2016-06-30

日々雑記 2016 Jun. #3

22日(水)

以前から読ませていただいているブログが、長らくコメント欄を閉じておられたのに、今回コメントを受け付けされていたので、うれしくなって書き込んだら、単にチェックし忘れられたのだそうで、申し訳ない気持ちになった。意図のわからないスパムコメントが嫌だから、とのこと。わかるなあ。わたしがそこから引っ越しした理由、前にも書いたけれども、広告がウザいのと、運営がやたらにメッセージよこすのと、作れ作れとあまりにもうるさかったので諦めて作ったピグ、やっぱりいらねーと思っても利用停止ができないの、そしてこの「読みもしないで手当たり次第に送り付けて来るスパムコメント」が腹立たしい、なのだった。謎の体調不良&少々鬱気味の時期にこのような記事を書くほどにである。(→ 「まとめて晒し、もとい、返信してくれるわ」 )そういったことさえさえなければ、使いやすくてよかったのに。


23日(木)

朝、かやくごはんを炊く。朝慌ただしいのは避けたくて、具は昨夜軽く煮ておいた。それを煮汁ごと加えて炊く。鍋でごはんを炊いているわたしは、炊き上がりを音で判断している。ぽこぽこ沸いていた音が静かになり、ぴちぴちいいはじめたらOK。10秒ほど強火にして火を止める。今回、いやに炊き上がりがはやいな、と思ったが、火を止めて蒸らし、蓋を開ける。……やけに少ない。濡らしたしゃもじで混ぜると、なんだかぱらぱらしている。どういうこと……あっ!ひょっとしてアレか、今回具の煮汁と出汁を量るためにおたまを使用したのだけど、おたまは米の軽量カップの半量なのに、1カップ分と勘違いしたなこれは。「間違えたらアカンぞ」と気をつけていたつもりだったのに。まいったな。弁当箱に詰めた残りを朝飯にしたら、全部なくなった。普通米2合で炊いた炊き込みごはんが朝と昼だけでなくなることはない。それだけ水分が少ないのだ。熱量は同じで体積の少ないそのごはんは、食感はおこわのようで、そして芯がありましたね、アルデンテどころではなく。まあ顎が鍛えられたのでよしとしましょう。

ところで、去年までエアコンなしで、夏は基本的に家庭内裸族であったわたしだが、エアコンがついたいま、全季裸族でいることが可能であると気づいた。気づいただけです。


24日(金)

早朝のラジオ番組で、リクエストした曲、The Who の "Summertime Blues" がかかった。正直驚いた。その番組で、リクエスト曲は抽選でかかるときいたときに、あ、これは自分のリクエストは金輪際かからない、と確信したのだ。というのは、わたしはくじ運が悪い、というより「ない」からだ。(詳しくはこちらを→ 「歳末といえば」 ) 今日以降は「くじ運がなかった」に変更されますね。


25日(土)

近所のスーパーで「長崎フェア」をやっていて、なにやらよさげなものをゲットしました。


ぜったいイケるパッケージ。


26日(日)

朝は100%りんごジュースで培養した酵母使用のオートミール入りパンケーキ。


たまご入れてないのにふわっふわに焼きあがった。たまごは入れてないけど、袋の中で砕けた高野豆腐と麩の粉を入れた。粉気のものを見境なく入れたのだが、まったく存在感はなかったので、こうしたものを積極的に日常生活に取り入れていきたい所存である。これに砂糖とたっぷりのレモン汁をかけて食べた。うまい。ああ、酵母の餌にしたりんごジュースはもったいないので、しかたなく飲みました。しかたなくです。

五月晴れである。本日は昼飯を早めに食べて、お出かけするのである。


この前水の分量をまちがえて、おこわのようになってしまったかやくごはんに再挑戦。水加減はよかったが、塩気が少々足りなかった。次回に期待したい。昆布茶と塩と酢に鷹の爪で漬けたきゅうりの浅漬けは、出回りはじめた「四葉胡瓜」。「スーヨーキュウリ」と読む。イボイボが多くて、形はいびつでほとんどが曲がっている。でも年がら年中はなくて、夏だけ出回るおいしいきゅうりなのだ。

