今回も、いまさらですが春の旅のことを書きます。
晴天の4月某日朝、ノビルの葉を刻み込んだ味噌おじやをかっこんで、いつもより少し遅めに家を出る。今日はいつもの18きっぷ旅では通り過ぎるだけだった駅に降りてみようというのだ。
ここである。
関ヶ原。キャッチフレーズは「このまち、まるごと、古戦場」。うん、そうだね。
まずは駅前の観光案内所の前に置かれたラックから地図を取って、そこで見ていると、係の方がわざわざ出てきてくださり、徳川家康の陣跡や決戦の地、ちょっと山の上になりますが、と前置きして石田三成の陣跡への道を丁寧に教えてくださった。たいへんありがたいことだ。が、はい、はい、ああなるほど、と相槌を打ちながら神妙に聞いていたわたくしであったが、第一の目的地は別にあるのであった。そればかりか、教えてくださったところへは、時間があったら行こうなどと考えながら聞いていたのだ。ごめんなさい。
係の方にお礼をいい、出発。ほどなくJRの線路を渡るのだが、
脳内で、ほう、「関ヶ原古戦郷」とな、さすが「このまち、まるごと、古戦場」なだけはある……って、あるかい、「跨線橋」やろが。アホか。の一連の流れを経た後、橋を渡った反対側にこれを見たときのわたしの気持ちがッ!あなたがたにわかるかッ!
ダジャレマインド全開か!公共事業で!常識働かせて損したわ!でも嫌いじゃない!
古戦橋を渡るとすぐに東首塚。ベンチが置かれていて、若者が座ってスマホをいじっている。首塚で。いっそ写メると怨霊が写るARアプリ作ったらどうか(そんなのあったな長岡京に)。
どんどん歩く。「徳川家康陣跡」の標識をスルーしてどんどん行く。左右は畑というのどかな道。と、畑から現れたおばちゃんに「こんにちはー」と声を掛けられる。「どちらから?」京都です、と答えると、「いいでしょう、この辺の景色。京都もこんなんですか」と気さくなおばちゃん。いえ、こんなだったらいいんですけどねー、いいとこですねー。「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」はい、ありがとうございます、行ってきます。
ずんずん歩く。目的地は駅から徒歩約25分。住宅地の中をずんずん行く。
辻斬りが出るのか。それは児童は注意しないといけないな。
そろそろ目的地かな、というところで
ノーモア関ヶ原合戦観音。いや名前はいま適当につけたが適当すぎた。ここは関ヶ原の合戦の戦死者を弔うために建立されたお寺なのだとか。しかし「ノーモア関ヶ原合戦」というフレーズのインパクトの強さときたら。
おっと、このすぐ隣が目的地であった。
関ヶ原ウォーランド。「ウォーランド」というネーミングもなかなかどうしてなのに、直前にノーモア観音(また適当に名前をつけて)を出してしまったために、パンチ力に欠ける気がするが、まあ並び順なのでしかたない。入場料500円を支払い、いざ入場。
ちらちらと素敵なものが見え隠れしているが、まずは外側にあるもろもろから見ていこう。
手裏剣体験。
この的の場合、同心円の中心より、左下の忍者を狙うのが正解ではなかろうか。
戦国ストラックアウト。
もはや合戦関係なし。
ほかに輪投げなどもあり。歴史マニアのお父さんに連れてこられて退屈した子供もまかせて安心だ。さて、左手には資料館があるので、そっちから見ていこうか……と、扉を開けるとそこにはテーブルが並べられ、団体客の昼食の準備中であった。す、すみません、間違えたかな……と思ったものの、スタッフさんはにこやかに「どうぞー」とおっしゃってくださったので、急いで見て回る。
こういう状態。しかし資料館には本物の当時の武具甲冑が展示してあるという話だったんだけど。まさかそれ撤去してテーブル並べたりは……しないよね。あれー?
お礼を申し上げて、外へ出る。ではここへ来た目的のアレコレを見ていきましょうか。
騎馬武者が駆けてきますね。そう、屋外の展示は関ヶ原合戦の様子が、200体以上の極彩色コンクリート彫刻で再現されているのだ。広い場内は、講談調で合戦の様子を語る音声がエンドレスで流れ続ける魅惑の空間。
むっ
でたな「ノーモア関ヶ原合戦」。ていうかあんた関ヶ原と関係ないやろ。当時とっくに死んでたし。亡霊となって現れた武田信玄、争いをやめよと熱く訴えながらも軍配を振りかざしているので説得力ゼロ。だいたいめちゃめちゃ争ってた人やん。そして信玄公、訴える方向間違ってませんか?後ろで斬り合いやってますよ?
鉄砲隊いいなあ。その先には
寝返りで有名な小早川秀秋の陣。その先は
ちょっと秀秋!あんたのせいでお隣の大谷さん腹切ってるよ!
ここらで中央で展開している白兵戦に目を転じますと
待って、なんで裸なの。これどういう状況なの。
やめて、討たないで!
一瞬ひげぼうぼうすぎる人かと思ったが、よく見たら面頬だった。
お、島津豊久。
前に回ると
某マンガのアレですね。しかしリアル(?)「妖怪 首置いてけ」はこの人でしょう。
関ヶ原では17の首級をあげた、戦国のターミネイター可児才蔵。返り血を浴びた冷静な顔がコワイ。
そりゃやられてる方はこうなるよね。
うわ、首運んでる。
この先は首実検やってる徳川家康の陣。
あっ、検められてるの、湯浅五助だ!さっきは大谷吉継自害の場にいましたね。主君を介錯した後、その首を埋めているところを敵(藤堂高刑)に発見され、自分の首をやるからこのことは秘密にしてくれと乞い、それを了承した高刑は、吉継の居場所を言えと家康に迫られた際、知らないことはないが、言わないと五助に誓ったから言えない、自分を処罰してくれと言ったという逸話がありますね。また家康もそんな高刑に感心して褒美をとらせたとかなんとか、もう嘘みたいによすぎて嘘ですねこれ。
しみじみしてたら、妙にいい絵が撮れた。
咲き誇る山茱萸を背景に、だれかわからん人。
ん、女の人?
なぜ戦場に?
龍もいるね(カラスもいるけど)。なんだろう。
いや関係ないんかーい!
びっくりするわ。それはそうと、
すごい気になる(撮ったときは看板に気を取られていたが、いま見たら後ろのスキンヘッドの人もかなり気になる)。
なんかいますね、上の方に。足場がめちゃくちゃ悪いけど、入りますか。
妙な動きを出して描かれているので、その後ろにだれかいるのかと思ってしまったりは何故かしない掛け軸や障子が描かれているほかには、とくになにもない空間。
ロフト(嘘)。上がっても、まあ外が見えるだけ。
押せ、と。
狭いし。左下に看板。
ほう?
いやどこにもでれねーし。
香ばしい城を出て、ちょっと石田三成の方行ってみるか。
特に感想なし。
む?
「ノーモア関ヶ原合戦」?と妙な期待をしつつ行ってみると
どう見ても如来。
と、ちょいちょい怪しげな部分があったものの、陣の配置などはほぼ忠実に再現されているらしいことは、もらってきた関ヶ原合戦史跡めぐりマップと照らし合わせてみてわかった。コンクリート彫刻で再現されている挿話も、知らないことのほうが多いはず。知っていたらたぶんもっと楽しめただろう。あのハダカ侍がなぜ裸だったのかわかったかもしれないし(それはないような気もする)。ちゃんと予習してもう一度訪れてみたい。けどたぶん、次の一回で十分な気はする。
(続く)
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