24日(土)
本日の弁当: 手近にあったもの全入れカレー。
玉ねぎ、かぼちゃ、にんじん、ミニトマト、ピーマン、ししとう。
26日(月)
明け方見た夢というのが、魚のゾンビの夢で、けっこう怖かった。まず喉に違和感を覚えて咳をした拍子に、喉に引っかかってた釜揚げしらすが出てきて、それがじりじり動いていて、気持ち悪いので踏み潰す、というのが導入部。その後なんやかんやあって(夢なので、なにがあったかその辺うやむやなのだが) イワシの丸干しみたいなのの首が折れて傾いているのが、ゆっくりこっちに向かって来たので、トングか何か(これも金属のなにかだけど、なんだかわからない)で頭を切り落とそうととガリガリやったり、そうかと思うと、向こうのほうでだれかが七輪で焼いているサンマが蠢いているので、早く気づいて!とやきもきするとか、そして最終的には魚ゾンビに追われて、みんなが逃げ惑う感じの。でも誰も食われたり怪我したりしてなかったので、書いてはみたもののこんなのどこが怖いんだか、今となってはさっぱりわからない。夢見てるときは怖かったんだって。
朝
キャベツの外側の葉とじゃがいもを煮込んだスープ、トースト。
材料は、じゃがいも、キャベツ、水、塩、胡椒のみ。それだけでじゅうぶんおいしい。じゃがいもが煮崩れるまで煮るので、キャベツの色は悪くなってしまうけど。これ食べたらさっそく作業。今日中には終わらせたい。
昼
きざみそば。
休~憩~
濃い紅茶と、ショートブレッド。脳みそ使う(一応ね)作業中なので、糖分補給。
今日は一日ウチから出ないで作業してたけど、ベランダから見えた夕焼け雲がきれいだったから、いい日だった。
作業は終わってないけど。
27日(火)
作業終了。
「うぉおわったああああああああああ!!! 」
と叫んだら、各方面から「おめでとうございます」と寿がれた。ありがたいありがたい。しかし、ひとつ終わったとて、まだまだ締め切りはひたひたと寄せ来るのである。ともあれ、しばらくは安泰。これで斑鳩に行けるのだ。奈良博、京博、文博、京都市美などにも行けるのだ。とりあえずは、兵庫県美に、パウル・クレーを観にいくのだ。
28日(水)
おでん煮た。
前回は昆布出汁のみだったけど、今回は昆布と鰹節でお出汁をひいた。しかしゆで卵はどうやったらきれいに剥けるのだろう、と某呟き処で呟いたら、茹で上がったら氷水で急速冷却するといい、と教えていただいた。ありがたいねえ。こんどやってみよう。
29日(木)
仕事中に左のまぶた(正確にいうと、眉の少し下)を蚊に刺された。「寝とったんやろ」っていわれたけど、仮に仕事中にまぶたを蚊に刺された人を前にしたら、たぶん自分でもそういうだろうから、腹はたたない。腹はたたないが……うるさいわ!寝てへんし!仕事に一所懸命で蚊にとまられてるの気づかんかったんやないかい!むしろ褒めろや!ほんで「めっちゃ腫れてるwww」てなんやねん!指さすな!腫れるわそんなもん!腫れんヤツがおったらお目にかかりたいわ!ていうかなんでまだ蚊がおんねん!
というわけで、まぶたが腫れあがっていても目立たずにすむ暗闇にまぎれようと、京都文化博物館で映画観てきた。マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』。まあムチャクチャな映画です。しかしムチャクチャ面白い。ディック・ミネの第一声(歌)「ぼっくは若~い殿様~」ってなんですかコレなんですか天才ですか。何度も観てる作品なのに、何度観ても楽しい。同じところで笑って、スカッとして、ハレバレとした気持ちで家路につく。左まぶたは腫れてるけど。
ああ、いま思い出したけど、そういえば昨日エレベーター内でやる気満々の蚊とふたりきりになったのだった。防戦一方のわたしは彼女に刺されないように暴れていたのだが、防犯カメラ的なものにおそらく蚊は映っていないだろうから……ああ。間抜け、というか不審人物認定。
30日(金)
早朝、ラジオを聴いて、普段は金曜休みだったりするのだけど、今日は出勤なので、弁当をつくる。いただきもののさつまいもと、賞味期限を大きく越えたトマトピューレでスパイシーな甘辛酸っぱいシチュー。それと、クミンライス。朝飯もこれ。
通常比約92%の開き加減の左目で出勤。まあ退勤するまでには通常モードに戻っておりました。
31日(土)
今日の弁当は、新米炊いて、七味おかかと海苔で二層にしたごはんに、たくあんと焼いたメザシ乗っけて、ピーマンとちくわの甘辛炒め、かぼちゃの塩蒸し、にんじんと三度豆の胡麻和えという豪華弁当、の予定であったが、昨夜泥酔して明かりを点けたまま、しかも目覚ましをかけずに寝てしまい、寝過ごしたので弁当なし。近所の食堂でみぞれうどんを食べたがなんとなくもの足りないので、パン屋でたまごサンドと焼きそばパンを買い、公園で食べた。焼きそばパンって、たまに無性に食べたくなるけど、食べたらまずまちがいなくがっかりする食物の最高峰だと思っているのに、また買ってしまった。そして案の定がっかりした。麺にがっかりするんだよなー。いっそ、そば抜きの焼きそばパンにすればいいんじゃないかな。キャベツとちくわ(肉食の方は豚肉でどうぞ)と玉ねぎを炒めて中濃ソースをじゅ~っとからめたのと目玉焼きをコッペパンに挟んで、花かつお、青海苔、紅しょうがをトッピングする。これいけるんじゃないの?それをしも「焼きそばパン」というかどうかはともかく。
仕事帰りにカオナシの三匹連れを見た。あと、なんか黄色くてメガネだかゴーグルだかかけててオーバーオールはいてるヤツの三匹連れも見た。地下鉄の切符買おうとして、「うおーなんも見えんwww」とかほざいていたが、はずせばいいんじゃないかな、そのゴーグル。ていうかオバケは三匹連れって決まってんの?
