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫) トルーマン カポーティ Truman Capote 早川書房 2002-11by G-Tools |
2016-07-20
日々雑記 2016 Jul. #2
11日(月)
朝
昨日焼いたパン、ベランダ産ミニトマト、オレンジマーマレード、コーヒー、ゆずジャム寒天。
以前利用していたブログサービスで読ませていただいていたブログは、いまでも読ませていただいている。めったにコメントしたり足あとを残したりはしてないけれども、記事が更新されるのをたのしみに待っている。そのなかで、ひょっとしてこれ、わたしのことなのかな、なんて思ってしまった部分があって……まあ、自意識過剰ってヤツなんだけど、それはそれとして、とくにことばをかけるでもなく見てくれている人はきっといるのだろうな。わたしもそうだから。
買い物に行かずにできるもので、昼めし。
まぐろ味つけ缶詰としいたけの混ぜごはん、きゅうりとわかめの酢の物、玉ねぎの味噌汁。
12日(火)
せっかくなので山鉾を撮ろうと、本日はカメラを持って出勤。朝はまだ骨組みだった長刀鉾が、昼にはこう。
なぜ朝の状態を撮っていないかというと、遅刻しそうだったからだ!(なにを偉そうに)
帰り道はゆっくり見て回る。長刀鉾→函谷鉾→月鉾→菊水鉾の順に回った。
駒形提灯取り付け中の函谷鉾。
町内のうどん屋さんは、お祭り休業。
わたくし、たまにここできつねうどん食べてます。冬はカレーうどんがおいしいです。
雨の中、作業が続く菊水鉾。
今日はここまで。
弁当にふたつもっていったおむすび、食欲がなくてひとつ残して帰ったことを夜中に思い出し、鞄から取り出して三口食べたところで糸を引いていることに気づく。暑い中、けっこう歩き回ったからな……
13日(水)
明日提出する仕事、休み休み休み休み休みしているが、疲れる。いちおう日付が変わる前に完成。
14日(木)
昨日完成した仕事、半分家に置き忘れていったため、明日届けることに……バカ。笑って許してくれて、ほんとうにありがとうございました。
夜、作業中に停電。データがとんだ~屋根までとんだ~屋根までとーんでないけどこーわーれーてー消ーえーた~……ベランダに出て外を見たら、ウチだけでなく、一帯が真っ暗。なんだろう。5分ほどで復旧。データよ~もーどーれ~(もどらない)
15日(金)
某所での仕事を終えてから、昨日忘れたブツを提出に行く。ここも交通の便があまりよろしいとはいえないが、駅まで歩いて20分なので、歩いて帰ることにする。途中、道端に生えていたペパーミントとスペアミントをちぎって持ち帰る(だれかの家の敷地でないことは確認しました)。家に着いた頃にはぐったりしていたけど、水に浸けるとピンピンしたので、コップに挿しておく。
『白夜の爺スナイパー』読了。アレ問題は、そうきたか、ということで煙はグレーかな。アレがなにかは、やはりいうわけにはいかない。これ、タイトルと紹介文から想像されるようなコミカルなミステリー、もしくはジジイ大活躍アクションではなく、狙いは別のところにある。取り返しのつかない過去(それは彼自身の過去でもあり、彼が属する民族の経験した過去でもある)と日々向き合う爺さんに与えられたセカンドチャンスの物語だ。だとしても、サスペンス部分があっさりしすぎていたり、ツッコミを入れざるを得ないご都合主義的部分(「あいつどこにおって、どっからそんなもん持ってきたんや?」みたいな)があるのは残念で、そのあたりが丁寧に描かれていれば、もっと楽しめたと思う。
日没後の空。
16日(土)