さて、出かけよう。行先は、言い出しっぺでありながら50ページで挫折した「中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』グランプリ」の、そのサロン跡。それ以外のことは決めずに行き、結果、梅田→靭公園→大阪市中央図書館(「木村蒹葭堂邸跡」の碑)→大阪城(なにをしに!?)→梅田と彷徨したのであった。


キムケン邸跡の碑。詳細は、またいつか(またか)。


27日(月)

朝、パンを仕込む。今回はバターと牛乳使用のソフトなパンにしてみる。


発酵させている間にもろもろ片づけねばならんことを片づけようとして片づかなかったわけだが、それはそれでしかたない。と自分を甘やかす。


昼。


万願寺甘唐とじゃこの炊いたのは、夏の定番メニュー。

パン生地は快調に発酵していた。




こいつに正拳突きを入れ(ホントはやさしくガスを抜いてやったほうがいいと思うが、日ごろのアレコレが溜まり溜まって、そうした歪みを生地にぶつける理不尽)、濡れ布巾をかぶせて休ませ、ぎゅううーっと伸ばしてぐににと折り畳み、二次発酵。

うかうかしていて、気づいたら生地がダレてジャバ・ザ・ハットのようにたるんでいた。とにかく焼いてしまえ。


ジャバ・ザ・ハット、焼きあがりました。


 断面図。見てのとおりダレダレだけど、ふかふかしていて、味はよかった。


28日(火)

昨日のジャバ・ザ・ハットは、一日たってもふかふかしている。サンドウィッチに使おうか。さて、なにを挟もう、と思うやいなや、英国人みんな大好き Chip Butty(フライドポテト+グレイヴィ・ソースのサンドウィッチ。推定30,000キロカロリー)が脳裏をよぎる。英国サンドはきゅうりサンドだけじゃないのだ。まあ、もう中年なので、やりませんけどね。

でも、なんで買ったのかよくわからない生クリームが賞味期限切れそうなので、Macaroni Cheeseつくろうかな。ちなみにBBCのレシピサイトのレシピ(こちら→ "Best-Ever Macaroni Cheese"  )では、1人前860キロカロリーだそうで。このレシピでは牛乳を使用しているが、わたしが教わったレシピは牛乳を使わず、生クリームを使うのだ。空恐ろしいことである。


29日(水)

近所のスーパーで、小さいスモモがぎっしり入った袋(260円也)を買った。


小さいものはサクランボくらいの大きさだけど、酸味がやわらかくておいしい。

夜、タイのビールとジャバ・ザ・ハットのトーストサンド。


レムラード・ソースで和えた炒りたまごを挟んだ。うまし。


30日(木)

本日発売のトーン・テレヘン『ハリネズミの願い』(長山さき 訳 新潮社)、いつもの書店に入荷がなかったので、注文して帰る。

4105069918ハリネズミの願い
トーン テレヘン Toon Tellegen
新潮社 2016-06-30by G-Tools


ずいぶん前に出た本だけど、『だれも死なない』(長山さき 訳 金子國義 絵 メディアファクトリー)がすごくいい本だったので、たのしみ。

4889919708だれも死なない (リエゾン・リーブル)
トーン テレヘン 金子 國義
メディアファクトリー 2000-03by G-Tools


本日のにゃー。


「キミはなんだね?」 といってますね。

本日のガー。


暑くてクチ開いてますね。

本日のにゃー(その2)。


木曜だけどね。

2016-06-20

日々雑記 2016 Jun. #2

12日(日)




丸パンとコーヒー。




エリンギ飯、酢の物、塩漬けきのこのかき玉汁。酢の物に使ったミョウガの残りは塩ひとつまみ加えてオリーブオイル漬けに。


晩酌


冷や奴のオイル漬けミョウガ乗せ、塩漬けきのこのおろし和え、ヱビス。ミョウガはオリーブオイルよりも太白胡麻油に漬けたほうがよかったような気がする。いまウチにはないけれども。これ、花かつおと合わせて醤油を混ぜて、白いごはんに乗っけたらうまかろうな。保存するつもりで油を多めにしているけど、香りがやわらかくなるし、けっこう使い勝手がいいので、生や酢漬けより早くなくなりそう。油で和える程度でいいような気がする。