2015-10-31
2015-10-20
日々雑記 2015 Oct. #2
12日(月)
退勤して、職場近くの自販機で飲み物を買おうとしていたら、キジバトがとことこ歩いてきて、わたしから1メーターくらい離れたところに座った。すごく小さい。頭の羽毛がなんかボサっとしている。なんでこんな人間に近いところでリラックスしてるんだろうと思ってじっと見ていたら、立ち上がってとことこ歩いて行って、むこうのほうで座った。かわいいやないかいと思ってじーっと見てた。そしたらまたとことこ歩いてきて、わたしから70センチくらいのところにきて座った。なにがしたいんだろう。また立ち上がって、とことこ歩いて行って、むこうのほうで座る。しばらくしたらこっちに歩いてきて、さっきより近いところに座る。なんだろう、と思ったけど、びっくりさせたくないので、大きな動きをせずに見ていたら、この様子を見ていたらしい清掃会社のおじさんが近寄ってきて、「ヤマバトやな。弱っとるみたいや」と、くだいたスナック菓子のようなものをハトの近くに投げてやった。しかし食わない。「いらんのかい」といって笑うと、おじさんも笑った。「これ雛やな」「小さいですよね」「親とはぐれたんかいな」なんて会話してたところに、ごみの収集車が来て、おじさんは仕事に戻っていった。キジバトはまた立ち上がって離れて行き、しばらくすると戻ってきて、わたしに近い位置に座る。このハトがわたしにどうしてほしいのか、というか、そもそもなにかしてほしいかどうかもわからない。「もう帰るなー、またなー」といって、その場を離れた。なんとなく心残りはあるけれども。
13日(火)
出勤時と退勤時に、昨日のキジバトを探したが、見当たらなかった。夜は安全な場所で眠れたのだろうか。
おでんに飽きたらカレーうどんに仕立て直すといい、と教えてもらった。ちょうどこのごろ、毎晩おでんというのにさすがに飽きてきたので、やってみようかと思ったのだけど、カレールーがない。と、ここでふと思い出したものがある。
先月浦賀に行った友人からみやげにもらったのだ。ペリーとカレーといったいどんな関係が、とパッケージの説明書きを読んでみた。
文中ポイントとなる部分を下線で示した。以下、それを読んでいたわたしの心の動き。
下線部① ふむふむ。 (特に感想なし)
下線部② ふむ。 (カレー、ねえ……カレーである必然性は不明だけど)
下線部③ え? (コーラて。「炭酸レモネード」はよ?)
下線部④ ええっ!? (「炭酸飲料は使用せず」ってどういうこと!? ほんでペリーは!?)
総評: 起-承-転-転でどっかに飛んで行ってしまった感。これまた破壊的な文章作法であることよ。① ペリーと炭酸飲料の関係の提示。② 「ペリー-炭酸飲料-カレー」の関係の提示。いささか強引ではあるが、ペリーとカレーを炭酸飲料がつないでいる。③ その「炭酸飲料」は「炭酸レモネード」でなく「コーラ」であるという事実が明かされる。しかし、まだしも「炭酸飲料」であることで、ペリーとの関係は辛うじて保たれている。④ だが製品に「炭酸飲料」は使用されていないというサプライズ。ここでペリーと本レトルトカレーの関係は完全に断ち切られるのだが、いいのかそれで? しかし破壊的かつ無駄のない見事な展開である。その切れ味に、そこはかとなくただよう吉本新喜劇のかほり(④で全員コケ、「炭酸入ってへんのかーい!」というツッコミが入るという)。結局ペリーとカレーの関係は藪の中。わたしが読んだもののうち、これが今年度ベストを狙える問題作であることだけは間違いない。ていうか読んだ本のレビューを書け、自分。
14日(水)
七輪や火起こし、火消壷など届く。ホームセンターで木炭と焼き網を買う。これでベランダBBQ大会が開催できるのだ。参加者はひとりだが。洗濯物が干してあるときはできないし、それでなくてもしばらくは在宅仕事も忙しい。奈良報告も放置中。記憶が薄れて行く……
16日(金)
やらかした。自分がいわれたりされたりしても腹の立たないことは、他人も同じだろうと思ってしまうのがわたしの悪い癖で、つい無神経なことをいってしまって、ひとに悲しい思いをさせてしまった。なにもいわずに離れていくこともできるのに、それを指摘してくれたことを、とてもありがたく思う。傷つけようと意図してしたことではないから、いわれなければ、ひとを傷つけてしまったことに気がつかなかっただろうから。それにしても鈍感すぎる。いやになる。
17日(土)
今日は休みだったのに、誤って出勤してしまった。かなりヘコむ。まあ、せっかくだから、仕事帰りの時間だと、たいていの商品が売り切れてしまっている小さいパン屋さんで、おいしいパンでも買って帰ろう。と思ったら開店時間が11時だった。
19日(月)
忙しい。寄せては返す締切日……いや寄せるばかりで返しはしないが。返したらいいのに。
20日(火)
いつかベランダで開催するひとりBBQ大会のための、ガス火による予行演習。
刷毛で醤油を塗って焼いた長いも、これがうまい。
