2017-02-28

日々雑記 2017 Feb. #3

21日(火)

昨夜眠れず、朝方2時間ほど眠ったときに妙な夢を見たので、メモしておいて夜に上げる。( → 「竹眼鏡」 ) 前の夢のほうが盛りだくさんだな。動物も出てくるし。( → 「獺和尚」 )書いておいてなんだが、見た夢に需要があるのは漱石先生や百閒先生たちだけだろうな。しかし夢って、なんというか、奥行きがないんじゃないかなあと思う。それこそ表層しかないような。自分の夢だけでなく、『夢十夜』にせよ、『冥途』にせよ。夢は見たままそれだけのものだという気がおおいにする。たぶん隠されたものなどないのだろうよ。F先生には悪いけど。


23日(木)




焦げパン食べたら出かけます。

兵庫県立美術館


なんか違和感あるなと思ったら、アイツがいない。


こいつね。(「美(み)かえる」という名らしい)


風が強いので空気抜かれたのだろうな。

『アドルフ・ヴェルフリ [二萬五千頁の王国]』を観に行ったのだけど、まずは美術館を素通りして、JICA食堂でお昼。今月のエスニック料理はセルビア料理。


720円也。


写真とスープの量がちがう気がするけど、まあ気にせず。

さてヴェルフリ。


いやー、すごかった。隙間という隙間を埋め尽くさずにはおれない心というのはなんなんだろうな。多彩なトーンもあるのに奥行きが一切ない自分曼荼羅。映像とともに「葬送行進曲」の朗読が延々と流れているコーナーは、精神的にきつかった。

観終わったら美術館をぐるぐる歩く。


隙間から見える空と、その色を映す窓。


隙間から見える海。


螺旋はいいね。

外のベンチであったかい飲み物を飲みながら、ハトを眺める。


と、ハトに見つかる。次々と飛んでくるのだけどこっちには飲み物しかない。


なにももらえないと悟り、去っていくハトども。

帰りに南京町に行ってみたところ、中国人観光客が多くて不思議な感じがした。もっと和な感じのところに行ったほうがよくない?かえって珍しいのだろうかね。


24日(金)

本日の晩酌


大根おろしに叩いた梅干し、いりごま、花かつお、焼きばら海苔、天かすを混ぜ込んで醤油で味つけ、一味唐辛子をふった。このアテ最強である。


25日(土)

『ティラン・ロ・ブラン 1』、59章まで読んだ。イングランド王の婚礼の祝賀武術試合で死者150人超……ティランに嫉妬した騎士との小競り合いで、死者12人……野蛮ですこと。今日のハイライトは、木造岩山(何をいってるのかわからないと思うが、こちらとしても何が書いてあるのやらわからない)の城にて。
王女のお部屋には黄金にエナメルを引いた乙女の像がありました。乙女は両手をおろして陰部を覆っており、そこから特製の上質白ワインが流れ出てクリスタルの水槽に注いでいます。
P. 178
これは……趣味、いいんですか??? ちなみに赤ワインはといいますと、「ひどく不格好な小人の像」のへそからほとばしり出てます。すごい……


26日(日)

アサヒビール大山崎山荘美術館へ。2度目のロベール・クートラス展。今回、山荘の概要をゆっくり読んでいたら、こんなことが書いてあった。加賀正太郎は建築中の山荘を見に来た夏目漱石に、山荘に名をつけてほしいと依頼、漱石は14通りの名を考案して送ってくるが、加賀は採用せず、地名を冠し「大山崎山荘」とした……って、ちょっとこれひどくない?

美術館のあとは、マンポを探して右往左往しました。( → 「大山崎 散歩でマンポ」 )

『ティラン・ロ・ブラン 1』本日のハイライト:ティラン、犬と戦うときも騎士らしく正々堂々、丸腰の相手だからと武器を使わず戦い、犬を噛み殺す。……なんなんだこの人は。


27日(月)

『ティラン・ロ・ブラン 1』読了。おおらか、ってことでいいのだろうか、張っておいた伏線を回収しなかったり、「〇〇の理由については長くなるので省く」とかいったり。いや、そこ知りたいんですけど。「シチリア島、ロードス島のティラン」のパートはなんとはなしにラブレー風味。全員メチャクチャである。ティランくん、騎士はそんなことしていいの?そして本日のハイライトは、巨大な騎士キリエレイソン・ダ・ムンタルバーの死に様。開いた口がふさがりませんでした。マジで。