13日(月)

フェルナンド・ペソアの誕生日。朝から雨。午後には上がり、夕方には日が差してきたが、湿っぽい。夜、室内にて今年初の蚊を観測(しとめました)。

ある本を読んでいて、内容にそれほど深く関わることでは(いまのところ)ないのだけど、ふと「自分が何者か、なんのために存在しているのか、仮にそれに明確な答えが与えられうるとして、それを了解したうえで生きることは恐ろしいことではないのか」なんてことを考えた。そういえば、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』には、そうした状況を生きる登場人物たちが描かれている、と思い当たったところで、ある方から、フィリップ・K. ディックの小説が、その逆の状況の恐ろしさを描いていると思い出させていただいた。自分たちが正気を失わずに生きていられるのは、そのどちらでもない状況を生きるしかない、というか自分たちの生について、なにひとつ確かなことを知りえないからじゃないのか、などと思う。別の方とは、これが記憶とアイデンティティの話に発展して、ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』を薦めていただいた。ありがたい。

4151200517わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
カズオ・イシグロ 土屋政雄
早川書房 2008-08-22by G-Tools

4150118639トータル・リコール (ディック短篇傑作選)
フィリップ・K・ディック 大森 望
早川書房 2012-07-05by G-Tools

4105900994終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)
ジュリアン バーンズ Julian Barnes
新潮社 2012-12by G-Tools


14日(火)

夜、とある用でとあるDVDを観ていたのだが、ナッシュヴィル野郎の南部アクセントに苦戦。わからなくて何度もリプレイしているところに、開いていた窓から突入してきたコガネムシが部屋中をブンブン飛び回っていてカオス状態。そして蚊に刺される(今季初)。


15日(水)

昨夜からいて部屋中を飛び回り、時折ボトッと落ちてくるコガネムシよ、頼むから出ていってくれ。いつかキミが冷や奴の上に落ちて来はしないかとヒヤヒヤしているのだよ。そんなことになったらお互いのためによろしくないではないか。

一昨日薦めていただいた本をネット古書店などで探索。送料込みの最安値は1,400円也。


16日(木)

出勤時、職場の最寄り駅に貼られた、たぶん学資保険かなにかのポスターの「学びへの道」という文字が、本気で「滅びへの道」に見えたので、もうわたしは駄目だと思う。

仕事帰りに寄ったブッ〇オフで、探していた本を発見。760円也。ポチらなくてよかった。本日の収穫。


ホクホクついでに、強力粉2㎏も購入。開業する気か。(できません) ホクホク帰宅して、晩飯は釜揚げうどんでも食べようかとめんつゆ(3倍濃縮タイプ)を出してみたら、カビが浮いていて衝撃を受けた。カビるのか。カビるわな。今度からちゃんと冷蔵庫に入れよう。


17日(金)

帰りの電車の中で、ぼんやりと「祈る」というのはどういうことだろう、と考えた。「願う」はわかるし、「願う」ことはできるけど、わたしは、自分には「祈る」ことができないと思う。それがなぜかということは、まだ明確に言語化できていないのだけど。わたしも「祈る」を「願う」の意で使用することはある。「こうなってほしいと思う」が「願う」、「祈る」は「願う」を含む、あるいは一部重なるものだろうと思う。では重ならない部分はなんだろう、と考えると、これがはっきりさせられない。人智を超えたものへの語りかけ、といってしまえばそれまでかもしれないけれども、これもどういうものか、しっくりこない。日常的に見たり聞いたり読んだりするものの中に、「これは祈りだ」と直観するものはある。ただ、その「祈り」がどういうものであるのかがわからない。難しい。某呟き処でこの話題の話し相手になってくださる方々がいて、たいへん勉強になった。この手のことは、わたしの表現力と理解力がアレなおかげで、伝えるのも受け取るのも難しく、結局わからないままで終わってしまったけれども、ありがたい。これに懲りずに相手をしていただければ、とてもうれしい。

