2019-03-20

日々雑記 2019 Mar. #2

11日(月)




鮭茶漬け。
冷やごはんを炊いて粥にするのに飽きたので、湯で温めたのち湯を切り、椀に盛って茶漬けの素をふり、あらたに湯を注いでみた。さらっとしたのもよいものだ。

毎年のことだけど、わたしはヘソ曲がりなので強制される黙祷には従わない。ひとりでやるから放っといてほしい。わたしにとって悼むことは私的なことだ。その時間にはきっとタイムラインに流れているであろう「黙祷」の文字も見たくないので Twitter も見ない。そんな文字列打ち込んでないで黙ってやればいいのにと思ってしまう。しかし本当のところ、いちばん不愉快なのはそういう自分だ。ひとはひとでやりたいようにやればいいのに、それを不快に思ってしまう自分だ。


12日(火)




青海苔コロッケとキャベツのホットサンド、紅茶。
コロッケは近所のスーパーの鮮魚コーナーで売っていたもの。精肉コーナーと惣菜コーナーでも売っているが、鮮魚コーナーのかにクリーム以外のコロッケははじめて見た。案外うまい。スナックに「のり塩ポテト」があるのだから、合うわけだ。

今日はこの時期恒例の税務署へ。東山三条から古川町商店街を抜けていく。祇園はさすがに観光客が多い……ここ、うちのあたり(いちおう京都市内)よりあったかいぞ。皆さん春らしく軽装だ。長袖Tシャツにウール混の薄手のタートルネック、さらにネルシャツを重ね、極薄手のダウンジャケットをライナー代わりにしたマウンテンパーカーを着て、あまつさえウールのマフラーを巻いているなどという寒冷地仕様はわたしだけなのでは。家を出るときはこれでちょうどよかったのだが、ここではさすがに暑い。歩きながらマフラーを取り、ショルダーバッグを掛けかえつつマウンテンパーカーからダウンを外すという荒業を繰り出すなど。

作成した申告書を提出するだけなので用事はサクっと終わり、沖縄の焼き物と吹きガラスを扱うお店に立ち寄る。いつも使っている飯マカイはここで購入したのだった。琉球焼を見るつもりで来たのだが、韓国の金海窯の器に心惹かれてしまった。普段使いの器を中心に、韓国の土を使い登り窯で焼いていた金海窯は、20年以上前に閉窯してしまったそう。欲しいものはたくさんあったがおこづかいは少なかったので、小鉢と皿だけ買った。包んでいただいている間にお茶をご馳走になり、話の成り行きで「このへんに来るのは年に一回です」といったところ、「Yにはまだ税務署がないんですね」と、住んでいるところを当てられてしまった。そう、もとH区の一部であったY区の民は、独立後も山を越えてH税務署に確定申告に行かねばならぬのである。

五条通から高瀬川沿いに南下し、ぶらぶら歩いた。この辺は昔ちょっと特殊な地域だったもので味わい深い建築が多数あったのだけど、ここ数年でかなり様子が変わった。今日は銭湯が看板だけ残して解体中だった。

御池地下街の蕎麦屋さんで遅い昼食(あるいは早い夕食)。


ねぎおろし蕎麦定食。

いつもの書店で本を買って帰宅。うん、確実にこっちの方が寒い。だいたい道行く人々が春物を着ていない。

本日購入したうつわ


皮鯨刷毛目四寸鉢、象嵌五寸皿(と呼んでおいたらいいのだろうと思う)。
来るものを拒まない、おおらかな感じがとてもいい。




山尾悠子『歪み真珠』、多田多恵子『したたかな植物たち【春夏編】』(ともにちくま文庫)。

晩酌


アテは豆腐の塩焼きレモン醤油がけ。


13日(水)

夜明け前、まだ真っ暗だというのにハシボソガラスが2、3声鳴き、ハシブトガラスが応じるように鳴くという、ちょっとなんのことやらわからない事件(?)で目が覚め、そのまま眠れず。




エビチリソース(冷食)のホットサンド、紅茶。
味     ☆☆☆
食べやすさ ☆
といったところか。ソースは切っておくべきであった(垂れる)。

晩酌


アテは青柳と分葱のぬた。


14日(木)  




ハイカラうどん。
わかめうどんとの違いは、天かすとわかめの比率。

午後、エクストラ仕事をやっつけ、さっさと送ってしまう。

晩酌


アテはねぎしいたけ。
網で焼いたしいたけを適当に裂いて、刻んだねぎと酢醤油で和えるだけという、あつあつを裂くこと以外は難しいことはなにもないアテ。早い、安い、美味いと三拍子そろって素晴らしい。

蓮花茶を飲んで就寝。


15日(金)