4003273818ティラン・ロ・ブラン 1 (岩波文庫)
J.マルトゥレイ M.J.ダ・ガルバ 田澤 耕
岩波書店 2016-10-19by G-Tools


28日(火)

明日に違いないと思い込んでいた(要するにまったく手を付けていなかった)締め切り、恐る恐る見てみたら来月8日であることが判明。またしまい込む。(ダメだ)

夜、用事のついでに買い物をしてきたが、かばんにエコバッグが入っていなかった。まあ量も少ないからと買ったものをかばんに詰め込んでみたものの、白ねぎだけはどうしようもなくて、抜き身(?)をこう握りしめて帰ってきたのだけれども、そんなとき、いつもの道はいつも以上に人通りが多いように感じられるものだな(気づき)。

大山崎 散歩 DE マンポ

そろそろ季節が変わってきた気配が濃厚な今日この頃、スギの動向が気になる麩之介です。皆さまいかがお過ごしですか。「種つくらんでも挿し木で増やしてもらえるやろが!」とスギやヒノキを呪ってませんか。わたしは呪ってます。


某日、アサヒビール大山崎山荘美術館に「ロベール・クートラス展」を観に行った帰りのことである。駅まで戻ってきたもののまだ日は高いし、同行者様と喫茶店でも入りますか、などといいつつ観光案内板を何気なく見ていて、


こいつが目にとまりましてね。とまってしまったらもう気になって気になってしょうがない。「マンボ」いうたら「チャッチャチャチャッチャ・うっ!」やないですか。それと「ねじり」のコンビネーションとはいったい何事か。しかも「ゲンジボタル生息地」等と同列に記載されているということは、どう考えても場所や施設の名前。これどういうこと!?とおおいに盛り上がりましてね。とにかく見てみんとわからん、ということでねじりマンボ目指して歩き始めたのであった。

ねじりマンボがいったいなんなのか見当もつかないので、「ひょっとしたらがっかり物件かもしれませんね」「行ってみたらお菓子屋さんだったとか」「あー、きなこの、なんかねじれてるアレのね」などと楽しくおはなししつつ歩いていると、前方からはお土産の紙袋を手に、すっかりできあがっちゃった方々が続々とやってきて、サントリーが近いことをわれわれに教えてくれる。ということはねじりマンボはもうすぐである。いやがうえにも期待が高まる。ところが行けども行けども見つからないままにサントリー前の踏切まで来てしまった。駅からサントリーまで行く途中にあるはずなのに、それらしきもの、なかったですよね、などといってみたものの、「それらしきもの」がどんなものかがそもそもわかっていない。わーわーいうててもらちが明かないので、同行者様がスマホでサクッと検索してくださいましてね……なんということでしょう、これ、「マンボ」ではありませんでした。実は(というより思い込みで間違えていただけなのだが)「マンポ」であること、また「マンポ」とは鉄道や天井川の下を通るための小規模なトンネルであることがここへきて判明。「チャッチャチャチャッチャ」、いっこも関係なかったよ。はは。ここで少し落胆したが(するなよ)、気を取り直して、写真付きで山崎のマンポを紹介されている方の記事を読み、ねじれていないマンポ(ストレートマンポ?)がJR山崎駅から保育園への途上にひとつ、サントリー前に抜けるものがひとつあるということがわかり、そんじゃ駅から保育園に向かってみようではないか、とJR駅へ。われわれを駆りたてるこの執念はいったいなんなのでしょうか。

JR山崎駅前の案内板で、まずはねじれているマンポを探してみる。阪急の駅前の看板と照らし合わせてみるが、ぜんぜん見当たらない。それどころかねじりマンポの周囲の地名や河川名も見当たらない。「あの地図間違うとるんとちゃうか」疑惑が生まれるなど。ともかく保育園に行ってみましょうか。「これですかね」と側溝を覗くなど不毛なことをしつつ、保育園に着いた。マンポは見当たらなかった。