退勤して、職場近くの自販機で飲み物を買おうとしていたら、キジバトがとことこ歩いてきて、わたしから1メーターくらい離れたところに座った。すごく小さい。頭の羽毛がなんかボサっとしている。なんでこんな人間に近いところでリラックスしてるんだろうと思ってじっと見ていたら、立ち上がってとことこ歩いて行って、むこうのほうで座った。かわいいやないかいと思ってじーっと見てた。そしたらまたとことこ歩いてきて、わたしから70センチくらいのところにきて座った。なにがしたいんだろう。また立ち上がって、とことこ歩いて行って、むこうのほうで座る。しばらくしたらこっちに歩いてきて、さっきより近いところに座る。なんだろう、と思ったけど、びっくりさせたくないので、大きな動きをせずに見ていたら、この様子を見ていたらしい清掃会社のおじさんが近寄ってきて、「ヤマバトやな。弱っとるみたいや」と、くだいたスナック菓子のようなものをハトの近くに投げてやった。しかし食わない。「いらんのかい」といって笑うと、おじさんも笑った。「これ雛やな」「小さいですよね」「親とはぐれたんかいな」なんて会話してたところに、ごみの収集車が来て、おじさんは仕事に戻っていった。キジバトはまた立ち上がって離れて行き、しばらくすると戻ってきて、わたしに近い位置に座る。このハトがわたしにどうしてほしいのか、というか、そもそもなにかしてほしいかどうかもわからない。「もう帰るなー、またなー」といって、その場を離れた。なんとなく心残りはあるけれども。
13日(火)
出勤時と退勤時に、昨日のキジバトを探したが、見当たらなかった。夜は安全な場所で眠れたのだろうか。
おでんに飽きたらカレーうどんに仕立て直すといい、と教えてもらった。ちょうどこのごろ、毎晩おでんというのにさすがに飽きてきたので、やってみようかと思ったのだけど、カレールーがない。と、ここでふと思い出したものがある。
先月浦賀に行った友人からみやげにもらったのだ。ペリーとカレーといったいどんな関係が、とパッケージの説明書きを読んでみた。
文中ポイントとなる部分を下線で示した。以下、それを読んでいたわたしの心の動き。
下線部① ふむふむ。 (特に感想なし)
下線部② ふむ。 (カレー、ねえ……カレーである必然性は不明だけど)
下線部③ え? (コーラて。「炭酸レモネード」はよ?)
下線部④ ええっ!? (「炭酸飲料は使用せず」ってどういうこと!? ほんでペリーは!?)
総評: 起-承-転-転でどっかに飛んで行ってしまった感。これまた破壊的な文章作法であることよ。① ペリーと炭酸飲料の関係の提示。② 「ペリー-炭酸飲料-カレー」の関係の提示。いささか強引ではあるが、ペリーとカレーを炭酸飲料がつないでいる。③ その「炭酸飲料」は「炭酸レモネード」でなく「コーラ」であるという事実が明かされる。しかし、まだしも「炭酸飲料」であることで、ペリーとの関係は辛うじて保たれている。④ だが製品に「炭酸飲料」は使用されていないというサプライズ。ここでペリーと本レトルトカレーの関係は完全に断ち切られるのだが、いいのかそれで? しかし破壊的かつ無駄のない見事な展開である。その切れ味に、そこはかとなくただよう吉本新喜劇のかほり(④で全員コケ、「炭酸入ってへんのかーい!」というツッコミが入るという)。結局ペリーとカレーの関係は藪の中。わたしが読んだもののうち、これが今年度ベストを狙える問題作であることだけは間違いない。ていうか読んだ本のレビューを書け、自分。
14日(水)
七輪や火起こし、火消壷など届く。ホームセンターで木炭と焼き網を買う。これでベランダBBQ大会が開催できるのだ。参加者はひとりだが。洗濯物が干してあるときはできないし、それでなくてもしばらくは在宅仕事も忙しい。奈良報告も放置中。記憶が薄れて行く……
16日(金)
やらかした。自分がいわれたりされたりしても腹の立たないことは、他人も同じだろうと思ってしまうのがわたしの悪い癖で、つい無神経なことをいってしまって、ひとに悲しい思いをさせてしまった。なにもいわずに離れていくこともできるのに、それを指摘してくれたことを、とてもありがたく思う。傷つけようと意図してしたことではないから、いわれなければ、ひとを傷つけてしまったことに気がつかなかっただろうから。それにしても鈍感すぎる。いやになる。
17日(土)
今日は休みだったのに、誤って出勤してしまった。かなりヘコむ。まあ、せっかくだから、仕事帰りの時間だと、たいていの商品が売り切れてしまっている小さいパン屋さんで、おいしいパンでも買って帰ろう。と思ったら開店時間が11時だった。
19日(月)
忙しい。寄せては返す締切日……いや寄せるばかりで返しはしないが。返したらいいのに。
20日(火)
いつかベランダで開催するひとりBBQ大会のための、ガス火による予行演習。
刷毛で醤油を塗って焼いた長いも、これがうまい。
2015-10-10
日々雑記 2015 Oct. #1
1日(木)
