2015-05-31

日々雑記 2015 May #3

21日(木)

昨日早寝したら、今朝やたら早くに目が覚めたので、久しぶりにちゃんと朝食&弁当をつくった。ま、同じものだけど。にんじん、玉ねぎ、キャベツを刻んで塩胡椒オリーブオイルで和えたのと、たまたまあった(というか、ビールのアテにしようと思って買ってた)ズッキーニを薄切りにして両面油焼きにしたのを、軽く焼いたパン(冷凍してあったの)にはさんだサンドウィッチ。


弁当にはこれをふたつ。ズッキーニはもっと厚切りにして、塩胡椒じゃなくて、焦がし醤油なんかで濃いめの味にしたほうがよかったかも。もしくは照り焼きにするとか。こんどためしてみよう。

仕事帰りに、近所の川べりを散歩している途中、出来心で、むかごをつけているノビルを引っ張ってみたら、まるい鱗茎ごとすっぽり抜けた。 うーむ、悪いことした。持ち帰ってプランターに植えつけてみた。これから休眠する時期なので、うまく根がつくかどうか。むかごをまくほうがいいのかな。


22日(金)

昼休みに園芸店で、苗をいろいろ購入。スウィートバジルと、みどりのカーテン要員の琉球朝顔、ニガウリ(去年採った種を蒔くのを忘れてたので、苗を購入)、テラス・ライム。今日はプランターに土を準備して終わり。手持ちの土でいけると思っていたが、ニガウリの分が足らなかった。丈夫な植物だから、ちょっとくらい我慢してくれるだろう。


23日(土)

朝ちょっと早起きして、昨日買ってきた苗を植えつける。去年ニガウリを育てていたのを再生した土に、バジルとテラス・ライム、新しい土にアサガオを植え、水をたっぷりやって、出勤。

カズオ・イシグロ『夜想曲集』(土屋政雄 訳 ハヤカワepi文庫)読了。 再読で、前に読んだとき「面白い!」と思ったはずなのに、内容をほとんど覚えていなかった。何度でも楽しめていいよねといえる余裕を持ちたい。


25日(月)

休日。朝から残り野菜一掃作戦と称し、中途半端に残っている怪しげな野菜を、角切りにしてオリーブオイルで炒めて塩胡椒。


じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、赤ピーマン、緑ピーマン、ズッキーニ、トマトに、にんにくのみじん切り。 朝食はこれを入れたオムレツをつくろうとしたものの、具が多すぎてまとまらず。


去年、アヒージョがつくりたくて買った小っさい土鍋(なんていうの、あれ?)でやればよかった。

昼前、読書メーターに『夜想曲集』のレビューを投稿。以下はその転載。

人生はままならない。なんてことをつい思ってしまうのは、昼から夜へと移行する時間、終わりの方へと目を向けざるを得ない時間である黄昏時なのではない か。収録作はそれぞれが、明るい昼間、自分の能力を信じ、開花の可能性を疑わないでいた人に、日が翳り、夢は夢のままで終わるかもしれないという現実が見 えてくる、そんなごく短い時間を描いている。したい仕事ができているとはいえず、生活面でもうまくいっているとはいえない音楽家夫婦と、認められないことに苛立ちを感じている若者が登場する「モールバンヒルズ」は、この主題を扱って出色。


夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)
カズオ イシグロ Kazuo Ishiguro
4151200630


もうちょっと、ちゃんとなんか書くつもりではある。あ、そうだ、今回「モールバンヒルズ」がとくに印象に残ったのだけど、前に読んだときは、ドタバタもある「夜想曲」が好きだったのだ。読むときどき で思うことが違うから、面白い。それと、音楽がテーマのこの本、作品の配列がアーチ形式になってるんじゃないの、と気づいたりしたので、本は一回読んでし まいになるものではないのだね。ビバ老人力。まだ早いとかいってられない程度に、力がめきめきついてきたよ、ハハハ。