深夜、パンを焼く。今回はパン・ド・カンパーニュみたいなヤツに挑戦。


二次発酵の膨らみ具合が足りない気はするが、もう眠いので待っていられなくて、エイ、焼いてしまえとクープを入れる。包丁を入れる力加減がいまひとつつかめず、おっかなびっくり、何度かに分けてギコギコ切ったおかげで、クープがためらい傷のようになる。そしてウチには霧吹きがないことに気づく。植物用のはあるが、さすがに、それは。まあいいや、ドライで焼け。(後に、濡らしたキッチンペーパーをふんわりかけるといいとアドヴァイスをいただいたので、次回やってみようと思う)

焼けました。


……思っていたのと、こう、なんか、おおいに違う気がするが、まあよしとしよう。


18日(土)

現在、ウチではハードカバーの『ある島の可能性』、通勤時は文庫本の『地図と領土』と、ミシェル・ウエルベックをダブルで読んでいるのだが、『地図と領土』!ウエルベック自身が小説中に登場するのだけど、帯にあんなこと(「ウエルベック、〇〇(自主規制)!?」)が書いてあるために、ジェド(登場人物)が訪問に先立って連絡しようとするたびに、訪ねたウエルベックが〇〇〇〇〇(自主規制)かどうか気になってしかたなく(また彼が何度コールしても電話に出なかったりするのだ)、これはもう、かなりけしからんと思う。けしからんぞ、ちくま文庫!

4309464173ある島の可能性 (河出文庫)
ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq
河出書房新社 2016-01-07by G-Tools

4480433082地図と領土 (ちくま文庫)
ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq
筑摩書房 2015-10-07by G-Tools

本日仕事帰りに、近所のスーパーでブラウンマッシュルームを特売していたので購入。むむ、オートミールは常備、牛乳・たまご・トマトあり、パンは昨日焼いた、豆は……ちょっと違うけどひよこ豆の水煮がある。これはフル・ブレックファストをやるしかないのか。果物ないけど。ところが、そのスーパーでなぜかひと瓶だけ売っていたタイ製のゴールデンマウンテン・シーズニング・ソース(世界標準的にはシーズニング・ソースは、マギー社製でなくても「マギー・ソース」というとの情報を得た。ウォークマンとかホッチキスとかと同様の呼称問題?)も買ってしまい、イングリッシュ・ブレックファストの行く末に暗雲がたちこめる。だって、目玉焼きをはじめとして、たまご料理にはマギー・ソース(ちゃっかり呼称変更)でしょう。しかしそれではイングリッシュではない。さてどうなるイングリッシュ・ブレックファスト。


19日(日)




肉っ気なし、豆なしなので、フルでなくパチ・ブレックファストであり、さらに誘惑にどうしても耐えきれず、目玉焼きにマギー・ソースをかけてしまったので、なんだかよくわからない朝食になった。マギー・ソースをかけた目玉焼きは、たいそうおいしかった。

昼。シンクの排水管のつまりと格闘、みごと勝利をおさめ、ゴボボッという音とともに排水管が開通した時には、家を出なければならない時間となっていたため、昼飯は抜き。


これを観てきました。ボタニカル・アートはいい。当然のごとく、ウィリアム・モリスの展示もあったのだけど、『地図と領土』、ちょうど会場に向かう電車の中で読んでいた部分でモリスに言及していたので、ちょっと不思議な感じがした。植物画は不思議なジャンルだ。精密さを目指しながらも、写真には絶対できないことができる。ひとつの画面にあらゆる角度からなる視点を導入し、一体の植物にあらゆる時間の形態をおさめることをさりげなくやってのけるのだからすごいよなー、てなことを考えながら観ていると、かなりといっていいレベルの騒がしいモノが近づいてくる。人類最強の種族、おばちゃんである。しかも5人いる。群れなすおばちゃんの、他人の集中力を途切れさせる妖力は天下に比ぶべきものなし。あな恐ろし。絵を見ながら描ける描けないで話しているということは、ボタニカル・アートやってる人々だな……出口近くでよかった。さっさと観て早々に退散(わたしが)して、階下の「江戸の植物画」を観る。なかなか面白い。マツバランのカタログが一色刷りなのは「マツバランが花を咲かせない緑一色の植物ならでは」的な解説にほっこりする。観ているとあの人々がガヤガヤとやってくる。落ち着かん。グッズ売り場で「ここは喋ってもええやんね」ってあんたら自覚あったんかい。ていうか場内でもさんざ喋ってたやないか。

同じチケットで、フィルムシアターの映画を観る。きょうは加藤泰監督『瞼の母』。安定の職人技的演出のなかにも、「これどうやって撮ってるんだろう」と不思議に感じられる場面などもあり、気が抜けない。しかし、長谷川伸はいいね。

映画のあと、まだ明るいので、「中庭にミニ・イングリッシュ・ガーデン登場!」というのを見に行ってみる。地味な色合いの漆喰製まゆまろの隣に……うん、ミニである。ていうかガーデンどころか花壇ひとつである。いいの、それで?