ブログ引越しして8ヶ月、ぼちぼち妙な検索語で訪問される方が増えてまいりました。「おどれら いてまうど」でわたしのブログを訪問された方、お探しのものは見つかりましたでしょうか。心配しています。
2日(金)
今日明日とめずらしくも連休。本日は、母が同窓会だとかで京都に来る由。午前中なんだかんだと作業していたら、もうすぐ正午になりそうな時間。母は昼前にはウチに来るというので、昼飯は一緒に食べるつもりだろうから、申し訳ないがありもので、と思って待っていたのだが、昼を過ぎても来ない。携帯に何度電話しても出ない。12時30分を過ぎたころ、もう来ないのかもしれないと思い、ならば買い物にでも行くかと扉を開けたら、そこに母がいて吃驚した。本人いわく、「昼過ぎに京都駅に着く」とメールしたつもりだったとか。電車のなかでスマホがなんかブーブーいってたことは認識していたが、耳の悪い母は、出ても聞こえないだろうからと、出なかったそうな。
てなわけで、結局ウチにあるものだけで昼餉を調える。白飯、じゃがいもだの麩だののごった煮、賞味期限が一昨日のたけのこの水煮使用の若竹煮、糸こんちりめん山椒、麩とわかめの味噌汁。食材がかぶりまくっているのは許してほしい。
同窓会会場へ向かう母を送り出し、わたしは午後も作業。していたと見せかけて(誰に?)、奈良旅報告を書いていた。( → 「奈良へ...――仏像三昧 興福寺編」 ) だがまだ終わっていない。記事が長いといわれたのに、短くまとめる才がないのだから仕方ないだろう、と居直る。
3日(土)
朝うどん。
昼飯はこれ。
いわし味付缶(すだち果汁入り)丼、わかめと麩の味噌汁。いわしは二枚卸状態にして(鍋の中で、お玉とかスプーンでぐっと押したらそうなります)缶汁ごと小鍋で温め、丼に飯を盛り、キャベツを敷いた上に乗っけて煮汁をかけ、刻み青ねぎを散らして完成。キャベツは炒めたのでもうまいが今日は生。
夕方。近所のスーパーでビールと揚げたての串かつ買ってきて、ベランダに椅子出して、急ごしらえのビアガーデン。
ちと狭いが、気持ちいい。こう、外でちょびっとだけ飲む、てのがいい(ダラダラ飲んではいけない)。
夜は夜で。昨日の昼の残りものでヱビス。
夜はダラダラ飲んでよし(自分ルール)。
5日(月)
今日は一所懸命在宅仕事して、さて、そろそろ晩酌の準備、と昨日仕込んだおでんを温めようとしたところ……おでん腐ってた。放置するにはまだ室温が高すぎたか……ああ……
しかたないので、煮やっこと海苔のしょうゆ漬けで。ああ。
うまい。うまいが、ああ……
6日(火)
今日の弁当は、職場近くの公園で食べた。おにぎらずとほうじ茶。
おにぎらずの具は、(鍋一杯を捨てるはめになった)おでんの出汁に使った削り節を、酒とみりんと醤油で炊いて、七味唐辛子を混ぜたの。包んでいた新聞紙をがさがさいわせてはいでいると、目ざとい鳩たちが走ってきた。なんであいつら走ってくるんだ鳥のくせに。来たものはしかたないので、鳩にも雀にも、おすそわけ。銀杏の木からはぽたぽたとぎんなんが落ちてくる。臭い。しかしあれ、拾ってもいいよなー帰りの電車が気になるけど。
7日(水)
今日の仕事は昼まで。久しぶりにいつものコースを散歩した。
まだ呆けていないススキの穂が光っていた。
季節はずれにひとつだけ咲いていたキンシバイ。
ヌスビトハギ。草のなかを歩くと、よくこの実がくっついてる。
マルバルコウソウがいっぱい咲いてた。
ノビルちょびっと引っこ抜いてきた。こんど移植ゴテもっていこう。
そして悲しいおしらせです。あの、スポットライトを1本まるごと贅沢に使用し、5羽の雛がぎっしりつまっていたツバメさん宅が、スポットライトごと撤去されていました……
在りし日のツバメさん宅。
来年戻ってきたらびっくりするだろうなあ。留守中に自宅が更地になってたようなもんだろうな。
そうそう、散歩ついでに、徒歩20分ほどのところにあるホームセンターに、ついでの思いつきながらかなり本気で七輪を買いにいったのだけど、売ってなかった。腹いせに花の苗でも買ってしまおうかと思ったが、暗いのでやめた。
晩酌ー。
赤えびと冬瓜の味噌煮、焼き豆腐に山椒味噌、黒ラベル。えび出汁で煮た冬瓜うまい。えびよりうまい。
8日(木)
ホームセンターに七輪がなかったので、ネットで真剣に探してしまった。こないだのベランダビアガーデン以来、ベランダでバーベキューがやりたくてたまらないのだ。そういえば、わたしが子供の頃、おせちの棒だらなんかは七輪で炊いてた。長時間火にかける煮物はみんな七輪で炊いてたんだ。そう、おでんも……わたしは痛手から立ち直りつつある。おでん、いいなあ、食べたいなあ、つくってもいいかなあ、と思いつつあるのだ。今日は仕事帰りにスーパーで、こんにゃくとがんもどきを買いさえした。もっとも、がんもどきをただの煮付けにするということはある。こんにゃくをただの煎り煮にする可能性もある。しかしわたしには、今日買ってきたがんもどきとこんにゃくを、おでんにする自由もあるのだ。少し前には、自由ということが想像できなかった。わたしはまたおでんを腐らせてしまうのではないか、わたしにはおでんをつくる資格はないのではないか、どうにもそう思われて、厚揚げやごぼう天に伸ばす手が中途で止まっていたのだ。しかし今日は。わたしにはこのがんもどきとこんにゃくを使って、おでんをつくる自由もあるのだと、がんもどきを握りつぶさないように、それでもパッケージを握る手に力をこめて、そう思ったのだ。ああ、おでん! ああ、人間の生よ!……だれかわたしを止めてください。とかなんとか某呟き処で遊んでいたら、おもしろいから放置する、というリプライがきた。まあわたしでもそうする。
