2016-02-10

日々雑記 2016 Feb. #1

1日(月)

最近悪夢しか見ない。今日見た夢なんて、フリオ・コルタサルの「誰も悪くない」みたいだった。遅刻しそうなのに、着ようとしているベースボールジャンパー の袖口からどうしても手が出ないで、焦ってぐいぐい押している夢。目が覚めたら、頭が乗っている枕の下に手をぐいぐい押し込んでいるところだった。ちなみにコルタサルの「誰も悪くない」は、どうしてもセーターが着られない話。

遊戯の終わり (岩波文庫)
コルタサル 木村 榮一
4003279026


昼ごはん。


紅白なます、白菜とにんじんの浅漬けは、いただきものを器にうつしただけ、焼き魚もいただきものの塩鮭。ありがたい、ありがたい。

じつは本日誕生日。朝、某呟き処で仲よくしていただいている方からお祝いDMをいただいた。うれしかったもので、「覚えていてくれて、祝ってくれる人がいる。不思議で、ありがたい。ありがとう」と呟いたら、たくさんの人からさらにお祝いのことばをいただいた。こっぱずかしくも、本当にありがたい。それで会話していて思い出したことがある。子供のころ、わたしのうちでは誕生日にケーキはなくて、お寿司が出た。しいたけ、高野豆腐、かんぴょう、にんじんが入っていて、刻んだ紅生姜と錦糸卵ともみ海苔が乗っているお寿司。お祭りのときも同じお寿司で、それはウチのイナカではふつう「ばらずし」と呼ばれるものだけど、我が家では単に「お寿司」と呼んでいた。あるとき親戚のおばちゃんのうちで誕生日を迎えることになった。おばちゃんは「麩之介ちゃん、お昼はばらずしでええか?」と朝早くから準備して、お寿司をつくってくれた。「ばらず し」ということばを聞いたことがなかったわたしは、薔薇が入ったお寿司だろうか、それとも薔薇の形のお寿司だろうか、と想像してわくわくしていた。お昼になり、想像が飽和したわたしの前に出されたのは、薔薇入りでも薔薇形でもない、ふつうの「お寿司」だった。ふくらんだ期待がぺしゃんこになったけど、そんなことより、それでがっかりしてしまったということがおばちゃんに対して申し訳なくて、こんなことをいまだに覚えている。

というわけで(どういうわけかは聞かないで)、今晩の晩酌はコレだ!


ネタフリしていたわけではない(が、そう思われてもしかたがない)。「寿司ネタから酢飯、しょう油、わさび、ガリまで、あらゆるテイストによく合うように」造られたワインだそうだけど、浅漬けだけで1本飲んでしまったわい。ハハハ。


3日(水)

節分なので。


ぱっと見大きさがわかりにくいけど、イワシが乗っている皿は、わたしがよくカレーを食べている皿。右下の椀は普通サイズの汁椀。でっかいイワシを焼いたのをおかずにどんぶり飯を掻っ込むしあわせ。そして魚焼きグリルを洗う憂鬱。このふたつは何故にセットになっているのか。

午後、図書館に出かけ、こないだ飲み屋で盛り上がって開催することになった「中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』グランプリ」の課題本を借りてきた。


 ……「鈍器」という言葉が脳内を去来する。


4日(木)

今日は仕事が終わってから、東洞院の尾張屋さんできつねそば(ここのは刻み甘きつねに青ねぎなのだ)を食べて、京都文化博物館で、山中貞夫監督『丹下左膳余話 百萬両の壺』観てきた。容貌魁偉で滅法腕のたつ浪人丹下左膳が、小さな子供に父親の死をどうしても告げられずにいる様子とか、その子を引き取ったあとの親バカぶりとか、もう最高。それと源三郎役の沢村国太郎の(特に八百長を持ちかける場面の)うまさときたら! それはそうと、「滅法腕のたつ」丹下左膳が人を斬るのは、子供の父親を殺したやくざ者を一瞬で斬り捨てる場面のみ。GHQの指導とかで、立ち回りシーンがごっそり削られているらしいのだけど、どうにも残念。どこかから見つからないものか。


6日(土)

巨大根をいただいたので、しばらく大根を食べて暮らすことになる。どのくらい巨大かというと、直径がこんなだ。


切ってない状態の写真を撮り忘れた。上のほうは刻んで甘酢に漬けて、下のほうはいちょう切りにしてざるに広げて干してある。明日は大根めしにしよう。薄揚げがあるので、一緒に炊き込もう。わたしは大根めしは炊き込みごはんも混ぜごはんも好きなのだけど、ほかの人はどうなのだろうと某呟き処の投票機能でアンケートとってみた。大根めし大根めしと騒いでいたら、ほかの方のつくり方や、残りごはんを大根もちにする方法など、お役立ち情報が得られた。ありがたい。


7日(日)

大根めしを炊いた。大根と薄揚げをだいたい3cm長さの短冊切りにしたのを炊き込んだ。2合半炊きの文化鍋に米2合、大根と薄揚げはふたがぎりぎり閉まる量、昆布出汁と少量の酒を合わせて米と同量、塩小さじ半分に醤油大匙1くらい(適当)。


わかめの味噌汁と、おかずは紅白なます、かぶの葉と薄揚げの煮物(アブラナ科ばかりだ)。つぎはほかの方がつぶやいておられた、「みじん切りより少し大きく切った大根をたくさん、味つけは塩のみで炊いて、仕上がりにさっと塩茹でした葉っぱのみじん切りを混ぜ込んだごはん」をつくってみたい(「はで干しのコシヒカリ」と「お釜で炊き上げる」は無理だけど)。

