2020-01-31

日々雑記 2020 Jan. #3

21日(火)




全粒粉マフィントーストにマーガリン、コーヒー。

晩はカップ麺(日清シーフードヌードル)。

まだ日付も変わらない時間に「反物大量にあります」という文字列を自然に「反物質大量にあります」と読んで「それはえらいことだな」と、これまた自然に思ってしまったので、もう今日はダメだと寝床に入る。


22日(水)

どうにも眠れなくて、なぜか頭に浮かんできたクウェンティン・クリスプのことをずっと考えていた。午前3時ごろ、ハシボソガラスが鳴いた。かなり長い間鳴いていた。どうしたんだろう。

午前6時、努力しても眠れなかったので、諦めて起きていることにして、中断していた本を読んで夜が明けるのを待った。




かき揚げ丼、インスタント味噌汁(白ねぎ)。
昨日買ったかき揚げをフライパンで温めて炊きたての飯に載せ、めんつゆをかけた。

用事を片づけついでに、以前から気になっていた三条の 職人.com ショールームを覗く。


見るだけにしておこうと思っていたのだけど、寝不足がたたり(?)物欲を抑えきれず、購入してしまった。


伊賀 土灰斑点土鍋。そして下に敷いてるわら鍋敷き。

あっちこっちで本も買った。


川崎洋『教科書の詩を読みかえす』は、古書店の店先のワゴンで100円だった。近藤ようこ『夢十夜』はハードカバー版を持っているのでいいかと思ったが、描き下ろし作品が収録されているとなれば話は別。ほかに『塚本邦雄全歌集 第四巻』、マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者 上下』、レオポルド・ルゴーネス『アラバスターの壺 / 女王の瞳』。

ついでに先週買ったものの上げ忘れていた分。


エリック・マコーマック『雲』、『母の友』2月号。

『母の友』は、絵本作家としてしか知らなかった堀内誠一の写真についての記事を目当てに。姪たちへの貢物リストを(いまさら)つくってみてわかったのだが、わたしは彼の絵本がかなり好きらしい。で、はじめて見る彼の写真なんだけど、とても素直でいい写真だった。誰しも写真をはじめて、多少慣れてくると色気が出てくるというか、切り取り方を考えたり、こう見せたいという欲が出たり、まあいってみれば「自分の写真」を撮りたくなることが多かれ少なかれあると思うんだけど、そういうところがほんとになくて、いいもの見つけた!といううれしい気持ちがそのまま写っている写真だなあと思う。デザイナーとして実績のある人の写真なので、なおさらこういう素直さに驚いてしまうのだ。「堀内さんは自らの写真を雑誌のページに使うことはありましたが、作品として発表するつもりはほぼありませんでした。そのため、プロの写真家のものとは違って、見ることの楽しさと好奇心だけが伝わってくる、とても素直な写真です。」(戸田昌子氏による記事本文より) そうそう、ウクライナで撮られた彼自身が写っている写真の、道の脇にぽんと放り出された鞄に、そのうれしさみたいなものが端的に現れていてちょっとフフってなってしまった。「ピントが合っていない写真からは、自らが描いた絵本に似た風景を見つけた驚きのあまり、慌てて旅の同行者に写真を撮ってもらった様子が想像できます。」(pp. 37-38) んでまた彼は目がいいから、見つけるものがいちいち素晴らしいわけです。

それにしても、このタイトルページ、ニクイですね。


まずこの子がかわいい! 向こう側からガラス扉に人差し指を押し当てている仕草といい表情といい、なんでしょうかこのかわいさ! あと着ている服や帽子がいちいちかわいい! そして「絵本を旅する」の文字のカラーリングがこの子の服の色に合わせてあって、ページ全体が卑怯なくらいかわいいんですけど、なんなんですか!(嫉妬)(なんでや)……(クールダウン) 彼がいつかつくりたいと語っていたという「ゆで卵をテーマにした写真集」、見てみたい。誰かつくってくれないかな。

今回この雑誌を(母でない身としてはなかなか手にとりにくいので)はじめて読んだのだけど、ほかの記事も面白く読みごたえがあった。薬膳と東洋医学の特集に掲載されていた「きのこの中華風茶碗蒸し」