9日(金)
休日だけど早起きして、5時45分からのラジオ番組を聴く。FM高崎。群馬だよ。いちど泊まってみたいと思っていたホテル「国際きのこ会館」なき今、たぶん一生縁のない土地と思ってきた地のラジオをなんで聴いてるのかといえば、敬愛する作家、絲山秋子さんがパーソナリティをつとめておられるから。先週の初回は疲労で二度寝して聴き逃してしまったけど、今日は頑張った。で、やはり聴いてよかった。音楽がいいんだなー。ほとんどが、自分が一番音楽聴いてた時期に好きだった曲だもんなー。パティ・スミスとかUB40とか。
昼飯。
白ごはん、いわし丸干し、伏見唐辛子炒め煮、きゅうりとにんじん味噌漬け、えびの頭とかいわれ大根の味噌汁。
さて、おでんを失った衝撃も薄れてきた。今日はひと鍋仕込もう。明日、出勤前に煮返すこと。帰宅したらすぐに煮返すこと。
夜は、おでんに使用したさつま揚げの残りで、ワイン。
普段あまりワインは飲まないけど、これはラベルの素晴らしさについ買ってしまったのだ。
買うでしょ、これは。
10日(土)
ふふ……ふふふふ……
おでん……うまい……
ブログ引越しして8ヶ月、ぼちぼち妙な検索語で訪問される方が増えてまいりました。「おどれら いてまうど」でわたしのブログを訪問された方、お探しのものは見つかりましたでしょうか。心配しています。
2日(金)
今日明日とめずらしくも連休。本日は、母が同窓会だとかで京都に来る由。午前中なんだかんだと作業していたら、もうすぐ正午になりそうな時間。母は昼前にはウチに来るというので、昼飯は一緒に食べるつもりだろうから、申し訳ないがありもので、と思って待っていたのだが、昼を過ぎても来ない。携帯に何度電話しても出ない。12時30分を過ぎたころ、もう来ないのかもしれないと思い、ならば買い物にでも行くかと扉を開けたら、そこに母がいて吃驚した。本人いわく、「昼過ぎに京都駅に着く」とメールしたつもりだったとか。電車のなかでスマホがなんかブーブーいってたことは認識していたが、耳の悪い母は、出ても聞こえないだろうからと、出なかったそうな。
てなわけで、結局ウチにあるものだけで昼餉を調える。白飯、じゃがいもだの麩だののごった煮、賞味期限が一昨日のたけのこの水煮使用の若竹煮、糸こんちりめん山椒、麩とわかめの味噌汁。食材がかぶりまくっているのは許してほしい。
同窓会会場へ向かう母を送り出し、わたしは午後も作業。していたと見せかけて(誰に?)、奈良旅報告を書いていた。( → 「奈良へ...――仏像三昧 興福寺編」 ) だがまだ終わっていない。記事が長いといわれたのに、短くまとめる才がないのだから仕方ないだろう、と居直る。
3日(土)
朝うどん。
昼飯はこれ。
いわし味付缶(すだち果汁入り)丼、わかめと麩の味噌汁。いわしは二枚卸状態にして(鍋の中で、お玉とかスプーンでぐっと押したらそうなります)缶汁ごと小鍋で温め、丼に飯を盛り、キャベツを敷いた上に乗っけて煮汁をかけ、刻み青ねぎを散らして完成。キャベツは炒めたのでもうまいが今日は生。
夕方。近所のスーパーでビールと揚げたての串かつ買ってきて、ベランダに椅子出して、急ごしらえのビアガーデン。
ちと狭いが、気持ちいい。こう、外でちょびっとだけ飲む、てのがいい(ダラダラ飲んではいけない)。
夜は夜で。昨日の昼の残りものでヱビス。
夜はダラダラ飲んでよし(自分ルール)。
5日(月)
今日は一所懸命在宅仕事して、さて、そろそろ晩酌の準備、と昨日仕込んだおでんを温めようとしたところ……おでん腐ってた。放置するにはまだ室温が高すぎたか……ああ……
しかたないので、煮やっこと海苔のしょうゆ漬けで。ああ。
うまい。うまいが、ああ……
6日(火)
今日の弁当は、職場近くの公園で食べた。おにぎらずとほうじ茶。
おにぎらずの具は、(鍋一杯を捨てるはめになった)おでんの出汁に使った削り節を、酒とみりんと醤油で炊いて、七味唐辛子を混ぜたの。包んでいた新聞紙をがさがさいわせてはいでいると、目ざとい鳩たちが走ってきた。なんであいつら走ってくるんだ鳥のくせに。来たものはしかたないので、鳩にも雀にも、おすそわけ。銀杏の木からはぽたぽたとぎんなんが落ちてくる。臭い。しかしあれ、拾ってもいいよなー帰りの電車が気になるけど。
7日(水)
今日の仕事は昼まで。久しぶりにいつものコースを散歩した。
まだ呆けていないススキの穂が光っていた。