保育園横の緑地公園の周辺案内図を見てもわからない。「これは……地元の人に聞いてみますか」と同行者様、公園のゴミ拾いをしているおじさんに果敢にアタック。

同行者様「この辺に、『マンポ』というものがあるらしいのですがご存知じゃないですか」
おじさん「マンポ?歩数計るやつですか?」
同行者様「いえ、トンネルみたいなもので、駅から保育園に来るのに使われる」
おじさん「そこ幼稚園ですよ」
同行者様「え?」
おじさん「保育園でしたかいな?」(見に行こうとする)
わたし(ちょっと待ってそこはいま問題じゃない)

すれ違いまくる会話の中で、それでもこのあたりの園児が通る「トンネル」を思い出そうとしてくれたおじさん。「そこの公園に、子供が通るトンネルが」……おじさん、それは遊具なのでは。土管みたいな。お礼をいってお別れする。諦めかけたわれわれの前に、散歩途中のご夫婦が。再びのアタック。やはり「マンポ」という名称はご存じないようであったが、道を少し行った先のうどん屋さんのところを曲がってまっすぐ行くとトンネルがあるということを、とても丁寧に教えてくださった。ありがとうございました。

さて教わった通りのうどん屋さんをみつけ、期待に胸膨らませて進むわれわれの前に、それは姿を現した。


これか!


駆け寄るようにして、ばっしばっし写真を撮りまくるわれわれ。地元の人から見たら生活上当たり前にあるものすぎて、なにゆえこのふたりが盛り上がってるのか理解できないこと必定である。不審者確定。

「行きますか!」「はい!」てことで、マンポを通り抜ける。天井はかなり低く、頭をかがめて通らないといけない。入ったあたりはレンガ造りだったのが、途中からコンクリートになっている。(ちなみに「ねじりマンポ」の「ねじり」は、レンガが斜めに積まれており、螺旋を描いているように見えることに由来するのだが、このときはまだそれを知らず、トンネルが曲がっているのではないかなどと考えていたため、このマンポのねじれていない様子を撮影していなかった。不覚)

反対側はこう。


一方の端がアーチ状で、もう一方が四角というのが面白い。どこで変わってたんだろう。ここでも写真をばっしばっし撮りまくっているふたりを、上の通りからふたりのおじさんが怪訝そうに見ていた。やはりか。不審なのか。不審だわな。ところで、抜けた先はサントリー前である。ということは、JRから保育園へのマンポではないということなのだ。

行きしなに通りを間違えたのかもしれないと、すでにマンポにとりつかれたわれわれ、保育園からJR駅へ、ちがう道を通ってみようということで合意した。たぶんどうかしている。

違う道を通ってJR駅に着いた。やはりマンポはなかった。ここで遅まきながら気づいたのだが、保育園から駅までは線路を渡る必要がなかった。ということは、こちら側にはマンポはないということなのでは。なのではではなく、そうだよ。線路の反対側を探すべきではないか。踏切を渡り、反対側の道を線路沿いに歩いてみる。幼稚園が見えた。幼稚園の脇に水が流れていて、階段で降りられるようになっている。


なんのために?と思って降りてみた。

あ。


あった。

「ここです!」と叫んで同行者様を呼ぶ。保育園じゃなくて、幼稚園じゃないか!ある意味あのおじさんが正しかったのか?(それはない)(たぶんない)(きっとない)

通りましょう。


中はこんな感じ。


反対側。ここは徹頭徹尾コンクリートだった。しかしやはり天井は低かった。なんでこんなに低いの?戦国時代の武将の鎧なんか見たらえらいちっちゃくて驚いたりするけど、それとおんなじなの?これらのマンポができたころの平均的な人は、もしかしてここ立って通れたの?

謎がつきない(そうなのか?)マンポであるが、われわれは首尾よく(そうなのか?)ストレートマンポ2件を制覇した。意気揚々と阪急大山崎駅に引き揚げる。そして案内板をまじまじと見る。そして気づく。そもそものはじまりから、「サントリー京都ビール工場」と「サントリー山崎蒸留所」を勘違いして、ねじりマンポのある方向とは逆に歩いていたことに。「地図間違うとるんちゃうか」て、とんだ冤罪である。まことに申し訳ございません。わたしが悪うございました。

あっちこっち歩き回った挙句、当初の目的のねじりマンポを見損ねたことに悔いが残るが、(わたしは)楽しかった。というわけで、次回は「アンドロイド&マンポ」と題して、ねじれているマンポを訪ねる予定です。お楽しみに!