本日より電車内読書はスティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(岸本佐知子 訳 河出文庫)。ウォルター・ローガン・ホワイトが再発見した(らしい)、彼の小学校時代の同級生、ジェフリー・カートライト(現在行方知れず)が13歳の時に出版した、彼の幼馴染であり、11歳で夭折した天才作家、エドウィン・マルハウスの伝記(ホワイトいわく、「東西の伝記史上に残る一大傑作」)という体裁の小説。これだけでもうすでに怪しいニオイが芬々と。心してかかるべし。
今日は仕事帰りに宵山に突入、12日に回れなかった山鉾を見て回ろうと思う。まだ歩行者天国ははじまっていない時間帯だが、すでにすごい人出。
鶏鉾→白楽天山→綾傘鉾→船鉾→岩戸山→太子山→木賊山→油天神山→芦刈山→伯牙山→郭巨山→四条傘鉾→蟷螂山→放下鉾→霰天神山→山伏山→占出山の順に回る。ちょっと離れた保昌山と、裏道を通ったため行き過ぎて、歩行者一方通行制および人の多さに戻るのが面倒になった孟宗山は見てません。
本日の写真。
船鉾。
間近で見るのははじめて。刺繍が立体的。
船の舵は螺鈿細工。
芦刈山の前懸は、山口華楊のライオン。
胴懸もかわいい。
途中、屏風祭も見学。
郭巨山。おじさんがいい位置に。
なるべく人が写り込まないようにしているけど、これは切るにしのびない。どこのどなたか存じませんが、フォトジェニック大賞を差し上げたいくらい。
みんな大好き蟷螂山。
今回一番の交通の難所、放下鉾。
この脇を通り過ぎるのに20分はかかった。わたしの真後ろでは、退屈した男子小学生が延々「いや~んいや~んいや~ん」と言い続け(学校で流行っているらしい)、真横ではグッズ売りのやたら弁の立つ兄ちゃんが「放下鉾を見上げるのもいいですが、目の前にある手ぬぐい、ストラップに目を向ける、そういうのも僕はありだと思うんですよ!どうですか、この放下鉾のふくろうの手ぬぐい!かわいい!女の子にもウケがいい!」とお薦めしまくる地獄。
ちなみにこれがその放下鉾の手ぬぐい。今回お薦めに乗せられて買ったわけではなく、以前購入したものですよ。
土産にするとすこぶる評判よし。
放下鉾の渋滞に巻き込まれながらも、そんなんアリなん!?と驚きのあまり撮った、食べ歩き用カプレーゼ串。
はじめて見た。しかし、写真には撮らなかったけど、1本漬けきゅうり串の屋台もあった。いいのだろうか。(※断面が八坂神社の紋に似ているため、祭の期間はきゅうりを食べることを避ける人もいる。縦に切ったら大丈夫とかいう人もいる。とんち合戦か。)
山伏山の御神体。
前日はお隣に、はるばる熊本よりのお客様、くまモンさんがいらしたそうで。
さて帰ろう。途中、どこかの通り(ウロウロしすぎてどこだったか覚えていない)でウサギと芝エビ、二種のパエリヤを大鍋で焼いてたのがめちゃめちゃ美味しそうで、芝エビのほうを買った。それだけにしとけばいいのに、ホコ天の屋台で目玉焼きのせ大盛焼きそばを買い食い。これがものすごい量の麺に対し、キャベツ4切れニンジン2切れ玉ねぎ1切れで、もう腹一杯。パエリヤは明日食べることにして、ウチに持ち帰る。
18日(日)
朝、食べようと思っていたパンがカビていて、なにを食べようか小一時間悩んでしまった。結局オレンジとゴールデンキウイにはちみつをかけ、こないだちぎってきたペパーミントを乗せたのと、紅茶にした。
オレンジもキウイも甘くて、はちみつは余計だった。
昼
麦飯、ごぼうとにんじん入り炒り豆腐、キャベツと魚肉ソーセージの辛子和え、たまねぎとわかめの味噌汁。
夜は昨日のパエリャをあたためたのと、ヱビス。
白インゲンとサヤインゲンが入ってる。パリパリのエビもいいけど、このダブル豆がおいしい。
18日(月)
長刀鉾解体中。
今回は出勤時に撮れた。