季節はずれにひとつだけ咲いていたキンシバイ。
ヌスビトハギ。草のなかを歩くと、よくこの実がくっついてる。
マルバルコウソウがいっぱい咲いてた。
ノビルちょびっと引っこ抜いてきた。こんど移植ゴテもっていこう。
そして悲しいおしらせです。あの、スポットライトを1本まるごと贅沢に使用し、5羽の雛がぎっしりつまっていたツバメさん宅が、スポットライトごと撤去されていました……
在りし日のツバメさん宅。
来年戻ってきたらびっくりするだろうなあ。留守中に自宅が更地になってたようなもんだろうな。
そうそう、散歩ついでに、徒歩20分ほどのところにあるホームセンターに、ついでの思いつきながらかなり本気で七輪を買いにいったのだけど、売ってなかった。腹いせに花の苗でも買ってしまおうかと思ったが、暗いのでやめた。
晩酌ー。
赤えびと冬瓜の味噌煮、焼き豆腐に山椒味噌、黒ラベル。えび出汁で煮た冬瓜うまい。えびよりうまい。
8日(木)
ホームセンターに七輪がなかったので、ネットで真剣に探してしまった。こないだのベランダビアガーデン以来、ベランダでバーベキューがやりたくてたまらないのだ。そういえば、わたしが子供の頃、おせちの棒だらなんかは七輪で炊いてた。長時間火にかける煮物はみんな七輪で炊いてたんだ。そう、おでんも……わたしは痛手から立ち直りつつある。おでん、いいなあ、食べたいなあ、つくってもいいかなあ、と思いつつあるのだ。今日は仕事帰りにスーパーで、こんにゃくとがんもどきを買いさえした。もっとも、がんもどきをただの煮付けにするということはある。こんにゃくをただの煎り煮にする可能性もある。しかしわたしには、今日買ってきたがんもどきとこんにゃくを、おでんにする自由もあるのだ。少し前には、自由ということが想像できなかった。わたしはまたおでんを腐らせてしまうのではないか、わたしにはおでんをつくる資格はないのではないか、どうにもそう思われて、厚揚げやごぼう天に伸ばす手が中途で止まっていたのだ。しかし今日は。わたしにはこのがんもどきとこんにゃくを使って、おでんをつくる自由もあるのだと、がんもどきを握りつぶさないように、それでもパッケージを握る手に力をこめて、そう思ったのだ。ああ、おでん! ああ、人間の生よ!……だれかわたしを止めてください。とかなんとか某呟き処で遊んでいたら、おもしろいから放置する、というリプライがきた。まあわたしでもそうする。
9日(金)
休日だけど早起きして、5時45分からのラジオ番組を聴く。FM高崎。群馬だよ。いちど泊まってみたいと思っていたホテル「国際きのこ会館」なき今、たぶん一生縁のない土地と思ってきた地のラジオをなんで聴いてるのかといえば、敬愛する作家、絲山秋子さんがパーソナリティをつとめておられるから。先週の初回は疲労で二度寝して聴き逃してしまったけど、今日は頑張った。で、やはり聴いてよかった。音楽がいいんだなー。ほとんどが、自分が一番音楽聴いてた時期に好きだった曲だもんなー。パティ・スミスとかUB40とか。
昼飯。
白ごはん、いわし丸干し、伏見唐辛子炒め煮、きゅうりとにんじん味噌漬け、えびの頭とかいわれ大根の味噌汁。
さて、おでんを失った衝撃も薄れてきた。今日はひと鍋仕込もう。明日、出勤前に煮返すこと。帰宅したらすぐに煮返すこと。
夜は、おでんに使用したさつま揚げの残りで、ワイン。
普段あまりワインは飲まないけど、これはラベルの素晴らしさについ買ってしまったのだ。
買うでしょ、これは。
10日(土)
ふふ……ふふふふ……
おでん……うまい……
2015-10-02
奈良へ...――仏像三昧 興福寺編
(承前)
はるばる奈良まできた目的を(やっと)思い出したわたしは、鹿で遊ぶのは止めにして興福寺へ向かったのであった。まずは南円堂にお参りして、納経所へ。ちょうど新しい朱印帖を購入しないといけなかったのだけど、規模の大きいお寺で買うと、そのお寺のオリジナル朱印帖が手に入る場合が多いので、ここで買おうと思っていたのだ。見込み通り、興福寺にもオリジナル朱印帖が大小それぞれ二種類ずつあり、わたしは小のベージュ色のを買って書いていただいた。
見返しの阿修羅像がうれしい。
「世界文化遺産」という朱印は登録年から使用されているのだろうが、その前はどんなだったのだろうなあ。
お参りのあとは、特別開扉中の北円堂へ。
お堂も国宝、なかの仏像も本尊両脇の二体の菩薩像を除いてすべて国宝というゴーカさ。わたしはこういうお堂を見ると、周りをぐるぐる回ってしまう習性がある(バカは高いところも好きだが回るのも好き)のだが、ここは回れなくなっていた。残念。
なかには本尊の弥勒如来坐像を中心に、このような配置になっとりました。(もらってきたチラシより)