腹ペコで帰宅、大急ぎで料理。


レーズン入り夏野菜の蒸し焼きとセロリ飯、きゅうりのオリーブオイル和えで夕食。


20日(月)

朝から晴れ。ベランダの衆に液肥を与える。今年はニガウリの芽出しに失敗したので、この10年で初めてニガウリなし。かわりにミニトマトが元気に育っている。



リトープスはもう一頭も脱皮を始めた。




4月に棒にしたアボカドは幹を伸ばし、葉を開いている。


今月で2さいになりました。

2016-06-10

日々雑記 2016 Jun. #1

3日(金)

毎週水曜と金曜は滋賀県で仕事なのだけど、金曜の職場は田んぼや畑がたくさんある場所にある。バスの窓からはもうすぐ収穫の麦畑が見えて、ああ、そういえばいま「麦秋至」だな、などと思う。ついでに思い出したのが、平安神宮の手前の松の根方になぜか生えている、野良麦(?)。


しかしこいつ、どこから来たんだろう。 これは5月の連休の時期に撮った写真なので、まだ青々としているけど、いまごろはこいつも麦の秋(とき)を迎えているのだろうなあ。がんばってどんどん増えてほしい。

帰宅して、コーヒーを淹れ、音楽を聴く。今日はこれ。


渋谷毅&森山威男『しーそー』(徳間ジャパン)。2曲目の「見上げてごらん夜の星を」がわたしはとても好きだ。別プロジェクトではけっこう激しい演奏をする渋谷毅が、このデュオではとても静かだったので、初めて聴いたときは少し驚いた(まあ、あまり熱心に追いかけて聴いているわけではない不真面目なリスナーということですね)。さすがのパワーとテクニックでぐいぐい攻める森山威男の多彩なドラミングはやっぱり素晴らしい。ところで、たまたま目にしたこのCDの2件のレヴューが「会話している」「会話になってない」と正反対のことをいっていたので笑ってしまった。二人の語り口が同じ調子でないと、会話が成立しないというものでもなかろうと思う。言葉数は少ないけれど端正な思考をする人と、凄いアイディアを次々に繰り出してくる人との会話は、ひょっとするとこんな風に聞こえるのではないか、なんてな。二人のプレイヤーは、たしかにお互いの音に耳を傾けている。

B00005NO50しーそー
ANDY RAZAF 渋谷毅&森山威男
徳間ジャパンコミュニケーションズ 2001-09-27by G-Tools



5日(日)

先月末にいただいた、手づくりの本格的パウンドケーキをおめざにいただく。わたしは「おめざ」なるなんとも素敵な慣習が世にあることを、学生時代に読んだ高橋源一郎のエッセイではじめて知ったのだった。


しっかり甘く、とてもおいしい。甘いものが食べられるようになって、よかったなあ。本式の英国流パウンドケーキは何か月でももつので、少しずつだいじにいただきます。ありがとう。

甘いもので目を覚ましたあとは、イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』(脇功 訳 河出文庫)を少し読む(ウエルベックを読む気分ではないので)。

4309462324柔かい月 (河出文庫)
イタロ カルヴィーノ Italo Calvino
河出書房新社 2003-09by G-Tools

少し読むつもりがとまらなくて、いつの間にやら昼近く。結局「おめざ」が朝食になってしまった。昼はジャンバラヤ(もどき)。


ケイジャン・シーズニングとかよくわからないので、手近にあったスパイスをテキトーに入れてしまったが、あとで調べたら、パプリカ、チリペッパー、黒胡椒だけが正解だった。ほかにはオニオン・パウダー、ガーリック・パウダー、白胡椒、タイム、オレガノ、セロリ・シード、マスタード・パウダーを使うらしい。なるほど、ふつうはコリアンダー・パウダーとかクミン・パウダーは入れないのだね。インドじゃないんだから。ていうか前もって調べとけよ。あいかわらずのアレでナンですが、そんなこんなでスパイス面においても具材面においても、まったくもって正統派ではないのだけれども、味はなかなかよかったのでよしとする。