これ、ニュー土鍋で試してみようか。

夜、俳優・映画監督・脚本家・歴史学者・作家として著名なテリー・ジョーンズ氏の訃報。わたしに英語力なんてものがあるとすれば、学生時代に何度も何度も繰り返して観て、何度観ても毎回同じところで笑ってた Monty Python's Flying Circus のおかげなんだ。あらゆるものを笑い飛ばしていいんだということも、まあ実践するかどうかはともかくとして、彼らから学んだ。ここ数年のジョーンズ氏は認知症で言葉も満足に話せなくなったと聞いていて、あの知性のカタマリのような人が、と胸の潰れるような思いだった。どうか安らかに。


23日(木)

後藤ひろひと氏がテリー・ジョーンズ氏との関わりを書いておられる文章を読んで、朝から泣いてしまった( → ひろぐ 「Thanks Mr. Jones ~変化の風の話」 )。「あなたのようなコメディアンになりたいが、大人たちはその夢を諦めさせようとする」と悩む日本の高校生からの手紙に真摯に向き合い、「もしも君が自分の未来としてあれ [「空飛ぶモンティパイソン」]を目指すのならばそれは大きな間違いだ!」といい、
僕らがやった事の要素をどれだけ盗んでもかまわない!
けどできるだけ僕らから離れようと努力してごらん!
それが君の未来だ!
こう励ましたテリー・ジョーンズ氏(※いわずもがなのことではあろうが「!」は後藤氏の文章で、おおむね句点として機能している。もちろんそれだけではなく、この「!」使いがかなり念入りに計算されているクセモノの文章なのだけれども)。そしてこれに続くひとことが後藤氏を決定的に変える……泣くでしょう、そりゃ。いや、ここだけじゃなくてこの後も素晴らしすぎて、最後まで読んでまた最初に戻って、一度目は素通りした前フリの部分からもう……(泣いてる)

泣きながら朝食


全粒粉マフィンのトーストにマーガリンとはちみつ、コーヒー。




韓国海苔雑炊。


24日(金)




トマトスープ。
見えないが、玉ねぎ、にんじん、セロリ、じゃがいも入り。


25日(土)

朝、久々に少し寒い。白湯を飲んで体を温める。外出で豪華な飯が予想されるため朝食は抜く。

そして電車でGO。せっかくなので、京とれいん雅洛でGO。


本日は窓に向いた席でGO。


停車駅では電車待ちの皆さんと対面することになるわけで、いささか居心地悪し。そして肝心の窓外の景色はというと


とくに楽しくはないのであった。

梅田着、まずは昼食。


某うどんと天ぷらの店にて、えび天丼。
少なめのごはんにえび、大葉、海苔の天ぷらが乗っている。見てのとおり、えびは5匹。過剰である。えびインフレ。バランス的には2匹くらいのほうがありがたみがあるというか、気分的にはご馳走を食べている感が大きいのではなかろうか。そして汁物がメニューにないのが残念。壁面の棚にオブジェとして鰹節が祀ってある(?)ほど出汁が売りの店なんだから、そこらへんなんとかならないものか(うどんを注文しろということなんだろうな)。

そして本日の目的地、天王寺へ。あべのハルカス美術館で開催中の


カラヴァッジョ展ですよ。展示予定だった「ホロフェルネスの首を斬るユディト」、「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」はイタリア側の手続き上の問題だかなんだかで来日せず。まあ来なかったものはしかたない。名古屋展では展示された「病めるバッカス」、「メドゥーサの首」、「ゴリアテの首を持つダヴィデ」も見られないが、まあ……しかたないね。

わたしは「執筆する聖ヒエロニムス」、これが見たかったんだ。簡素な机に無造作に置かれた分厚い書物。禿頭の老聖人は素肌に緋色の衣をまとい、一心に書物に見入っている。ヒエロニムスの顔から伸ばされた右腕、ペンを持つ右手、その先の頭蓋骨へと視線が見事に誘導される。うーむ隙がない。闇、劇的な光、抑えた色数でいや増す強度。完璧じゃないですか、これ。いや、ほかの絵もよかったんですけどね、どれかひとつといわれたら、これを激推し。