夜、なんだか膝がこそばゆいと思ったら、キイロテントウが膝の上を歩いてた。キイロテントウは菌食のテントウムシで、ウドンコ病菌を食べる。ベランダの衆のために来てくれたのだね。歓迎する。しかしわたしの膝でなく、ベランダを巡回してくれたらありがたいのだが、とか思っていたら、膝小僧の上で動きを止めて10分が経過した。そこで泊まっていくのか。それはわたしが困る(眠れない)。つまむのは難しいので、書類の端をテントウムシと膝の間に差し入れ、紙に乗せてベランダへ出て、ミニトマトの葉の上に安置した。いまのところ、どの植物にもウドンコ病は発生していないのだけど、がんばってほしい。そういえば、青じそにハダニがついて悩んでいるのだった……ハダニ食ってくれないかな。くれないな。
19日(火)
ものによっては、短いからこそいいものもある。短さが絶妙なバランスを生み、かつ受け手の想像力を許す余地を生む(短いものの「よさ」は、多分に受け手の側の問題だという気がする)。ごく短いエピソードを長編映画に仕立てて成功した例ってどれだけあるのだろう。ボルヘスの「裏切りと英雄のテーマ」をもとにつ くられたベルトルッチの『暗殺のオペラ』くらいしか思いつかない。たいてい水増しされて薄い薄いどうしようもないものになるか、そうでなければ妙な感傷が盛られてべたべたと嫌な甘さが残るものになっている気がする。その両方である場合もあって、これが恐ろしい。なにとはいわないけど、実際にあった心温まるエピソードみたいなものを映画化したものによくあゲフンゲフン、危ない危ない。
20日(水)
本日は休み。昼めしは「やたらにあるサバ缶消費プロジェクト」第1弾。
ねぎで見えないけど、キャベサバ丼。フライパンでキャベツを炒めたところにサバの味噌煮缶を汁ごと加え、へらでサバをほぐしながら炒めて仕上げにラー油をふって、ごはんに乗っける。うまいですよ。某呟き処で写真上げたら、たくさんのサバ缶レシピをいただいた。これはサバ缶を買い足さないと。(本末転倒)
あと、やたらにある「いなばのツナとタイカレー」缶消費プロジェクトも立ち上げました。皆さまのレシピをお待ち申し上げております。
食後にベトナムコーヒー。
コンデンスミルクじゃなくて、普通の牛乳で。
夜、自家製酵母パンを焼く。
今回はオリーブオイル使用。ちょっといびつな形になった。
いただきます。
朝
昨日焼いたパン、ベランダ産ミニトマト、オレンジマーマレード、コーヒー、ゆずジャム寒天。
以前利用していたブログサービスで読ませていただいていたブログは、いまでも読ませていただいている。めったにコメントしたり足あとを残したりはしてないけれども、記事が更新されるのをたのしみに待っている。そのなかで、ひょっとしてこれ、わたしのことなのかな、なんて思ってしまった部分があって……まあ、自意識過剰ってヤツなんだけど、それはそれとして、とくにことばをかけるでもなく見てくれている人はきっといるのだろうな。わたしもそうだから。
買い物に行かずにできるもので、昼めし。
まぐろ味つけ缶詰としいたけの混ぜごはん、きゅうりとわかめの酢の物、玉ねぎの味噌汁。
12日(火)
せっかくなので山鉾を撮ろうと、本日はカメラを持って出勤。朝はまだ骨組みだった長刀鉾が、昼にはこう。
なぜ朝の状態を撮っていないかというと、遅刻しそうだったからだ!(なにを偉そうに)
帰り道はゆっくり見て回る。長刀鉾→函谷鉾→月鉾→菊水鉾の順に回った。
駒形提灯取り付け中の函谷鉾。
町内のうどん屋さんは、お祭り休業。
わたくし、たまにここできつねうどん食べてます。冬はカレーうどんがおいしいです。
雨の中、作業が続く菊水鉾。
今日はここまで。
弁当にふたつもっていったおむすび、食欲がなくてひとつ残して帰ったことを夜中に思い出し、鞄から取り出して三口食べたところで糸を引いていることに気づく。暑い中、けっこう歩き回ったからな……
13日(水)
明日提出する仕事、休み休み休み休み休みしているが、疲れる。いちおう日付が変わる前に完成。
14日(木)
昨日完成した仕事、半分家に置き忘れていったため、明日届けることに……バカ。笑って許してくれて、ほんとうにありがとうございました。