アサヒビール大山崎山荘美術館の次回の展示は「生誕150年記念 漱石と京都―花咲く大山崎山荘」(2017 3/18-5/28)で、4/14-16には「先生5度目の京都訪問が実現!!―漱石アンドロイドが大山崎山荘へ―1915年4月15日の初来訪から102年ぶりに、夏目漱石先生がアサヒビール大山崎山荘美術館にご来館」(チラシより)だそうです。

2017-02-21

【夢】竹眼鏡

眼鏡を壊してしまった。困っていると、祖父が作ってやるという。竹ひごを持ってくるようにいわれるが、そんなものうちにあるのだろうか。二階の押し入れを開けると、奥のほうに細い棒状のものが見えた。手を伸ばして取ると、それは羊皮紙を巻いたもので、さらさらと開いてしまった。ふと見ると手前のかごに長さがまちまちな竹ひごが入っていたのでそれを祖父に渡すが、後になってあれは柳ではなかっただろうかと心配になる。祖父のライバルとその母親が眼鏡のことを探り出そうとあれこれ聞いてくるので、のらりくらりとかわす。それにしても、竹ひごで眼鏡をつくるなんて大丈夫なのだろうか、ちゃんとできるのだろうかと不安になり、祖父の部屋を覗く。大方出来上がったフレームを見て、予想以上によくできているので感心する。あ、でもレンズは、と思ったちょうどそのときに、薄い赤紫色のだぶだぶのコートを着た祖父が袋を提げて帰ってくる。袋には丸いレンズがふたつ入っていた。度数もなにもいってないのに、と思いながらレンズを見ると、「2.90」「2.80」と刻印がある。これは老眼鏡ではないのだろうか。しかもかなりきつくないか。そんなのかけて歩けるのか。どっちが右でどっちが左だ。それより顔色とそんなに変わらない竹のフレームでは締まりのない顔に見えるのではないか。公園のベンチに座って悩んでいると、祖父のライバルが自分がつくってやろうと言い出し、その母親もそうしてもらいなさいよなどというのをなんとか断って祖父のところに行く。祖父は写真を撮ってやるといって押し入れのふすまを開け、カメラを出してくる。もう眼鏡はできていた。フレームには黒いエナメル様の塗料が塗られて、竹でできているとは思えない仕上がりに驚く。ちゃんと鼻当てのパッドもついている。耳にかけるところには蝶番がついていて、長方形の中心にハート形の立体的な飾りが施されている。かけてみると、とてもよく見えるので軽くショックを受ける。指に塗料がついた。
#夢

2017-02-20

日々雑記 2017 Feb. #2

11日(土)

起きたら雪が降っていた。まずい。今日は山にいかねばならんのに。と思っていたらだんだん小降りになった。

昼めしは、キャベツとにんにく炒めスープ、ペンネ・アラビアータ(っぽい何か)。


寒いので、あれよあれよといううちに冷めていく……

食べたら出かけます。アサヒビール大山崎山荘美術館に「開館20周年記念 ロベール・クートラス 僕は黄金の小さな手を探す」を観に行くのだ。心配だった雪は、午後はちらつく程度でよかった。午後に出かけたのにはわけがあって、会期中第2・第4土曜日は午後2時からギャラリー・トークがあるから。これはほんとうに狙って行ってよかった。展示についてはまたいずれ。しかしクートラス作品を観ていると、現在神戸で開催中の展示が頭にちらつくなあ、と思っていたら、帰りの駅でポスター発見。


次回はこれ、『アドルフ・ヴェルフリ展』かな。大阪のクラーナハ展のほうが先になるかも。

夜は蕎麦屋で一杯飲み、上機嫌で帰りました。


12日(日)




パン粥。
昨日の残りのキャベツとにんにく炒めスープを利用。

三日ほど前から同じ階のご近所さんがタイコの練習をしている。今日はとある祭りがあるのでその練習かと思っていたところ、外から祭りのタイコが聞こえているというのに、ご近所さんは独自に練習を続けておられる。無関係だったらしい。ところであれはほんとうに和のタイコなのだろうか。ずっと聴いていてもリズムらしいリズムが聞き取れないので、なんか和の「間」とかいうやつなんだろうと思っていたけど、ひょっとしたらあれは洋のドラムで演者のリズム感の問題なのではという疑惑が急浮上。それかとてつもない変拍子やってるか。8分の21とか。