ほかにはカラヴァッジョと同時代の、いわゆるカラヴァッジェスキの作品多数。ジェンティレスキ父娘の作品も一点ずつ。父ちゃんの作品は初めて見た。しかし、カラヴァッジョ、カラヴァッジョ様式、カラヴァッジョの模写と、濃い目のものをこんだけ見たらもう腹いっぱいですわ。

そうそう、「リュート弾き」の展示室には、衣装を着せたボディ、花瓶、楽器などで画面を立体的に構成したコーナーがあり、ボタンを押すと画面手前の楽譜を演奏した音声が流れるなどして、内心ちょっと盛り上がったのであった。

恒例の「名画に参加」コーナー(勝手に命名)


面白がってるやろ、という気がしないでもない「歯を抜く人」。

外へ出たらまだ明るかったので、天王寺公園に行ってみた。


春節祭やってた。

晩は恒例の中華。


ここに来たら必ずたのむ豆腐干絲にトマトと卵の炒めを本日も。ほかに揚げ茄子葱ソース、海鮮蒸し春巻きにビール(中2杯)もつけて、腹ぱんぱん。


26日(日)




全粒粉マフィンのトーストに目玉焼きとチーズ、紅茶。
「マフィンは消費期限を過ぎているし、チーズは開封してから時間が経ってかなり怪しげなので、ぜんぶ使ってしまえ作戦」その1。網焼きしたマフィンに目玉焼きを載せ、その上からシュレッドチーズをアホみたいに載せて魚焼きグリル(取っ手と前面パネルガラスは破損しているが、使えないことはない)で焼いた。目玉焼きの黄身には完全に火を通した方がいい。でないと垂れて大変なことになる。ていうか、なった。




牡蠣鍋、かぶの塩もみ、じてんしゃ飯。
牡蠣と白菜と九条ねぎを味噌仕立てで。残ったじてんしゃ飯はおむすびにしておく。

おやつ


わらび餅的な何か、緑茶。
実はこれ、土鍋の目止めの副産物。でんぷん(片栗粉)と水の混合物が加熱されて固まったものなので、実質わらび餅ではある。味のないぷるぷるした何かを黒蜜ときなこで強引に食べてみたものではあるが、案外いけた。しかしこれ土鍋一杯あるわけで、正直どうしようと思っているのだけれども。




全粒粉マフィンのトーストにチーズ。
「マフィンは消費期限を過ぎているし、チーズは開封してから時間が経ってかなり怪しげなので、ぜんぶ使ってしまえ作戦」その2。これで無事使い切った。体のほうが無事でいられるかどうかは、のちにわかる。


27日(月)

昨日のチーズで具合は悪くならなかった。おめざにわらび餅的な何かにはちみつときなこをかけたのと緑茶。朝はじてんしゃ飯のおむすびにインスタント味噌汁(白菜)、晩めしはわらび餅的な何かに黒砂糖ときなこをかけて、ほうじ茶とともに。でんぷんだから大丈夫(なにがだ)。みごと完食。わらび餅的な何かはしばらくいい。わらび餅もいい。


28日(火)

今朝見た夢。目が覚めると、だだっ広いベランダから人声が聞こえている。たくさんの人があちこちにおかれた急ごしらえのベンチに座り、紙皿と紙コップを手にわいわいと飲み食いしている。ベンチの中にわたしが本を入れている箱があるのを認め、箱詰めした本を置いている奥の部屋への扉を開けると、箱があちこちに雑然と置かれていて、上には焼き鳥の載った紙皿やビールの入った紙コップが乗っている。石油ストーブが5台ほど置かれていて暑いので消して回る。なんでこんなことになっているんだと混乱していたら、隣の住人が結婚記念日で模擬屋台をやっているのだと叔母が教えてくれた。表に出て、開けっ放しの扉から隣の部屋の中を見ると、室内は色紙を切って作ったらしいチェーンや花で飾られ、「祝・結婚記念日」とか書かれた横断幕が張られている。炉端焼きの店みたいなカウンターの中で、法被を着て鉢巻きを締めた眼鏡のおじさんが肉に串を打っている。本格的なんだか手作り感あふれてるんだかよくわからんなと思いながら自室に戻ると、友人とその小学3年生の娘さんがいて、これからトルコ料理の○○(忘れた)をつくって人を呼ぶのだという。それはいいけど、なんでうちでやるのと思ったところで目が覚めた。
実際には➀だだっ広い共用ベランダはない ⓶奥の部屋はない ③隣の住人は法被鉢巻き眼鏡のおじさんとはまったく似ていない ④友人の娘さんは今年高校を卒業する年のはず ➀⓶については、なぜか親戚一同が訪ねてくる設定の夢でかならず見る部屋。④については、彼女は小学3年生の時に遠くに引っ越していき、それっきり会っていないのでまあ無理もない( → 「ゆう人」 )。