仏像の安置されている壇をめぐりながら拝観できる。像までの距離が近いのと、いろんな角度から見られるのがうれしくて(あと、お堂の外周を回れなかったせいか)、ぐるぐるぐると三周回った。弥勒如来は素晴らしかった。運慶晩年の作であるこの像は、彼が若い頃に刻んだ、いかにも力強く躍動する像と比べると、おとなしい印象ではあったけれども、静かな勁さを感じた。あとで調べたら像高142cmだとか。そんなに小さかったのかと驚いたほど、それは力のある仏像だった。そして、その目を見ていて、あ、と思った。好きだ好きだといっているわりには、ちゃんと調べたことは ないのだけど、仏像って、拝む人と目が合わないようになっていると思う(たまに「目が合ったー!」といってる人がいるけど、わたしはどこからどう見ても、目が合ったためしがない。わたしだけ見てくれないとは思いたくないが、その可能性もないとはいいきれない。けれども、そう思いはじめると泣いてしまうので考えない)。如来像は特に、そのまなざしが内側に向いているように感じられるのだけど、それでも拒絶されているようには感じられない。それがずっと不思議だった。今回この弥勒如来像と会って、なんかわかった。あ、なんだ、このヒト(人じゃないけど)全部見ているんだな、内側も、外側も、無時間的に。わたしのことも見ている。他の人のことも見ている。ここにいない人のことも見ている。ここも、ここじゃない場所も見ている。全部見ているなら、何も見ていないように見えてもしかたがないのかもしれんな。なんてそりゃわたしの妄想だろうけど、ま、わたしが納得できりゃよいのだ。ああ、無著・世親もよかったなあ。体躯にたっぷりと量感があって、目が生き生きしてて(彼らのまなざしは外に向いているようにわたしには見えた)。四天王はギョロ目で、なぜか顔の中央部が前に出ていて、なんだか魚の顔のようだった。
北円堂のご朱印は、南円堂の納経所でいただけるとかで、そちらへ引き返す。書いていただいてる途中で、あっ、南円堂のをいただいてない、と気づき、追加で書いていただいた。というわけで、順番がテレコになってしまったが、これがそれです。
このあと、東金堂を拝観。興福寺には「国宝館」という、大スター阿修羅像をはじめ、国宝に次ぐ国宝が、押し寄せる大波の勢いでぎっしりつまっている館があって、わたしは寄ると必ず国宝酔いでフラフラになるのだけど、東金堂もすごいよ。それ自体国宝のお堂の中に、国宝・重文の仏たちがほどよく(?)安置されている。ほどよい、といっても国宝だけで18体。すごいわ興福寺。本尊の薬師如来(重文)は室町時代、脇侍の日光・月光菩薩(ともに重文)は奈良時代のものだそうで、造像の時代は違うのに、しっくり調和しているのが不思議。右の方へ進むと、十二神将(国宝)のうち、毘羯羅・招杜羅・真達羅大将が縦並びしているのだけど、このエグザイル感はなんだ。あのなんかくるくる回るヤツ(正式名称を知らないし、また知る気もない)がいまだにエグザイルの代名詞なのかどうかは知らんが。その外側を守る四天王(国宝)のまあカッコイイこと。後ろのほうはちょっと見えにくかったので、後で写真で見て知ったのだけど、踏まれている邪鬼たちのうち、広目天に踏まれている邪鬼の体勢、これがまあ苦しそう。両足を投げ出して前屈、二つ折りになっている体の背中に乗られている。ほかの三体はわりとラクそうなのに気の毒な。
東金堂を出て、国宝館を見ようかどうか一瞬迷う。このあと国立博物館でどのくらい時間が必要かわからないし、国宝館はこれまで何度も見ているしで、時間があれば後で寄ろうということにした。
博物館に行く前に、ちょっと猿沢の池方面に行ってみたら、歩道の真ん中にいたものに威嚇された。
踏まれなさんなよ。
池のほとりの茶店の前には、「大仏サイダー」と書かれたのぼりが立っている。なんだそれは。なに味なんだ。やすらぎの道の電柱には「大仏あんぱん」の広告があったが、そちらのほうは容易に想像できる。大仏の顔型のあんぱんだろう、きっと。小学生のころのわたしがおみやげにもらい、「え、この仏さんの顔食べるの!?」と吃驚した、例の人形焼みたいなものなのだろうと思われる(余談だけど、アンパンマンに「おなかがすいてるんだね。ぼくの顔を食べて」って顔をはずして渡されたら、すごいトラウマになると思う)。しかしサイダーは謎である。形なき飲み物にどのように大仏を絡めてくるのか、すこぶる興味をひかれたのではあったが、資金に乏しいわたしは、家から持参した水筒につめた水道水をひと口飲んで我慢したのであった。
(続く)
はるばる奈良まできた目的を(やっと)思い出したわたしは、鹿で遊ぶのは止めにして興福寺へ向かったのであった。まずは南円堂にお参りして、納経所へ。ちょうど新しい朱印帖を購入しないといけなかったのだけど、規模の大きいお寺で買うと、そのお寺のオリジナル朱印帖が手に入る場合が多いので、ここで買おうと思っていたのだ。見込み通り、興福寺にもオリジナル朱印帖が大小それぞれ二種類ずつあり、わたしは小のベージュ色のを買って書いていただいた。
見返しの阿修羅像がうれしい。
「世界文化遺産」という朱印は登録年から使用されているのだろうが、その前はどんなだったのだろうなあ。
お参りのあとは、特別開扉中の北円堂へ。