近所のスーパーでさやいんげんのいいのがあったから、本日のポルトガル料理は Peixinhos da Horta(畑の魚)。飲みものは、昨日いつもの酒屋の「3本よりどり税込み594円」コーナーでポルトガルのビールを見つけて買っておいた。完璧である。

Peixinhos da Horta は、さやいんげんを魚に見立てた揚げもの。茹でたさやいんげんにポテッとした衣をつけて揚げるのである。ネットでレシピを検索して、いちばんかんたんでおいしそうだったのがなぜか "South Indian Kitchen" のレシピ(→ Fried Green Beans Portuguese Style )だった。材料に「ベイキング・パウダー」とあるが、残念ながら持っていない。まあこのレシピにも、「わたしは使っていません」と書いてあるので、なしでもいいのだろうけど。しかし、某呟き処でベイキング・パウダーなんて持ってない、といえばすぐに「ビールが使える」「甘くない炭酸水で溶くといい」とお知恵が向こうから集まってくる。素晴らしいですね。今回ビールは飲むことにして、炭酸水で衣をつくったのであった。どうせ買いに行くならベイキング・パウダーを買えばいいのだが、そうはしない。炭酸水なら残りで酒を割って飲めるではないか。所詮酒飲みの頭の中は飲むことが最優先事項。そして 1,000ml のボトルを買ってくる。衣に使用するのは 80ml だ。残すことしか考えていない時点で真人間ではない。更生の道のりは長い。

さて、ポルビールと、素晴らしき皆さま方のお知恵を拝借して完成した Peixinhos da Horta 。


奥の緑のがそれ。手前は Pianji (玉ねぎの揚げもの)。インド料理ですね。だって衣が余ってたから。ともにビールがススムくん。困ったものである。


6日(月)

今日は在宅で仕事。のはずが、午前中は布団の中でゴロゴロしていて、昼前に起き出してピッツァをつくる。昨日こねて下焼きまでしておいた台に、瓶に詰めておいた残りものの Tomatada をたっぷりと塗り、輪切りのピーマンを乗っけてチーズをかけ、ベランダ産バジルを乗せて焼いた。


生バジルも載せ、レモスコをかけていただきます。食べたら仕事します。本当です。


7日(火)

今日仕事で訪れた先で、薄暗い階段の踊り場に、ランニングにブリーフ姿の薄毛・出腹のおじさんマネキンが3体置かれててぎょっとした。でも、モデル体型マネキンが着てるより、おじさんマネキンが着てるほうが、自分がその服を着たらどうなるかをイメージしやすい人のほうが多いのではないかと思うので、こういうのはアリでしょう。が、通りすがりの販売員のおねえさんたちがことごとく、ハゲ頭をぺちぺち叩いて「ナニコレ!?気持ち悪~い」とかいいながら通り過ぎるので、ちょっと、いや、かなりかわいそうではあった。

帰宅後、朝こねて発酵させていたパン生地を確認。いい感じである。今回は丸パンにする。


焼けました。思いのほかふくらんで、全部くっついてる……ま、でもつるっとした感じにはできている。そういえば、むかし実家に、「尼さんのおなら」とか「女の太もも」とかいった変わった名前のお菓子を集めた本があって、そのなかに「おしり」というドイツのパンが載っていたのを思い出した。こんどコレ「おしり」にしてやろうかしらん。


10日(金)

昨日買ったズッキーニ(緑・黄各1本)でサランゴーリョつくった。


あとはいかのアヒーリョ(缶詰)と丸パン。そうそう、サランゴーリョを食べるたびに思うのだけど、これオレガノのかわりに花かつお撒いてしょうゆをちょびっとたらしたら、ごはんに乗っけてもいけるだろう。まだやったことはないけれども。

明日も仕事。一杯やって寝ましょうね。