お揚げとセイヨウカラシナのうどん。
具は出汁と味醂と醤油で煮びたしにしたもの。

しんどくてしんどくて、一気読みできなかったレイラ・スリマニ『ヌヌ 完璧なベビーシッター』(集英社文庫)をやっと読み終わった。読書メーターに書いた感想を転載。
「完璧なヌヌ(乳母)がなぜ」という問いの答えは用意されていないが、背景にある問題はエピグラフに明示されている。雇い主の家庭に居場所を求めても、子どもたちが大きくなればヌヌが仕事を失うことはあらかじめ決まっている。どの時点でルイーズが壊れたのかといえば、もとから壊れていたといえるのではないか。自分自身の子育てには失敗しているし、夫が死ぬかもしれないと知りながら放置していたし。鶏の骨の場面の怖いこと。友人らしい友人もおらず、仕事も住む場所も失われていく状況にあってどこまでも孤独なルイーズの様子に息が詰まった。




晩は朝うどんの具の残りで焼酎の湯割りをば。


16日(土)




りんごソテーとはちみつのホットサンド、コーヒー。
りんごをバターで焼いて、はちみつと挟んだ。うっかりりんごを焦がしてしまったが、それがまたうまかった。

今日は大阪へ。正午を少し過ぎたころに天満橋に到着。谷町筋を南下、ダルバート食堂さんへ。


ベジ・ダルバート。とても美味しかった。

そこから天王寺まで歩いた。


さすが天王寺、とんでもない人が飛び出してくる。

さて、目的地着。


天王寺まで歩いてきたのは、大阪市美術館にて開催中の「フェルメール展」を見るためなのだ。別に歩いてくる必要はなかったのだが。会場は、わかっていたけれども激混みであった。みんな好きだな、フェルメール。ただし入場制限はなかったし、前に見たようなシステム( → 「ちと遅くなりましたが美術展のことなど 3 ―「マウリッツハイス美術館展」編(後)」 )もなかった。しかし人が多いとやっぱり疲れる。グッズに群がる大量の人を見ただけでげんなりしてしまって、人垣の後ろからポストカードをちらっと見て、なにも買わずに出てきてしまった。例によってわたしの欲しい作品のカードがなかったとはいえ、図録すら買わずじまいとは、人混みがどれほど人から気力を奪うことか知れようというものだ。しかし箱入りハードカバーの豪華な日本語版図録が3,500円なのに、ペーパーバックの英語版図録が5,500円だったのが不可解なんだけど、なんなんだろうかね。展示そのものの感想としては、「フェルメール6点一挙展示」に精力を傾け過ぎたせいかどうかはわからんけど、全体の構成が散漫な印象。記憶に残った作品をいくつか。
・フランス・ハルス「ルカス・デ・クレルクの肖像」「フェインチェ・ファン・ステーンキステの肖像」…ハルスは好きな画家。早くて大胆なのに決して雑にならない筆さばきに痺れてしまうが、今回展示されていた肖像画は少し緻密な印象。でもハルスだった。
・ヘンドリック・テル・ブリュッヘン「東方三博士の礼拝」…イエスが目も開いてない新生児なのが斬新だった(わたしの隣で見ていた英語話者が "Jesus is just born!" っていってて、やっぱそう思うよねと)。
・パウルス・モレールセ「ヴィーナスと鳩」…ヴィーナスが下品でびっくりした。なんかおねえちゃんが鳩つかんで乳出して下品な顔で笑ってる絵にしか見えなかったんだけど、女神の扱いこんなんでいいのか。
・ピーテル・サーンレダム「ユトレヒトの聖母教会の最西端」…やわらかい光のさす教会の隅で語らう三人の人物。なぜか音を感じる作品だった。すごくいい。これが今回いちばんの収穫だった。ポストカードは当然のごとくなかった。
・ヨブ・ベルクヘイデ「パン屋でレースを編む女」…絵がどうとかいう以前に、パン屋でレースを編むというシチュエーションが謎すぎる。

フェルメールは、まあ、よいのはわかってるんでね。「マルタとマリアの家のキリスト」ははじめて見た。「取り持ち女」は日本初公開。どちらも黙って見せられたら、たぶんフェルメールの作品とは思わなかっただろうな。などといってしまうくらい、「フェルメールの絵」という、わたしの頭に固着してしまった「タイプ」がある。それでやっぱり「リュートを調弦する女」には心を奪われてしまった。淡い光に暗く沈む色彩、なんてことないようで凝った構図と、わたしの好みにどストライク。エントランスのパネルになっていた「手紙を書く婦人と召使い」も素晴らしかった。これと「手紙を書く女」、「恋文」の3点が手紙テーマで、これにハブリエル・メツーの「手紙を読む女」と「手紙を書く男」をぶつけてきたのはいいけど、ヘラルト・テル・ボルフの大ファンとしては、彼の「手紙を書く女」もあるといいのに、と思ってしまう。ていうか今回テル・ボルフ作品は1点もなし。オランダ絵画の展示があるとき、しかもフェルメールが来るときは、テル・ボルフも見られるだろうなと期待してしまったりするので、ちょっとがっかり。