白米ごはん、薄揚げの生姜焼き on せん切りキャベツ、じゃこピー、味噌汁(大根、ねぎ)。
お揚げの生姜焼きはわたしの好物。切った薄揚げを、フライパンで両面焦げめがつくまで焼いて、酒・みりん・醤油を同割に、おろし生姜を合わせたものをジャーっと絡める。タレのしみたキャベツもうまいのだ。ご存知の方もあろうが、京都の薄揚げはデカい(約30cm×12cm)。それを1枚使ったのだから、残ったら明日の弁当に入れようともくろんでいたのだが、飯三杯オカワリで完食する始末。それにピーマンをくったりするまで煮たじゃこピー、これがまたごはんのすすむおかずなのでな。しかし生姜のおかげか、大汗かいた。

食後、汗まみれになったTシャツを着替えてホームセンターに出かけ、土を買う。蚊よけになるという草の苗(蚊連草とかいう名前がついていたけど、あれローズゼラニウムじゃないの?)を売っていて、ものすごく心惹かれたのだけど、14ℓの土(野菜用)を背負って30分の道のりを歩いて帰るので、これに加えて草花用の土を買う気になれず。帰宅して、先日植えられなかったニガウリを植えつける。

その他、あれやこれや雑用を片づけて、日没後に近所の川沿いを散歩。このあいだまでぼうぼうに茂っていた草がきれいに刈られたばかりの斜面を、スズメやムクドリが歩き回ってせっせとなにか食べている。黄色い花が何種類か咲いている。


オオキンケイギク(特定外来生物)。


これは人が植えて管理しているのであろうキンシバイ。あと、近づけないのでなんだかよくわからないけど、斜面のコンクリートの隙間に、なんか黄色い花が咲いてた。

もうかなり暮れてきたころの、ヒルザキツキミソウ。


風で揺れてたから被写体ブレは覚悟してたけど、それじゃなくて手ブレだなこれ。暗いしコンデジだし(言い訳)。

夜は、昼に食べ過ぎたので酒だけにする、というわけにもいかず、ちぎりキャベツ+味噌と、洗って筋とってラップかけて電子レンジで加熱したさやいんげんに塩をふったものをアテに、ビール。


シンプルだけど、うまい。さやいんげんをレンジ蒸しすると、ゆでるよりも甘みが際立つ。


26日(火)

定時に上がれたので、仕事帰りに近所の川沿いを散歩。こないだ撮ったら暗くてブレてたヒルザキツキミソウを、少し明るい時間に撮ってみた。


愛らしい。


世界最強といわれる雑草、チガヤ。若い穂は、噛むと甘い。

このへんののらねこ。


わたしに気を許してない感じ。それでいい。ノラは人にそう簡単には気を許さないほうがいい。

本日未明、英国の作家タニス・リーが亡くなった。ついこの間、はじめてのタニス・リーの本、民話リライト作品集『血のごとく赤く』を読んだばかり。以前読んだアンジェラ・カーターの民話リライト作品集『血染めの部屋』(ちくま文庫)の解説に出てきたので、ずいぶん前の古本まつりで見つけたときに購入したのを、やっと読んだところだったのだ。ということで、アンジェラ・カーターの作品を再読している。


血のごとく赤く―幻想童話集 (ハヤカワ文庫FT)
タニス リー Tanith Lee
415020232X


血染めの部屋―大人のための幻想童話 (ちくま文庫)
アンジェラ カーター Angela Carter
4480035257


アンジェラ・カーター面白い。タニス・リーにないユーモアの感覚(タニス・リーにそれがないといっているのではなく、そもそも両者の目指す方向性のちがいに基くものだと思う)。


27日(水)