アンケート集計結果。


なるほど。……汁かけめしを選択肢に入れ忘れた。行儀はよくないけど、おいしいものだ。アサリの剥き身と大根とねぎの味噌汁を白ごはんにかけて、七味唐辛子をふったのなんて、もう何杯でもいけます。


現実(「中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』グランプリ」ともいう)逃避で読み始めた小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』、まだ半分も読めてないけ ど、語り口(上方の話芸の呼吸!)、スピード感、夫婦(家族)愛、知と生への切望等々、ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』と似たニオイがする。すごくいい。

本にだって雄と雌があります (新潮文庫)
小田 雅久仁
4101200211


9日(火)

中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』を中断したまま、というか、いまだ本文の32分の1しか読んでないので、中断どころか取り掛かっていないも同然なんだけれども、相変わらず小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』を読んでいる。最後まで読んでないけど、これは傑作(のはず)。本日のハイライト。第二次世界大戦中、無謀で愚劣な転進を強いられ、ボルネオのジャングルで生死の境をさまよう興次郎(語り手の祖父)は、「永遠」である「幸福な写真」を見つめ、嗚咽する
もし世界で最後の人間になった時、誰も見ていないと分かっていても、神すら見ていないのだと知っていても、その人間は泣くのだろうか。きっと泣くのだろ う。木の股から一人で生まれて来たのではないから、かつては孤独ではなかったろうから、昔を思って、昔の夢を見て、きっと泣くのだろう。全人類を抱き締めるように、自らの体を抱き締めて、全人類として全人類の涙を流すのだろう。 (pp. 308-309)
興次郎の、書かれなかった日記「No. 19.5」中の一節。前半の上方漫才のようなコテコテのノリ(余談だけど、某所でほかの人の感想を見たら、「前半は読みにくいが、後半は一気に読める」というご意見が多かったのが、最初からノリノリだったわたしには意外だったが、関西ノリに馴染みがないと、こういうのは難しいのかもしれない)はこのあたりでは鳴りをひそめ、たとえ日記を書くだけであろうと、辞書を引いてまでもとことんボケ倒す男が書いた(いや、書いてないのだが)とは思えない哀切さが沁みた。


10日(水)

「キムケンGP」途中経過だが、「第一部 序章 出会いと意図 3 江戸の発見」で止まったまま。通勤に持ち歩く気がしないというのが痛い。だいいちかばんに入らないし(言い訳)。借りてきたときも、ほかの荷物があったとはいえ、かばんに入りきらず、小脇に抱えて帰ってきたのだ。帰りの電車で立ったまま読もうと試みたが、吊革につかまって片手で読んでいたら前腕部に異様な力が入り、腕全体がぶるぶる震えだしたと思うが早いかたちまちその震えは全身にあまねくいきわたり顔は蒼白足はガクガクあまつさえ額からたらーりたらりと脂汗が滴り始めるに至ってこれはイカンと諦め小脇に……申し訳ございません、誇張しました。まあ、かなりしんどかったことは事実。ところでGP参加者の友人から、「大岡春卜のところまで読みました。そちらはどうですか?」というメールが2日前に来ていたりする。ちなみに「大岡春卜のところ」とは「第一部 第一章 誕生と成長 2~4」のどこかで、たかだか52ページまでの部分なのだけど、勝てる気がまったくしない。(本文二段組712ページ二段組712ページ大事なことなので二回いいました)

4 件のコメント:

  1. 「誰も悪くはない」は自分も読んだことあります。
    セーターを着ようとするという描写(まどろっこしい描写が面白い)だけで1つの短編に仕立て上げるのはすごいなと感じた記憶があります。

    「本にだって雄と雌があります」(←すごいタイトルですね 笑)の抜粋部分、ものすごく共感します。
    人は傍にいない他者を思って泣くものですよね・・・。

    大根飯アンケート、「食べたことない派」に一票を入れておいてください(笑)。

    あと、遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。

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    1. れぽれろさん、コメントありがとうございます。

      「誰も悪くない」はすごいですね。とにかく着られない(笑)。セーターが着られないという、たったそれだけのことで、人間がそのなかで生きていくべき世界が崩壊するんですよ(笑)。わたしが愛してやまないモンティ・パイソンのスケッチのひとつのようです。

      『本にだって雄と雌があります』は、すごい本です。読み終わってませんけど。これほんとに、なんで文庫化されるまで読まなかったのかと悔やまれます。おっしゃるとおり、この場にだれもいなくても、神様さえ見てないとわかっていても、人は誰かのことを思って泣くんです。引用しませんでしたが、興次郎が親子三人で写った写真を見つめているとき、「幸福な写真は永遠であるから、あなたが死んだら、きっとこの写真の中に戻ってきてほしい」ということを、写真に写った妻が語りかけてくるんです。それは自分の空想だとわかっていながら、それでも興次郎は泣くんです。かなり胸に迫るものがありました。

      大根めし、そうですねー。「食べたことない派」という選択肢、入れてませんでしたね(笑)。たしかに、ない人のほうが多いんだろうな。

      わああ、れぽれろさんにもお祝いしていただいてしまった! うれしいです。ありがとうございます。

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  2. あ、お誕生日おめでとうございました! 大根飯は「自分も食べたことない派」ですが、台湾料理の大根餅は大好きです☆ ちなみにムカゴご飯は美味であります。 #久しぶりにお邪魔してみました弟子迷人です

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    1. 弟子迷人さん、お久しぶりです。コメント及びお祝いをいただきまして、ありがとうございます。

      大根餅うまいですね。昔よく行ってた(が、いまはない)台湾家庭料理の店でかならず注文したものです。あと炸花枝丸(揚げたイカ団子)ね。食べたくなってきたぞどうしよう……

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