13日(月)

ご近所さん、今日はタイコの練習してないな。


14日(火)

あるときわたしは、なるべく怒らないで生きていこうと決めた。怒ることで損をするのは自分だと思うから。本日、とある店からカタログが送られてきた。「お誕生日特別割引チケットをお送りさせていただきます。受け取った日からお誕生日の15日後までの間、商品が割引になる特別パスです」と記された紙が同封されていた。


ところで本日は、お誕生日から13日後である。怒りはしないが、ちょっと呪った。

おやつに黒豆を煎った。


ちょっと煎りすぎたけど、うまい。豆をぽりぽり食べながら聴いているのは、これ。


フェルナンド・ペソアの詩に曲をつけて歌ってるの。2013年のアルバム。曲は現代的なファドで、なかなかよいです。


15日(水)

朝、ウチを出るのが2分遅かったために、最終的に遅れが1時間に膨れ上がるというイナカあるある体験をした。しかし電車が30分に1本、その先のバスが1日7本というタイムテーブルなので、もともと待ち時間が1時間以上あり、とはいえ駅前に呼んだタクシーが来るまで20分かかるなどスリリングな瞬間もあったが、現場到着に遅れなしというミラクル。

おやつ


帰りに買ってきた「チーズ職人」という小っさいケーキ。軽くておいしい。「スイス菓子 ローヌ」さんの製品。ここのケーキは質(オーナーさんはドイツ及びオーストリアの国家マイスターの称号をお持ちなのだ)のわりにはお値段が高くなくて素晴らしい。カフェのケーキセットなんてあなた、ケーキにアイスにサブレにドリンクで税込み650円ですよ。まあね、つい最近まで甘いものが一切食べられなかったので「質」をどうこういえるほどケーキ食べたことないんですけど、おいしいと思いましたよ。

晩めしはスパゲッティ・ぼんごれ(なんか平仮名で書きたい)ビアンコ(これは片仮名でいい)。



殻付きだと見た目はゴーカだけれども、身は殻からはずしておいたほうが食べやすい(反省点)。


16日(木)

朝めしは乾燥野菜のオートミール粥。


スープ用の乾燥野菜、便利。

夜、なぜか突然砂鍋(深さのある中国の土鍋)がほしくなって、ネットで探してみたところ、高くて吃驚した。昔、中国製品を扱う店で50円で売っていたのを知っているので、2,000円超えるなんて、ありえなく高く感じてしまう。50円(20年以上前の話だけど)のはなんぼなんでも安すぎると警戒して買わなかったのだけど、あれ買っておけばよかったなあ。


17日(金)

結局一晩眠れなかった。夜は明けても、天気が悪くて灯りを点けないといけないのだな、今日は。

朝めしはレンズ豆スープ(カレー味)。


スープ用干し野菜使用。これはスペインの製品で、何種類かあるのだけど、パッケージのままだと使いにくくて瓶に詰め替えているため、何スープ用ミックスだかわからなくなってる。たぶんパプリカが入っている。

午後、実家からモチと野菜が届いた。モチは明日食べる分を水餅にしておいて、あとは冷凍した。ちょうどキャベツを買ったところだったので、いま我が家にはキャベツが2玉……

昨日の砂鍋で思い出したが、よく考えたら我が家にはいただきもののトゥッペギがあったのだった。一度これでごはんを炊いてみよう。蓋はないけど、なんかテキトーにかぶせといたらいけるやろ。

というわけで、晩めしは、トゥッペギ再発見記念チゲ。


ちなみにレシピは以下の通り。

材料:ごま油、白菜キムチ(汁も)、にんにく(すりおろすかつぶしておく)、しょうが(すりおろすかせん切りにしておく)、水、味噌、粉唐辛子、納豆、豆腐、ねぎ、お好みの魚介、お好みの野菜。