実をいうと、いま少々気分が落ちている。気温の変化のせいだかなんだかわからんが、昨日突然来た。といっても危険な感じはない。ただ、なるべく人と関わりたくない。仕事では関わらないわけにいかないので、「通常モードのわたし」を演じているのだけど、これが疲れる。疲れるのでSNS等はほとんど見ていない。いただいたメールなどには目を通して、必要なら返信している。この状態がいつまで続くかわからないけど、外界を完全に遮断しているわけではなくて、単に明るくやっていけないだけなので、そう長いことはないだろうとは思う(もともと暗い根っこの会所属だし)。


31日(日)

人とは関わりたくないが、動植物とは積極的に関わっている気がする。職場の近所(の特定の場所)にいつもいる猫たち。これは昨日の様子


これが今日の様子


いつ見ても2匹いっしょで、いつ見ても寝ている。いつも黒いほうが片目を開けてちらりとわたしを見て、「なんだ、おまえか」という顔をして、また眠る。

明日明後日と連休。植物たちの世話をして過ごそうと思う。緋花玉はもうすぐ咲くだろう。

2015-05-20

日々雑記 2015 May #2

11日(月)

今日は「ロシアデー」にするつもりが、朝うっかり納豆炒飯をつくってしまったので頓挫、急遽「豆デー」にした。




納豆炒飯。
胡椒をきかすとうまいのだ。本日は青ねぎを贅沢に使用。




奴丼、もやしとわかめの味噌汁。
飯にかつぶしを撒いて、絹ごし豆腐を半丁乗っけ、青ねぎを大量に乗せ、醤油をかけて、混ぜる。豪快一本やりだが、これうまい。

晩酌


アテは豆腐の卵焼きお好み風(しらすと葱入り)、卯の花、スナップえんどうオイル和え。
豆腐の卵焼きは、昼の残りの絹ごし豆腐半丁をつぶし、卵1個を混ぜ、しらすぼしと青ねぎを加えてごま油で両面焼いたものに、お好みソースをかけてかつぶしと青海苔をふった。写真は4等分したもの2切れ。
 
畏友ともすけ先生の記事、「『想像ラジオ』 いとうせいこう」 を読んだ。

以前書いたとおり、買いはしたけど、わたしはまだこの本を読む心の準備ができていない。しかし、文体の軽さに違和感を覚える人がいるということ、そのことに、わたしは違和感を覚えた。語り口の軽さが、問題に向き合う態度の軽さと等しいとは、どうしても思えないからだ。震災の犠牲者であるDJアークの軽妙な語りが、その死の理不尽さ、震災の悲惨さを貶めることになるとは思えない。むしろ、読む者にそれを強く意識させることになるのではないか。この点も含めて重要な鍵となるのは「想像」なんじゃないのかな。「軽い文体は震災を語るのにふさわしくない」「震災を体験していないものにそれを語ることは許されない」等々の、おそらくは思い込みにすぎないが、かなり高いかもしれない障壁を乗り越えることを助け、また震災を体験していない者たちと体験した者たちを互いに近づかせるものとして、「想像」はあるのだろう。否定するにせよ肯定するにせよ、両者はそれを介して歩み寄ることができる。どんな問題でも停滞してしまってはどうしようもない。断絶がある場合、それを解消して相互に関わりあい、変化していく動きをもたらすものは想像力しかないだろう。そしてラジオはテレビよりも、想像力を活性化させる媒体だよなーとか、まだ読んでもいないのに、あれこれ考える。

眠い。あとはこの小説を読んでからにしよう。いつになるかはわからないけど。


想像ラジオ (河出文庫)
いとう せいこう
4309413455



14日(木)

帰宅して、ベランダに出ると、無惨にころがる星美人……

鳩各位  食べる物も置いてないというのに、つる植物用のネットをかいくぐり、鉢植えを蹴落としてまで進入しようとするほどの、ウチのベランダの魅力をどうか教えてください。いいところはすべて直します。お願いします。なにとぞ。


15日(金)