釜揚げうどん。
乾麺を茹でて、めんつゆを茹で湯で希釈し、すりごまを加えたもので食べた。




おでん。
これをアテにノンアルコールビール。おでんは大鍋一杯あるのでしばらく続く。


29日(水)




くるみ食パンのトースト、コーヒー。




O'Dane (also the Danes' delight)。
イングランドの伝統料理。11世紀初頭、クヌート王即位の際、伝説の大鍋エルドフリームニルに海藻のスープを沸かし、魚のすり身を油で揚げたもの、草の根、茹でた鳥の卵などを煮込み、諸侯にふるまわれた料理が起源とされる。嘘なので「当時じゃがいもなかっただろ」とかいわないでほしい。


30日(木)




くるみ食パンのトースト、ミルクティー。

晩はおでん。まだある。


31日(金)




クルミ食パンのトースト、コーヒー。

本日の夕空


今晩もおでん。

2020-01-20

日々雑記 2020 Jan. #2

11日(土)




焼き豆餅、ほうじ茶。
豆餅は三つ焼いた。(皿に乗らなかった、というか乗らんことはないがちと見苦しいので「バエ」を優先)




栃餅ぜんざい、ほうじ茶。
市販の粒あんでつくったぜんざいに、茹でた栃餅をふたつ。

そう、もち地獄である。妹のお義母さんからいただいた餅はおいしい。おいしいが、いつまでも保つものではない。冷凍庫に入れればすむ話だが、現在そこはコーヒー豆(2㎏)その他でパンパンなので、カビる前になにがなんでも食べ切らないといけないのだ。「もち地獄」と呟くと、餅のさまざまな食べ方をご教示くださる方々がいらしてとてもありがたいのだが、わたしがもらった餅は普通の餅が1、豆餅が5、栃餅が4。教えていただいた技はほぼ使えない。それにしても、なぜこの配分になったのか。

仮説1. 変わった餅が好きだと思われていて、ご厚意でそうした餅を詰めてくださった
仮説2. 変わった餅が嫌いな人物が普通の餅を中間搾取し、余ったものを渡された

1だと思っておこう。実のところ、変わった餅どころか、餅自体が積極的に好きではないのだが。まあ嫌いというわけでもないが、どちらかというと「嫌い寄りの普通」かもしれない。ただ、子供の頃、母の実家に餅つきの手伝いに行ったとき、醤油で味をつけた大根おろしに、つきたての餅を小さくちぎってほいほいと放り込んでもらって食べるのは大好きだった。あれはほんとうにうまかった。

夜、餅を見ると普通の餅と豆餅にカビが出ていたのでこれは捨て、とくに変化は見られない栃餅は、いまさら、とは思うが水餅にしておいた。栃の実の成分がカビをよけているかもしれないし、だいじょうぶだろ。


12日(日)




栃餅ぜんざい、ほうじ茶。
昨日のぜんざいの残りに茹でた栃餅をふたつ。

もちも食べつくしたし、昼はどうするか。1週間の実家暮らしですっかり人任せに慣れてしまったが、帰ってきたからには自分でなんとかしないといけない。

さば缶


きのこ類と生姜せん切り


白菜


蓋をして弱火にかけ


こうなったら酒と醤油で味つけ、さらに煮る。


完成


さば缶鍋定食。
かぶの葉の塩もみ付き。鍋にはさばと相性のいい黒胡椒をふったが、生姜が効いているので、なくてもよかった感じ。




豆乳鍋。
豆乳を同量の水(昆布出汁でもいい)で割り、ごくごく少量の重曹(凝固防止のためなので、気にならなければ省いてもいい)を加え、塩と醤油と胡椒で味つけしたつゆで、甘塩鮭、えのきたけ、しいたけ、しめじ、白菜、かぶの葉を煮た。この写真を撮ったあと盛大に吹きこぼれてたいへんなことになったので、やってみようと思われた方は火加減にお気をつけください。