つくり方:
① 鍋にごま油を熱して、汁気を切ってひと口大に切った白菜キムチをよーく炒める。
② キムチがよく炒まったら、にんにくとしょうがを加え、さらに炒めて水とキムチの汁を加えて煮る。
③ 味噌を溶き入れ、粉唐辛子と納豆を加え、よく混ぜてさらに煮る。
④ 土鍋に適宜切った豆腐、魚介、ねぎ、野菜を入れておいたところに③のキムチスープを注いで火にかけ、煮えたら食う。

わたしは牡蠣でつくるのが好きだけど、今日は売り切れていたので鱈で。野菜はにんじんと白菜としいたけ。ビールか焼酎が欲しい(いま梅酒とラム酒しかない)。


18日(土)

昨日の夜から調子が悪く、風邪を引いたかと思ったが気のせいだったらしい。しかし調子よいわけでもなく、食欲もないので、朝はモチだけにしよう。

水餅にしておいたのを、


水から出して、皿に乗せ、


レンジにかけると、こう。


これに納豆をね


よいものですよ。

晩はこれに大根おろしでからみ餅(一味唐辛子を振りました)。


子供のころ、母の実家に餅つきの手伝いに行って、つきたてを小さくちぎっては、たっぷりつくった大根おろしにつぎつぎ放り込んで、からみ餅にしてくれたのを食べるのが楽しみだった。モチの食べ方としては、いちばん好きかもしれない。それにしても、餅は平仮名で「もち」と書いても片仮名で「モチ」と書いてもかわいいね。


19日(日)

夜明けごろまで布団でナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』(須賀敦子 訳 白水Uブックス)を読む。読むのは何度目かになるけど、この人の文章はやはり好きだ。なぜか気分が落ちたときに読みたくなる。現代イタリア史において極めて厳しい時代を背景に、ひとつの家族に起こったあれこれが淡々と綴られている。気難しい父に朗らかな母、個性豊かなきょうだいたち。生活のなかの楽しみも、他愛のない会話も、人種差別政策下の不安も、父・兄弟たち・夫の逮捕・投獄、そして夫の獄死も、同じ静かな調子で語られる。抑制がきいているということは、必ずしもそこに流れている感情が希薄だということを意味しない。感動は、必ずしも感情を煽るような文章に呼び起こされるものではない。

4560071209ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
ナタリア ギンズブルグ Natalia Ginzburg
白水社 1997-10by G-Tools

少し眠って9時ごろ起床。朝は珈琲のみ。

昼は残りごはんをあっためて、じゃこおろしたぬき丼(芸のない名前だな)と、わかめの味噌汁。


ごはんに天かす、酒と水に浸しておいたちりめんじゃこ、大根おろしを乗っけて醤油をかけただけ。青じそかねぎがあればなおよし、なのだけど。

おやつ


珈琲に、オート・クリスプ・ビスケット。

晩めし用にゲット。


税込み30円!みぞれ鍋にしました。


20日(月)

フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』(木村榮一 訳 河出文庫)を読み始めた(『ティラン・ロ・ブラン』はどうした)。雨降ってるから(関係ない)。以前単行本で読んだときにも気になったのだけど、「黄色い雨」の語り手の「~だろう」は推測なのか未来なのか。原文見たらわかるのだろうか。(スペイン語読めないけど)

4309464351黄色い雨 (河出文庫)
フリオ リャマサーレス Julio Llamazares
河出書房新社 2017-02-07by G-Tools

晩めしはにゅうめん。


天かすの消費期限が過ぎたので、積極的に使用していく所存。

今日はやらないといけないことが何ひとつやれなかった。雨降ってるから(関係ない)。

2017-02-10

日々雑記 2017 Feb. #1

1日(水)

このところ、眠りが途切れがちで疲れる。


2日(木)

昨夜は一睡も(文字通り)できず、ナタリーア・ギンツブルグ『夜の声』(望月紀子 訳 未知谷)が読めてしまった。望む愛を得られない人々の焦燥と孤独、ただごとでない閉塞感が、一人称の淡々とした口調で語られる。上滑りする会話、いや「発話」がぶっきらぼうに並べられ、すれちがい、かみ合わなさが強調される「夜の声」がすごかった。構成も見事。


4896424999
夜の声
ナタリーア ギンツブルグ Natalia Ginzburg
未知谷 2016-06by G-Tools



3日(金)