今月は新システム導入の準備、その他もろもろあってちいと忙しく、休みの日以外は朝食をつくる気力もない。朝はコンビニでおにぎりかサンドウィッチを買って始業前に職場で食べ、昼は職場近くのうどん屋かそば屋で、夜は近所のスーパーで買った惣菜をアテに酒を飲むという毎日。それではあんまりなので、今日はちょっとがんばって、夜だけでも自作のものを食べようと、手早くできるもので晩酌。

 
アテはアスパラのバターぽん酢炒め、かぼちゃのサブジ、三つ葉とかまぼこのわさび醤油和え、セロリとさきいかと塩昆布混ぜて、ちょっと寝かしたの。
しかし、セロリとさきいかを合わせることを思いついた人、えらい。毎年夏に、「鱧と梅肉を合わせることを思いついた人に、国民栄誉賞を上げてもいいと思う」とかいってる気がするが、セロリといか(さきいかもいいけど、いかくんでも)も、国民栄誉賞クラスですね。


17日(日)

本日、今年はじめて蚊に刺された。酒屋で酒を見つめている間の出来事であった。青りんご味のバーボンを買おうかどうか迷っているときのことだろう。結局普通のアイリッシュ・ウィスキー(ブッシュミルズ)を買うことにし、レジにてお会計をしている最中、左手が妙に気になりだし、店を出て歩いている途中、薬指の付け根と人差し指の第一関節が見る見るうちに腫れてきた。どえらく痒い、というより痛い。 手首の辺りまで痛い感じ。どんな強力な毒だ。うちに着くころには、人差し指がぼんぼんに腫れていた。

帰宅して、部屋の中に蚊(刺すやつ)がいるのを発見。急ぎ眠れるアースノーマットの封印を解き、いざ電源を、と思ったらコンセントの近くにわが同居人(人じゃないけど)、愛しのハエトリグモちゃん。


どうしたものか、葛藤中。


18日(月)

昨夜、多少は虫よけにもなるかとハッカ油をそのへんに撒いて寝た。蚊に刺されることはなかったが、たぶんヤツがまだその気になっていなかっただけだろうな。




パンドミ、オレンジマーマレード、コーヒー
たまにはトーストを甘くして食べるのもいい。




玄米ごはん、紅鮭、梅えのき、セロリの葉とにんじんのきんぴら、味噌汁(玉ねぎ、にんじん、えのき、絹さや)。
独居中年家庭では、えのきだけを買うと使い切れないことが多く、保存用になめたけをつくるのだけど、今日つくったのには梅肉を叩いたのを加えた。

我が家の植物たちの近況:
アボ子(1さい)は、はじめての枝を伸ばしている。


リトープスは脱皮中。


緋花玉は花を準備中。


ハオルチアは開花中。


トケイソウにお客さん。


コイチャコガネ(だと思う)。葉を食ってる様子はないし、1時間後に見てみたら、まったく同じ姿勢でとまっていたので、一夜の宿ということなんだろうね。去年は、夕方にシロテンハナムグリ(だと思う)が来て、翌朝いなくなってたなんてこともあったし。

とか書いていたら、いま蚊に刺された。痛い。

晩酌


アテはツナきゅう、絹さやとにんじんのおひたし、梅えのき、塩茹でえんどう。
いまの時期は豆がうまいね。


20日(水)

きょうは文博で市川崑監督『黒い十人の女』を観る予定が、諸事情、というか忙しさのあまり行けず。くやしいので、数年に一度しかつくらないたまごサンドをつくる。書いていて自分でも意味がわからないので、皆さまはお悩みになりませぬよう。


たまごサンドうまい。

2015-05-10

日々雑記 2015 May #1

1日(金)

仕事で某市へ赴き、駅前からバスに乗る。いい天気。車内からぼんやり外を見ていて、とあるバス停の標識が目に入り、えっ?なにあれ?と思ったが、バスを待つ人がおらず素通りしてしまい、よく見ることができなかった。帰りはタクシー利用。べつにおごっているわけではなく、このあたり、バスが2時間に1本以下で、仕事が終わった時間帯は、バスで帰ろうと思ったら3時間待たなければいけないのだ。歩けば駅まで50分くらいかかる。というわけで、タクシーに乗り、通りすがりに件のバス停の標識を見たら、やはり見間違いではなかった。来週もここを通るはず。カメラ持って行こう。しかし、以前からああだったのだろうか。