夜、作業中に停電。データがとんだ~屋根までとんだ~屋根までとーんでないけどこーわーれーてー消ーえーた~……ベランダに出て外を見たら、ウチだけでなく、一帯が真っ暗。なんだろう。5分ほどで復旧。データよ~もーどーれ~(もどらない)
15日(金)
某所での仕事を終えてから、昨日忘れたブツを提出に行く。ここも交通の便があまりよろしいとはいえないが、駅まで歩いて20分なので、歩いて帰ることにする。途中、道端に生えていたペパーミントとスペアミントをちぎって持ち帰る(だれかの家の敷地でないことは確認しました)。家に着いた頃にはぐったりしていたけど、水に浸けるとピンピンしたので、コップに挿しておく。
『白夜の爺スナイパー』読了。アレ問題は、そうきたか、ということで煙はグレーかな。アレがなにかは、やはりいうわけにはいかない。これ、タイトルと紹介文から想像されるようなコミカルなミステリー、もしくはジジイ大活躍アクションではなく、狙いは別のところにある。取り返しのつかない過去(それは彼自身の過去でもあり、彼が属する民族の経験した過去でもある)と日々向き合う爺さんに与えられたセカンドチャンスの物語だ。だとしても、サスペンス部分があっさりしすぎていたり、ツッコミを入れざるを得ないご都合主義的部分(「あいつどこにおって、どっからそんなもん持ってきたんや?」みたいな)があるのは残念で、そのあたりが丁寧に描かれていれば、もっと楽しめたと思う。
日没後の空。
16日(土)
本日より電車内読書はスティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(岸本佐知子 訳 河出文庫)。ウォルター・ローガン・ホワイトが再発見した(らしい)、彼の小学校時代の同級生、ジェフリー・カートライト(現在行方知れず)が13歳の時に出版した、彼の幼馴染であり、11歳で夭折した天才作家、エドウィン・マルハウスの伝記(ホワイトいわく、「東西の伝記史上に残る一大傑作」)という体裁の小説。これだけでもうすでに怪しいニオイが芬々と。心してかかるべし。
エドウィン・マルハウス (河出文庫) スティーヴン・ミルハウザー 岸本佐知子 河出書房新社 2016-06-04by G-Tools |
今日は仕事帰りに宵山に突入、12日に回れなかった山鉾を見て回ろうと思う。まだ歩行者天国ははじまっていない時間帯だが、すでにすごい人出。
鶏鉾→白楽天山→綾傘鉾→船鉾→岩戸山→太子山→木賊山→油天神山→芦刈山→伯牙山→郭巨山→四条傘鉾→蟷螂山→放下鉾→霰天神山→山伏山→占出山の順に回る。ちょっと離れた保昌山と、裏道を通ったため行き過ぎて、歩行者一方通行制および人の多さに戻るのが面倒になった孟宗山は見てません。
本日の写真。
船鉾。
間近で見るのははじめて。刺繍が立体的。
船の舵は螺鈿細工。
芦刈山の前懸は、山口華楊のライオン。
胴懸もかわいい。
途中、屏風祭も見学。
郭巨山。おじさんがいい位置に。
なるべく人が写り込まないようにしているけど、これは切るにしのびない。どこのどなたか存じませんが、フォトジェニック大賞を差し上げたいくらい。
みんな大好き蟷螂山。
今回一番の交通の難所、放下鉾。
この脇を通り過ぎるのに20分はかかった。わたしの真後ろでは、退屈した男子小学生が延々「いや~んいや~んいや~ん」と言い続け(学校で流行っているらしい)、真横ではグッズ売りのやたら弁の立つ兄ちゃんが「放下鉾を見上げるのもいいですが、目の前にある手ぬぐい、ストラップに目を向ける、そういうのも僕はありだと思うんですよ!どうですか、この放下鉾のふくろうの手ぬぐい!かわいい!女の子にもウケがいい!」とお薦めしまくる地獄。
ちなみにこれがその放下鉾の手ぬぐい。今回お薦めに乗せられて買ったわけではなく、以前購入したものですよ。
土産にするとすこぶる評判よし。
放下鉾の渋滞に巻き込まれながらも、そんなんアリなん!?と驚きのあまり撮った、食べ歩き用カプレーゼ串。