13日(月)




鍋焼きうどん。
お揚げと干ししいたけの炊いたの、えのきたけ、春菊。




すき焼き(っぽい煮物)定食。
麺つゆに砂糖を足して、豆腐、お揚げ、麩、糸こんにゃく、しいたけ、えのきたけ、九条ねぎ、春菊を煮た。味噌汁はインスタント(小松菜)。このあと、すき焼き(っぽい煮物)の鍋でうどんを煮て汁も完食するつもりなので、飯(昨日の残りの冷やごはん)は少なめ。

用事で出たついでに銀杏を拾った


今日は11個。まだ落ちてるものだな。




あるものなんでも入れた鍋。
豆腐、春菊、九条ねぎ、しいたけ、しめじ、えのきたけを昆布出汁で煮て、ぽん酢で食べた。

よく見たら今日は植物しか食べてない。まあ麺つゆとぽん酢に鰹出汁が使われてるけど。


14日(火)




月見うどん。
昨日の鍋の残り汁を使用。

仕事のメールを1件やっつける。送信しただけで一日の仕事が終わった感。




鮭きのこ炒飯。
甘塩鮭、にんにく、赤玉ねぎ(具材として炒めるものと、薬味として生でトッピングするもののツーウェイ使用)、しめじ、たまご、冷やごはん、クコの実、ごま油、塩、胡椒、乾燥パセリ。フライパンで鮭を焼き、その場で骨を外してほぐしたところにほかの具材を入れて炒め、フライパンの端に寄せて空いたところでたまごとごはんを炒めて、しかるのちにすべてを混ぜ合わせるという横着なやり方だが、それなりにうまかった。

仕事を片づけ、夕方からは帰省時に依頼された母の部活の会計簿(のテンプレート)づくり。できるだけ操作が簡単なものにしようと思うとなかなか難しい。


15日(水)

雨に濡れるとゾンビ化する可能性のある世界で、ともに旅してきた三人のうちのひとりがゾンビとなっていくのをなんとか止めたいがどうにもならないという、なんとも疲れる夢を見た。ゾンビはほぼ意思疎通のできない敵であったが、紫色の顔をした石原裕次郎は理性的なゾンビで、わたしたちの力になろうとしてくれた。なぜ石原裕次郎?




豆乳ラーメン。
こないだの豆乳鍋がうまかったので、思い付きでインスタントラーメン(サッポロ一番塩らーめん)に豆乳を入れてみた。これなかなかいける。野菜(なんでもいいけど今回は玉ねぎ、キャベツ、ピーマン)とかにカマを軽く炒めたところに水(コップ1杯程度)を注いで煮立たせ、付属のスープを入れて溶かし、豆乳(これもコップ1杯程度だけど、少しずつ入れて味をみながら調整するのがいいと思う)を加えて軽く温めたものを、別に茹でた麺と合わせ、付属の切りごまをぱらり。麺を別茹でせず、袋の表示より少なめの湯でつくって、仕上げに豆乳を足してもいいかも。豆乳を加えてからはぐらぐら煮立たせないということさえ気をつければ、なんでもいいと思う。

夕方、いつもの書店に注文品を受け取りに行き、新たに何冊か注文。帰りに何の気なしに東北物産展を覗き、なぜかブリヌィ(キャベツ、にんじん、マッシュポテト、大豆入り)を買う。売っていたおねえさんフロムロシアいわく「ブリヌィ、ロッシャの料理、でもこれぜんぶ福島の材料使ってます」

そのあと某高級スーパーに寄り、そこで売っていると教えてもらった PG tips の紅茶(さいこうの日常茶!)とアーモンドと胡桃のカンパーニュ(うまい!)を買い、さらに魚介の安いスーパーにも寄っていろいろ買って帰宅。すぐにあさりを塩水(水500㏄に塩大さじ1)に漬け、新聞紙をかぶせる。新聞紙は暗くしておくためと、あさりが水をぴゅーぴゅー吐くため。かぶせておかないと周りが水浸しになるのだ。