朝から頭痛の兆候があったが、夜に本格化。いつも必ず同じ場所が痛むので、あー、またアレですねと思う程度には馴染み深くはあるのだけど、これがけっこう痛い。しかし頭痛薬が切れていた。しかたないのでガマンしていたら、背中が急に痛み出した。大きく息を吸うことができないほど。なんだこれ。ついこないだ、叔父が胆嚢取ったときのハナシを聞いたばかりで、それによると、急に背中が痛み出し、それがまた脂汗が流れるほど痛かったので病院に行ったら、即入院、緊急手術だと。一瞬それを疑ったけど、汗が流れるほどじゃなし。いいや、寝ちまえ。


2日(土)

ひと晩寝たらよくなるかと思いきや、起きたらさらにひどくなっている。が、脂汗が出るほどでなし。静かに呼吸しつつ、出勤。

仕事してたら、午後には多少マシになってきた。肩こりのひどいのみたいなもんなのかね。頭はまだ痛い。


3日(日)

頭痛はほぼおさまった。ときどきキリッと痛むし、そのあたりを押してみるとイデデデとなって後悔したりするのではあるが。背中はまだ少し痛むけど、明日あたりよくなりそうな感じ。

世間様は5連休だそうだが、わたしは本日も仕事。 仕事帰り、いつもとちがう道を歩いていて、トチノキに花が咲いているのを見た。トチノキの花ってはじめて見た。公園の木は白い花、道端の木は赤い花。案外とかわいらしい。「栃の花」って、夏の季語なのか。もう夏なんだな。

サキ『クローヴィス物語』読了。

クローヴィス物語 (白水Uブックス)
サキ 和爾 桃子
4560071993


そういえばサキの作品は、まとまった形で読んだことがなかった。それどころかわたしは「猿の手」(W. W. ジェイコブズ作)をサキの作品だと思い込んでいたので、もしかしたらはじめて読んだのかもしれない。まあそれはおいておくとして、これは贅沢な作品集だ。ドタバタあり、サスペンスあり、恐怖あり。しかし感傷はまったく ない。心温まらない。そこがいい。登場人物によって物語が語られる形式の話が多いが、語る者と語られる物語の距離のとり方が絶妙で、出来事だけ見ればかな り残酷なエピソードであっても、その語り口の軽さのためか、読後感は決して悪くない。「名画の背景」、「不静養」、「フィルボイド・スタッジ――ネズミの 助っ人」がお気に入り。しかし、クローヴィスは頭は切れるし、口も達者だし、話し上手だし、仕掛ける悪戯は抱腹絶倒モノだし、メチャクチャ面白いヤツだけど、身近にいたら相当迷惑だろうなあ。彼の関わる一切を、物陰からこっそり見ていたい。
翻訳も素晴らしかった。特に訳語の選択のセンスのよさに痺れた。

明日は休みなので、本を探しに行こう。


4日(月)

9:30 休日だというのにいつもの時間に目覚め、意地になって二度寝しようとするも眠れず、時間を盛大に無駄使いした挙句の遅い朝食。タカキベーカリーの「りんごとライ麦の石窯パン」、ほんのり甘くておいしい。


雨のパラつく中、古本まつりへ。

本日の収穫。自分用(2,754円也)


姪っ子たち用(4,158円也)


すぐにあげようと思うものたち ↑ と、


もうちょっと大きくなってからあげようと思うものたち ↑ 。
「ジャイアント・ジャム・サンド」と「さんびきのちいさいどうぶつ」は、すぐあげてもいいかもしれないけど。