はじめて見た。しかし、写真には撮らなかったけど、1本漬けきゅうり串の屋台もあった。いいのだろうか。(※断面が八坂神社の紋に似ているため、祭の期間はきゅうりを食べることを避ける人もいる。縦に切ったら大丈夫とかいう人もいる。とんち合戦か。)
山伏山の御神体。
前日はお隣に、はるばる熊本よりのお客様、くまモンさんがいらしたそうで。
さて帰ろう。途中、どこかの通り(ウロウロしすぎてどこだったか覚えていない)でウサギと芝エビ、二種のパエリヤを大鍋で焼いてたのがめちゃめちゃ美味しそうで、芝エビのほうを買った。それだけにしとけばいいのに、ホコ天の屋台で目玉焼きのせ大盛焼きそばを買い食い。これがものすごい量の麺に対し、キャベツ4切れニンジン2切れ玉ねぎ1切れで、もう腹一杯。パエリヤは明日食べることにして、ウチに持ち帰る。
18日(日)
朝、食べようと思っていたパンがカビていて、なにを食べようか小一時間悩んでしまった。結局オレンジとゴールデンキウイにはちみつをかけ、こないだちぎってきたペパーミントを乗せたのと、紅茶にした。
オレンジもキウイも甘くて、はちみつは余計だった。
昼
麦飯、ごぼうとにんじん入り炒り豆腐、キャベツと魚肉ソーセージの辛子和え、たまねぎとわかめの味噌汁。
夜は昨日のパエリャをあたためたのと、ヱビス。
白インゲンとサヤインゲンが入ってる。パリパリのエビもいいけど、このダブル豆がおいしい。
18日(月)
長刀鉾解体中。
今回は出勤時に撮れた。
夜、なんだか膝がこそばゆいと思ったら、キイロテントウが膝の上を歩いてた。キイロテントウは菌食のテントウムシで、ウドンコ病菌を食べる。ベランダの衆のために来てくれたのだね。歓迎する。しかしわたしの膝でなく、ベランダを巡回してくれたらありがたいのだが、とか思っていたら、膝小僧の上で動きを止めて10分が経過した。そこで泊まっていくのか。それはわたしが困る(眠れない)。つまむのは難しいので、書類の端をテントウムシと膝の間に差し入れ、紙に乗せてベランダへ出て、ミニトマトの葉の上に安置した。いまのところ、どの植物にもウドンコ病は発生していないのだけど、がんばってほしい。そういえば、青じそにハダニがついて悩んでいるのだった……ハダニ食ってくれないかな。くれないな。
19日(火)
ものによっては、短いからこそいいものもある。短さが絶妙なバランスを生み、かつ受け手の想像力を許す余地を生む(短いものの「よさ」は、多分に受け手の側の問題だという気がする)。ごく短いエピソードを長編映画に仕立てて成功した例ってどれだけあるのだろう。ボルヘスの「裏切りと英雄のテーマ」をもとにつ くられたベルトルッチの『暗殺のオペラ』くらいしか思いつかない。たいてい水増しされて薄い薄いどうしようもないものになるか、そうでなければ妙な感傷が盛られてべたべたと嫌な甘さが残るものになっている気がする。その両方である場合もあって、これが恐ろしい。なにとはいわないけど、実際にあった心温まるエピソードみたいなものを映画化したものによくあゲフンゲフン、危ない危ない。
20日(水)
本日は休み。昼めしは「やたらにあるサバ缶消費プロジェクト」第1弾。
ねぎで見えないけど、キャベサバ丼。フライパンでキャベツを炒めたところにサバの味噌煮缶を汁ごと加え、へらでサバをほぐしながら炒めて仕上げにラー油をふって、ごはんに乗っける。うまいですよ。某呟き処で写真上げたら、たくさんのサバ缶レシピをいただいた。これはサバ缶を買い足さないと。(本末転倒)
あと、やたらにある「いなばのツナとタイカレー」缶消費プロジェクトも立ち上げました。皆さまのレシピをお待ち申し上げております。
食後にベトナムコーヒー。
コンデンスミルクじゃなくて、普通の牛乳で。
夜、自家製酵母パンを焼く。
今回はオリーブオイル使用。ちょっといびつな形になった。
いただきます。
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