お堂も国宝、なかの仏像も本尊両脇の二体の菩薩像を除いてすべて国宝というゴーカさ。わたしはこういうお堂を見ると、周りをぐるぐる回ってしまう習性がある(バカは高いところも好きだが回るのも好き)のだが、ここは回れなくなっていた。残念。
なかには本尊の弥勒如来坐像を中心に、このような配置になっとりました。(もらってきたチラシより)
仏像の安置されている壇をめぐりながら拝観できる。像までの距離が近いのと、いろんな角度から見られるのがうれしくて(あと、お堂の外周を回れなかったせいか)、ぐるぐるぐると三周回った。弥勒如来は素晴らしかった。運慶晩年の作であるこの像は、彼が若い頃に刻んだ、いかにも力強く躍動する像と比べると、おとなしい印象ではあったけれども、静かな勁さを感じた。あとで調べたら像高142cmだとか。そんなに小さかったのかと驚いたほど、それは力のある仏像だった。そして、その目を見ていて、あ、と思った。好きだ好きだといっているわりには、ちゃんと調べたことは ないのだけど、仏像って、拝む人と目が合わないようになっていると思う(たまに「目が合ったー!」といってる人がいるけど、わたしはどこからどう見ても、目が合ったためしがない。わたしだけ見てくれないとは思いたくないが、その可能性もないとはいいきれない。けれども、そう思いはじめると泣いてしまうので考えない)。如来像は特に、そのまなざしが内側に向いているように感じられるのだけど、それでも拒絶されているようには感じられない。それがずっと不思議だった。今回この弥勒如来像と会って、なんかわかった。あ、なんだ、このヒト(人じゃないけど)全部見ているんだな、内側も、外側も、無時間的に。わたしのことも見ている。他の人のことも見ている。ここにいない人のことも見ている。ここも、ここじゃない場所も見ている。全部見ているなら、何も見ていないように見えてもしかたがないのかもしれんな。なんてそりゃわたしの妄想だろうけど、ま、わたしが納得できりゃよいのだ。ああ、無著・世親もよかったなあ。体躯にたっぷりと量感があって、目が生き生きしてて(彼らのまなざしは外に向いているようにわたしには見えた)。四天王はギョロ目で、なぜか顔の中央部が前に出ていて、なんだか魚の顔のようだった。
北円堂のご朱印は、南円堂の納経所でいただけるとかで、そちらへ引き返す。書いていただいてる途中で、あっ、南円堂のをいただいてない、と気づき、追加で書いていただいた。というわけで、順番がテレコになってしまったが、これがそれです。
このあと、東金堂を拝観。興福寺には「国宝館」という、大スター阿修羅像をはじめ、国宝に次ぐ国宝が、押し寄せる大波の勢いでぎっしりつまっている館があって、わたしは寄ると必ず国宝酔いでフラフラになるのだけど、東金堂もすごいよ。それ自体国宝のお堂の中に、国宝・重文の仏たちがほどよく(?)安置されている。ほどよい、といっても国宝だけで18体。すごいわ興福寺。本尊の薬師如来(重文)は室町時代、脇侍の日光・月光菩薩(ともに重文)は奈良時代のものだそうで、造像の時代は違うのに、しっくり調和しているのが不思議。右の方へ進むと、十二神将(国宝)のうち、毘羯羅・招杜羅・真達羅大将が縦並びしているのだけど、このエグザイル感はなんだ。あのなんかくるくる回るヤツ(正式名称を知らないし、また知る気もない)がいまだにエグザイルの代名詞なのかどうかは知らんが。その外側を守る四天王(国宝)のまあカッコイイこと。後ろのほうはちょっと見えにくかったので、後で写真で見て知ったのだけど、踏まれている邪鬼たちのうち、広目天に踏まれている邪鬼の体勢、これがまあ苦しそう。両足を投げ出して前屈、二つ折りになっている体の背中に乗られている。ほかの三体はわりとラクそうなのに気の毒な。
東金堂を出て、国宝館を見ようかどうか一瞬迷う。このあと国立博物館でどのくらい時間が必要かわからないし、国宝館はこれまで何度も見ているしで、時間があれば後で寄ろうということにした。
博物館に行く前に、ちょっと猿沢の池方面に行ってみたら、歩道の真ん中にいたものに威嚇された。
踏まれなさんなよ。
池のほとりの茶店の前には、「大仏サイダー」と書かれたのぼりが立っている。なんだそれは。なに味なんだ。やすらぎの道の電柱には「大仏あんぱん」の広告があったが、そちらのほうは容易に想像できる。大仏の顔型のあんぱんだろう、きっと。小学生のころのわたしがおみやげにもらい、「え、この仏さんの顔食べるの!?」と吃驚した、例の人形焼みたいなものなのだろうと思われる(余談だけど、アンパンマンに「おなかがすいてるんだね。ぼくの顔を食べて」って顔をはずして渡されたら、すごいトラウマになると思う)。しかしサイダーは謎である。形なき飲み物にどのように大仏を絡めてくるのか、すこぶる興味をひかれたのではあったが、資金に乏しいわたしは、家から持参した水筒につめた水道水をひと口飲んで我慢したのであった。
(続く)
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