「さんびきのちいさいどうぶつ」は、以前姫路の美術館にルドンを観に行ったとき、ふらっと入った古書店で見かけて即買いした本。好きすぎてどうしていいかわからん。いちばんちいさいどうぶつが意を決して、自分で「ようふく」と「ぼうし」と「くつ」をこしらえて身にまとい、いなくなったともだち2匹を探そうと「にんげんのせかい」に出て行くところは、読むたびに泣きそうになる。いや、実際泣いてる。

「めんどりペニー」は、「こんなの子供に読ませちゃダメ!」とか思われる方もありそうだな。わたしは「めでたし、めでたし」ってさー、それ、誰から見て? なんて思ってしまうほうなので、こういうの大好物なんだけど。

「かしこいビル」はですね、読むでしょう? すると絶対、「ビルーッ!! ビルーッ!!」って心の中で叫びますよ皆さま。お読みになればコレ、おわかりいただけるものと確信しております。


5日(火)

一日休んで出社したら、本来ならば、昨日のうちに片づけられていないといけない仕事がわたしのデスクに積んであったので、倒れそうになる。今日は事務所にわたしだけ。約3日分(体感)の仕事をひとりで片づける。

まあ、今日はお楽しみもあったのだ。一昨日見たトチノキの花を撮ろうと、カメラ持参で来たのだ。写真を撮りながら帰る。

まずは御射山公園のトチノキの白い花。


ここのトチノキは背が高いので、これが限界。

ケヤキの新葉がきれい。


白いツツジ。


ももいろのツツジ。


ベニバナトチノキとその花。


三条東洞院角に、こんな感じで立っている愛らしい木。公園の木より小柄なので、花も大きく撮れた。花壇の花もきれいに咲いていてうれしい。植えてあるのだけでなく、そこらに勝手に生えている草木の花も、咲いていると無条件にうれしくなる。よかったねえ、笑っているねえ、と思う。


6日(水)

休日の朝


麦飯、ねぎ入り炒りたまご、にんじんとごぼうのきんぴら、納豆、もやしの味噌汁。
調理時間25分。たいして早くはないようだけど、2口のガスコンロで鍋で飯を炊いて、汁もおかずもつくっているのだから、今日は効率よかった感じなのだ。米は昨夜洗っておいたので早くできた。




残り物一掃スパゲティ。
調理時間15分。傷みかけた新たまねぎ、怪しげなトマト、しなびかけたピーマンを救済。そんな材料でも、万能お助け調味料ハリッサ(チュニジアあたりのにんにくとスパイスのきいた唐辛子ペースト。瓶詰めやチューブで売っている)があれば、そこそこ美味しくできるのだ。

午後は京都文化博物館で『京に生きる琳派の美』の展示を見る。自作につけたキャプションに、「琳派を意識して製作したことは一度としてない」とだけ書く作家さんもいらしたりして、なかなかおおらかな展示でよかった。染色と立体に興味深いものが多かった。そのあとは同館フィルムシアターで、市川崑監督『炎上』を見る。撮影:宮川一夫、照明:岡本健一の映像は素晴らしいのひとことしかない。脚本は……セリフですべての状況を説明するってのはどうなん?とやはり思ってしまう。特に冒頭と終幕の京都駅の場面のアレはなあ。しかしこの映画、以前見たと思いこんでいたけど初見だったし、見ている間ずっと、昔読んだ三島由紀夫の『金閣寺』ってこんなんだったっけ?という感じがしていたけど、いざどんなんだったか思い出そうとすると、これがちいとも覚えていないことに愕然。読んだことは確実なのに。いや、ほんとうに読んだのか? さあ、これはわからなくなってきました! ……老人力が着々と蓄えられてきている気がする。

晩酌


ゆで鱈レモンソース、ゆで海老と実生ゴールド柑、にんじんときゅうりの塩もみガーリックオイル和え。
調理時間20分。ほとんどは実生ゴールド柑の袋をむく時間。ほんで「レモンソース」とかいってるけど、実態は、ゆでた鱈に塩胡椒してレモン汁とオリーブオイルかけただけ。バター使用のレモンソースも一応レパートリーとしてはあるけれども、鍋を洗うのが面倒なのだな。これなら皿洗うだけっていう……生活感あふれるブログを目指しています。


