(承前)
海とくらしの史料館を後にして、元来た道を戻る。いつでもそうなのだけど、帰り道では、来た時には見えていなかったものが見える。
なぜこれを見逃していたのだろう(わかってる巨大マンボウ公園のせい)。水木サンの生家(当時のままではないそうだけど)が、いまでは水木プロ中国支部となっている。庭のクスノキは水木サンお手植えなのだとか。
しかしほんとに誰も歩いてない。庭の前には、この碑。
そうかそうか。ここから見える海は、水木サンが見ていた海なのだな。しばらくここに立って境水道を眺めた。
こんな感じ。
んじゃ、行きますかね、記念館。道々フィギュアを楽しみつつ。かわいいなコレ。ヤリイカ夫婦(?)。
ふと横道に入って、こんな看板を見つけてしまった。
植田正治せんせい、鳥取の方だとは知っていたけど、境港のお生まれだったのか(せんせいとかいっておきながら)。行ってみようじゃありませんか。
しばらく探してみたけど見つけられず。うーむ。もういちど看板のところまで戻ってみる。
生家の場所は書いてないな……ん?「植田カメラ」って、せんせいが始められたお店(本店は米子市内)では。
行ってみた。
おお、ここが!と、ばっしばっし写真を撮っているわたしを通りすがりの地元の方々が怪訝な目で。でも負けない。
せんせいが実際に使用されていた機材を展示する「しゃしんき展」開催中。
寄っていきたいところだけど、水木せんせいの方も行っとかんとね。
来ました。ちょうど館の前には猫娘がいて、わたしにめっちゃ手を振ってくれたのでちょっと困惑していたら、すぐに子供さんを見つけてそっちの方へ。
そらそうだわな。
参りましょう。
右手には、のんのんばあと、しげーさん。
入館。順路に従っていくと、
原稿や壁に直描きされた絵などは撮影禁止だけど、展示によっては撮影可なのだ。うれしい。
このパネル好き。(この写真ではわからないだろうけど、けっこう大きい)
妖怪たちの立体の展示。ぬりかべがまばたきするのですよ。
べとべとさんには、光が写り込んで妙な目ができてしまった。
ここを訪れてなによりも衝撃を受けたのは、これ。
衝撃のあまり、皆にメールしました。隅に置くわけにはいかぬ鬼太郎でありました。(まあ「年齢:不明」だし、高校には通ってたようだし)
水木サンが蒐集した民族資料や、映像資料の展示のほか、かつて販売されていた鬼太郎の玩具やノベルティー商品(これが面白かった)の展示、マンガ閲覧コーナー、「ゲゲゲの食卓」と題したダイニングルームには、実際に使用されていたテーブルや食器が置かれ、椅子に座って食卓についてみることもできるなど展示方法も工夫されており、訪れる価値ありの館でした。
帰りがけに、ちょっと気になっていた「妖怪楽園」に行ってみた。
お土産物屋さんなのだけど、店先に怖い猫娘があってよかった。これを撮っていると、スタッフの方が「お撮りしましょうか」と声をかけてくださったが、自分がいっしょに写る趣味はないので、お礼を言ってお断りした。よく見たら、鬼太郎と猫娘の間に人が立つスペースがあるな。
よく乗られているらしく、背中(?)が擦り切れている一反もめん。
べとべとさんテーブル。店先で売っている食べ物をここで食べてよいのだろう。(ほかに椅子席もあり)
土産をいくつか買い、駅へ向かう。
直筆だ!
はい。
帰り道、暮れはじめた空に妖しさをいや増す街灯。
暗くなったら光るんだなあ、これ(ちょっと見てみたい)。
帰りの電車はこれでした。
姪っ子たちに写真を見せていたときに、「鬼太郎の電車乗った?」ときかれ、これを見せて「乗ったでー。後ろのねずみ男のほうだけど」というと、妹に「うん。だろうと思った」といわれた。心外だ。鬼太郎の車両が混んでいたという可能性はキミの頭には浮かばないのか。いやまあ特に混んではいなかったのは事実だけれども。
車内です。
車窓からは、往路では見ることができなかった大山が見えた。
よいものですね、大きい山は。アホみたいな感想ですみません。
さて、これからまた米子から4時間かけて帰るのだ。遠かったけど、愉しかった。見てないもの(まさばのモニュメントとか)もあるし、植田正治生家は探し出せなかったしで、二度目もありますね。ああ、次回はちゃんと下調べしてから行こうと、これがどこか遠出するとなるともう毎回のように思ってるわけで、やっぱり次回も行き当たりばったりなのがありありと目に浮かぶのであった。(学習しなさい)
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