サワラ(これで150円)の煮付。
これとフライパンで温めたブリヌィ(どんなとりあわせだ)、そしてビールを少々。


16日(木)

リラックスするあさりたちを確認


明るくなるとすぐ水管をひっこめてしまうが、しまい切らずにのびのびしているのもいる。すまない……




アーモンドと胡桃のカンパーニュ、りんごジャム、紅茶。
りんごジャムは自家製なので砂糖はかなり控えめ。これをパンにこってりと載せる。紅茶は昨日買ったものではない。

食後、あさりを洗い、ワイン蒸しにする。すまない……


開いたものから取り出し、冷めたら殻を外しておく。もちろん蒸し汁もとっておく。これは晩めし用。

生クリームがうまいこと半額で買えた。


玉ねぎとセロリとじゃがいもでチャウダーのベースをつくる


まあ野菜スープなんだけど、これにメインの具材と、クリームかトマトペーストを足すことで、ニューイングランドチャウダーもマンハッタンチャウダーも両方楽しんでしまおうという寸法。本日は適量を土鍋にとり、あさりの蒸し汁、牛乳、生クリーム、剥きあさりを加え、塩と乾燥タイムで味を調えまして


あさりチャウダー(あさり見えねえ)。
オイスタークラッカーはないので、クリームクラッカー(甘いクリームがサンドされてるものではなく塩味の四角いやつだが、なぜクリームクラッカーというのかは知らない)を添えて。

昨日買った鱈のあらを茹でておき、布団に入る。

眠れない。


17日(金)

5時過ぎに目が覚めた。まだ暗い。湯を沸かし、少し冷まして飲む。




アーモンドと胡桃のカンパーニュ、オレンジマーマレード、紅茶。

昨晩茹でた鱈のあらの一部を温めてぽん酢で食べる。残りは二つに分け、食べやすい部分はチャウダー用にとっておき、骨の多い部分は煮付にしておく。


18日(土)

いつも通りに目は覚めたけど、何をする気にもなれず、台所へ行って水を飲み、また布団に戻る。二度寝して見た夢。楽器屋のバイトに久々に出勤すると、売場が通路から数段降りた約2ⅿ四方の空間になっていて、床はサラサラの砂に埋もれていた。三方はコンクリートの壁で、商品もレジカウンターもない。足元の砂地には、花の咲いていないオオキバナカタバミがぽつぽつ生えている。なぜこんなことになったのか同僚に尋ねても、だんだん砂がたまってきたのだとしか答えてくれない。




鱈のあら煮、麩と糸こんとかぶの葉の炊いたの、白飯、インスタント味噌汁(白ねぎ)。
あら煮の煮汁で春菊をさっと煮たのがうまかった。

本日の夕空


ついでに冬もベランダにいるペパーミントくん


春に散歩道で摘んできて挿したもの。主人帰省中の過酷な夏のベランダで、施された腰水が完全に干上がり、同時期に挿した他の三茎が力尽きるなか、からくも生き延びたひと茎が今こんなに(泣いてる)。鉢に阻まれ、びゅんびゅん伸ばしているランナーが行き場を失い盛り上がって露出している。地植えにしてやれたらいいのに。




鱈チャウダー。


19日(日)




残りもののっけラーメン。
マルちゃん正麺(醤油)+昨日の煮物。




鍋焼きうどん。
お揚げ、たまご、春菊、かまぼこ。

食後に豆乳マサラチャイ





鱈チャウダー。
今晩はトマトペーストでマンハッタンチャウダー。


20日(月)




鍋焼きうどん。
たまご、かまぼこ、ねぎ。




鮭チャウダー。
甘塩鮭のあらを使用。塩鮭なのでスープ部分に味つけしなかったのだけど、そういうことをすると全体として塩分量が適切であったとしても、口中調味の配分が難しいということに気づかされた。なかなかうまいこといかんものだ。鮭の残りは茹でておいて、茹で汁も使うことにしよう。