7日(木)

仕事帰り、烏丸通を渡ろうと信号待ちをしていて、通りの反対側、なんとなく、なんとなーく気になるものが視界に入った。緑の中に、明るい黄緑、そのあたりにどうもオレンジ色がちらっと見えるような。アレはもしや、アレなのでは!? 信号が青になるやいなや小走りで通りを渡って、件の木に接近。ああ、やっぱり! ユリノキの花だ! うれしい。はじめて見た。のだけど、高いところに咲いていて、下からしか見えないのでなんだかよくわからない感じにしか見えない。オレンジの差し色があるとはいえ、緑の葉のなかの黄緑色の花はやっぱり地味で、気づいている人はほとんどいないらしい。どうにかして花をよく見たいばっかりに、ぐるぐると位置を替えながら上ばかり見ているわたしを、不審げに見る人もいる。ああ、今日もカメラを持っていない。これは iPod touch を買うしかないのかなあ。

(なんでこんなにユリノキの花にこだわっているのか気になるという方は、こちらをどうぞ→ 「また来年。もしかしたら再来年」


8日(金)

先週のアレを撮影しようとして、


見事失敗。見えた!でレリーズボタンを押すと、通り過ぎてからシャッターが切れるというね。待ってる人がいないので素通りするバスの中からでは至難の業であることがわかったよハハハ。

仕事は昼過ぎには終わって、せっかくカメラを持っているのだから、と家に帰らず、烏丸三条まで出て、ユリノキの花を撮る。


御池から四条まで歩いてみたけど、やはり花を咲かせているのはこの1本だけのようだ。街路樹なので、剪定の時期の問題なんだろうな。しかもE. A. ポウが書いたようにはぎっしり咲いてないのが残念。"Landor's Cottage"のユリノキはさぞ壮観であろうな。

ところで、ユリノキは枝を落としたあとが人間の目に似ているということを、某呟き処で2年前にも力説したのだが、これは今後も普及に努めようと思う。


本を持って出るのを忘れたので、いつもお世話になっている書店で、アルフレート・クビーンの『裏面』を購入して帰る。昔大学図書館に置いてあって読んだのだけど、おおかた忘れているな。

裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス)
アルフレート クビーン 吉村 博次
4560071985


帰宅後、テキトーになんか腹に入れて、みなみ会館に、エドワード・ヤン監督の『恐怖分子』を観に行く。素晴らしい。とりあえず、観た直後の呟きを転載しておく。


いつか書く、つもりではある。

昼がテキトーすぎたので、映画を観終わるころには腹が減っていた。映画館の近所に、おいしいだし巻きを売っているスーパーがあった。あれ、久しぶりに食べたいなあ、と思う。わたしは昔このあたりに住んでいたのだ。だし巻き買って帰ろうか、ああ、だし巻きサンドウィッチってのもあったなー、とそのスーパーへ。

そこは午後6時で閉店していた。そのあたりのことは忘れているな。まあいい。ならば、帰り道はあっちの道を通って、昔よくだし巻き定食を食べに行ってた大衆食堂に行くか、と一見あくまでもだし巻きに拘っているように見えるが、昔よく食べていたのは、単に定食の中ではだし巻き定食がいちばん安かったというだけの理由なのであった。だが、たしかに美味かった。よし、そこ行こう。

その店はあった。しかし営業している様子はなかった。コンクリートの壁面の店名が削り取られていた。ああ、月日の流れのなんと残酷なことか。よろしい、ならば、ちゃんとお出汁をひいてつくったうどんやどんぶりを、考えられないほどの激安で食べさせてくれていた食堂だ!もうそこしかない!