美術館を出て、行きしなに通りかかって気になっていた場所へ。


茶臼山である。「じゃりン子チエ」のオープニング曲でもおなじみの場所である。「ちゃぶすやーまーでぇどーんこつーりー」の茶臼山である。奥の階段を登ったところが頂上である。嘘ではない。


ほら、三角点が。標高26M。山とはなにか、考えざるを得ない場所である。(※「山」とは「周囲の土地よりも表面が高く盛り上がった地形」を指すので、なにも間違ってはいない)

下山して、環状線で天満へ戻る。目当ての中国料理屋に行ったら、今日は予約で満席とのこと。まあいい。どこという目的を決めずに気になった店に入ろうとぶらぶら歩いていたら茶屋町まで来てしまった。海鮮居酒屋で晩めしを食べて帰る。


17日(日)

昨夜食べすぎた(&飲みすぎた)ので、朝は紅茶のみ。




じゃがいもとカリフラワーのカレー、ムーングダール、にんじんとキャベツの炒め煮、セイヨウカラシナの炒めもの、大根の即席漬け、ごはん。
ごはんはジャスミンライス。大根のアチャールは急に思い立ってつくったので、レモン汁で酸味をつける方式だがうまかった。そして食べすぎた(おかわりした)。

晩はシーフードヌードル。朝ドラを視聴している友人によると、今週カップヌードルの謎肉の製法が明かされるらしく、チキンラーメンのときと同じくスーパーの棚からカップヌードルが払底するなんてことが起こるのかも。いや、自分でつくってみようと思う人が出てくるかな。


18日(月)




あさりと九条ねぎのうどん。
昨日買ってきたアサリの剥き身を一部使用。

夕方少し散歩する。もちろん袋を何枚か準備して行く。
イワツバメたちが帰ってきた。速すぎて飛んでいるところなど撮れないが


地上にいるときは可能


巣材の土を集めているのだろうかね。

本日のにゃー


夕空


本日の収穫


セイヨウカラシナ、クレソン、ノゲシ、セリ。
クレソンは花を準備し始めていて、少し硬くなってきた。セリはいよいよ本番。




セリ鍋。
チャウダーにするつもりで買ってきたアサリをすべて投入してしまったが、悔いはない。うまい。


19日(火)




キャベツと紅生姜炒めのたまご巻きのホットサンド、紅茶。
たまご巻きにはソースと青海苔をかけた。お好み焼き味にしたかったのだが、花かつおをかけ忘れた。キャベツ炒めに混ぜてもいいなと思ったので、こんどそれでやってみよう。

帰りにフキノトウ状況を見に行ったが、まったくない。カンゾウはぼちぼち採ってもよさそう。

フキ畑のあたりで咲いていた乙女椿


夢みたいだ。




クレソンラーメン。
ラーメンはマルちゃん正麺塩味。胡椒を少しかけるとうまい。


20日(水)




セリのたまごとじうどん。

夕方用事で外出。昨日はぜんぜんだったシダレザクラが咲きはじめた


ハクモクレンを見上げる


帰り道、行けるかどうかちょっとわからないところだけど、川沿いにモクレンとなにかピンクの花が咲いているのを見つけたので、明日晴れたら行ってみよう。

晩酌


アテは牡蠣とセイヨウカラシナのアーリオ・オーリオ。
ワインのほうが合ったのではないか。

2 件のコメント:

  1. フェルメール展、2月時点ではグッズ売り場もそんなに混んでませんでしたが、今は大混雑なんですね。
    今回展示されていたハルスは確かに緻密、でも細部にハルスらしい筆の運びが感じられました。
    テル・ボルフの「手紙を書く女」はマウリッツハイス展で見ました。
    フェルメールに力を入れたためか、今回はテル・ボルフもいないし、そういえばレンブラントもなかったし、ライスダールなどいつも17世紀オランダ絵画展でみられる作家がいなかったのが残念ですね。(そもそも「フェルメール展」なので仕方がないのかもしれませんが 笑)

    茶臼山はつい先日、自分も無事登頂を果たしました。
    登頂証明まで発行するのは大阪人のいちびり精神でしょうか(自分は証明書はもらってませんが 笑。)
    確か徳川方の陣だったはずですが、真田幸村ばかりが取り上げられていたのが印象的でした。

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    1. れぽれろさん、コメントありがとうございます。

      れぽれろさんもハルスお好きですよね。いいですよねー。
      テル・ボルフの「手紙を書く女」、わたしもマウリッツハイス展で見ました。あっ、ライスダールもそういえばなかったですね、っておっしゃるとおり、あれ「フェルメール展」ですわ(笑)。

      えっ、茶臼山って登頂証明出してくれるんですか! さすがです。わたしは「茶臼山 大坂の陣跡」と書かれた柱に三角点を見たときに「やりよんな」と思いましたが、裏側にあの「標高26M 山頂」を見た瞬間、大阪人の心意気に気が遠くなりました。精進します。(何に)

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