某店より「ハロウィーンについてアンケートご協力のお願い」というメール。フォームを開いてみた。

「昨年のハロウィーンはどのように過ごしましたか」―「何もしなかった」にチェック
「ハロウィーンのために何か購入しましたか」―「何も買わなかった」にチェック
「なりたいキャラはありますか」―……ない

ご協力しないほうがよかろうと判断し、フォームを閉じた。

ご近所さんが焼いているいわしの匂いで、節分用にいわしを買っていたことを思い出した。


お察しのとおり、商品名にやられたのだ。豆も煎ろうと思ったが、肝心の大豆がなかった。それにしても、豆を歳の数だけ食べる意義がわからない。お年寄りになると相当つらいのではなかろうか。


4日(土)




ソパ・デ・アホ。




残りごはんに残りいわし、インスタント味噌汁(長ねぎとわかめ)。




キムチ雑煮。


写真掲載に関する問い合わせをサボっていたため、1月はじめの旅記録をいまごろアップ( → 「鳥取右往左往――冬の18ゲゲゲ旅 境港編(1)」 )。いざ問い合わせたら、すぐに丁寧なお返事がいただけたのだった。


5日(日)

昔撮ったフィルム写真を発掘。


京都御所の白梅。

意外に長編化してしまった記事の続き。( → 「鳥取右往左往――冬の18ゲゲゲ旅 境港編(2)」 )


6日(月)

ひょっとしたらなくしたかも、と思っていた某所の源泉徴収票が本日届く。遅いよ。

記事続き。( → 「鳥取右往左往――冬の18ゲゲゲ旅 境港編(3)」 )

本日の寝かしつけはヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』(沼野充義 訳・解説 未知谷)。

4915841510終わりと始まり
ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野 充義
未知谷 1997-06by G-Tools


7日(火)

何冊か注文していた書籍を受け取りに書店に出かけたが、そのうち1冊は明日の入荷とのことで手ぶらで帰る。入荷連絡が来てから行くべきであった(当たり前だ)。

機結びでしのいでいた照明のヒモスイッチが完全に切れた。点灯した状態で切れたのであれば、壁のスイッチで操作できるけど、消灯のときに切れてしまったので、分解修理するしかないのだけど、そんな根性ないので、1灯ソケットを買ってきた。いざ通そうとすると、前のものと形状が違って通らない。しかたなく接合部分の部品を半分以上切り取ってなんとか通した。いつか頭に落ちてくるかもしれん。

記事続き。( → 「鳥取右往左往――冬の18ゲゲゲ旅 境港編(4)」 )

境港編はこれにて了。


8日(水)

フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』(木村榮一 訳 河出文庫)、近藤ようこ / 夏目漱石『夢十夜』(岩波書店)を購入。

4309464351黄色い雨 (河出文庫)
フリオ リャマサーレス Julio Llamazares
河出書房新社 2017-02-07by G-Tools


4000254251夢十夜
近藤 ようこ
岩波書店 2017-01-20by G-Tools

懸案のJ. マルトゥレイ / M. J. ダ・ガルバ『ティラン・ロ・ブラン I 』(田澤耕 訳 岩波文庫)を読み始める。ウォーウィック(ウォリックでなく??)伯ウィリアムがエルサレム巡礼への出立を妻に告げる場面、
 伯は幼い息子の髪を掴んで引っ張り上げると、頬に平手打ちをくれて、こう言った。
 「さあ、泣け我が子よ。父の悲しい出立を母とともに嘆くのだ」
 三ヵ月になったばかりの幼子は激しく泣き出した。泣きじゃくる母子を前にした伯の心痛ははなはだしく、……
p. 42

……なぜ泣かす???


4003273818ティラン・ロ・ブラン 1 (岩波文庫)
J.マルトゥレイ M.J.ダ・ガルバ 田澤 耕
岩波書店 2016-10-19by G-Tools



9日(木)




シナモンシュガートーストと珈琲。




あさりの酒蒸しの残り汁で炊いた生姜ごはんと、手あたり次第に具を入れた味噌汁。

夜、鳥取記事最終回を上げる。( → 「鳥取右往左往――冬の18ゲゲゲ旅 古書を訪ねて編」 )やれやれ。


10日(金)

図書館で借りてきたホットドリンクのレシピ本、読み物としても興味深く、レシピも充実しているのだが、


本格的にもほどがある。