その場所は更地になっていた。

もう、泣くしかない。


9日(土)

ユリノキの写真を某呟き処で上げたところ、なんだかバズっているのだが、それが花の写真のついでに上げた幹の写真のほうなので、困惑。


ユリノキは剪定されるとその翌年に花を咲かせることはないので、頻繁に剪定される街路樹の花に出会えることは、それこそ僥倖なのだ。


10日(日)

仕事帰りに、これまで渡りはしたけれども沿って歩いたことはない、近所の川べりを散歩した。 誰かが捨てた自転車が沈んでいたり、ごみがあっちこっちにひっかかっているような川なので、とくに歩いてみたいと思ったことがなかったのだ。川沿いに少し歩くと、遊歩道が整備されていたので、少し驚いた。小汚い川としか思っていなかったから。のんびり歩いていると、アカバナユウゲショウがかわいらしい花を咲かせている。ノビルのネギ坊主がひょろひょろ飛び出しているのも愉快だ。チガヤが穂を出している。まだ若いのを一本抜きとって齧ってみた。かすかに甘い。歩いているうちに暗くなってきたので、よく見えなくてなんだかわからない小さな白い花がたくさん咲いていて、芳香を放っているそのあたりの空気を大きく吸い込んでみたりもした。意外に楽しめるやないか。

2015-05-04

【夢】獺和尚

深くて流れの速い川のへりの、大きくて平らな一枚岩の上で、二十人ほどの男女が奉納する舞だか演武だかの稽古をしているのを上から眺めていると、その中の男性がひとり突然川に飛び込み、腰まで水に漬かりながら歩いて行って、いつ逃げ出したのかはわからないが、群れを離れたらしき男性を捕まえる。捕まった男性は岩まで引きずられて来る。岩の上では裸になった人々が激昂してなにごとか叫びながら団子になって揉み合っているが、その中に昔知っていた女性の顔を認めて少し動揺し、それでもその騒ぎを見ていると、祖母の葬式以来十年以上会っていない従妹に「よしなさいよ」とたしなめられる。いつの間に下りたのか、川べりにいるわたしは、何に使うのか定かでない、網目のプラスチック板が二重になっている器具を持ち、その上の板から下の板に、水を吸って白くなった生米を、片手だけでなんとか移そうと四苦八苦している。米が一粒こぼれた。ああ、これでもうだめなんだ、と観念すると、あとはなしくずし的に米がこぼれていく。小さな魚たちが集まってきてせわしなく泳ぎ回り、小さな口で米を食べている。その様子に見惚れていると、丸顔が異様にかわいい獣が泳ぎ寄ってくる。米を食べに来たのだ。あれなんだろう、ああ、カワウソだ、と思う。いや、そんなはずはない。白っぽくて大きいまん丸な顔はカワウソの顔じゃないし、体色も薄茶と白の斑だし、だいいちカワウソは米を食べない。獣は夢中で米を食べている。もうこぼしてしまったのだから、どうなとなればいい、と器具に残っていた米をすべて水中に投じる。獣はわたしの顔を見上げながら、米を集めては口に運んでいる。その様子があまりにかわいくて、カメラを取り出して写真を撮ろうとするが、ぶら下がっているカメラケースが写りこんでしまい、うまく撮れない。三ショットほど失敗を繰り返して焦っているうちに、カメラが電池切れ。隣にいた従妹に、「写真撮って!」と懇願すると、なにか警告のようなことをいいながらも撮ってくれたので、安心する。獣のほうを見ると、袈裟を着て、水面に迎えに来ていた輿に乗り込もうとするところだ。輿には獣と同じ位の体格の小さな坊主が乗っており、早く乗るようにと獣を促している。行かれては困る、と焦ったわたしはカバンを引っ掻き回して、ひと袋のライ麦パンを見つけて取り出し、袋を少し開けて獣のほうに差し出す。従妹はなにもいわないが、非難するような目でわたしを見ている。

#今朝の夢